2022年5月5日木曜日

シェリング『学問論』第3講を読む


























今日は、第3講「大学における研究の最初の前提について」を読みたい

本講の構成は、以下のようになっている
「本講の意図」
「学問・研究の歴史的側面」
「学問・研究の芸術的側面」
「手段となった学問・研究の弊害」
「大学以前の勉学」
「語学の学習と文献学」
「以下の講義の展望」
では、早速始めたい



「本講の意図」について

学問を目指すものの目的、学問の理念については、これまでに触れた

ここでは、学問を職業とする者に求められる一般的要件について述べる


「学問・研究の歴史的側面」について

研究の概念には、二つの側面がある

一つは歴史的側面で、それ故、只管学習することが求められる

これはすべての基礎になるもので、好みによって恣意的にやるのではなく、やらなければならないことをやり通さなければならない

この訓練により、気紛れなやり方や断片的思考から離れることができ、求められるものをすべて汲みつくした総体へとまとめ上げることができるようになる


しかし、最上位の学問が通俗的な色調を帯び、万人の理解力に適うべきものと見做され、概念を大雑把にしか受け取らない緩み、表面的な当たりの良さ、浅薄な満悦が欠かせぬものになっている

これは近代の教育学が不徹底さの潮流に掉さしたためである

大学の退屈、冗長、精気のない徹底性に対する怨嗟が、不徹底性の潮流を引き入れたのである


「学問・研究の芸術的側面」について

第二の側面は形式の側面で、これは芸術と共通する

形式は訓練を通してのみ我がものとすることができる

従って、授業は訓練を主眼とすべきなのである

学問には特殊な形式があるが、そこには普遍的で絶対的な形式が宿っている

ただ、既成の特殊な形式を学習しても何かを体得したことにはならない

真の消化吸収は、自己自身への内的変容なしにはあり得ない

要約すれば、「自分自身で創造するためにのみ学べ」である

産出というものは、普遍と特殊の出会い、相互浸透に基づいている


「手段となった学問・研究の弊害」について

認識には理性的認識と歴史的認識がある

前者は根拠の認識を担い、後者は単なる事実の学問とされる

より直接的に生活の用に資する学問は、「口過ぎの学問」(パンの学問)と呼ばれる

学問を自分にとってどのような有用性があるのかという観点からしか考えないからである

結果を知るという一点が目的になり、根拠は完全に無視されるのである


こうなるのは、学問を単なる経験的使用のために習得しようとするからである

それは自分自身をも手段と見做すことになる

この道を選んだ場合、第一に、真に体得することにはならない

知識が記憶によって維持され、特殊を普遍の中に包摂するための判断を欠いているからである

第二の結果は、進歩する能力が全くないということである

真の進歩は絶対的原理から評価しなければならないため、特殊なものしか学習できない場合にはそれができなくなる

真の発見は普遍において成されるのである


「大学以前の勉学」について

大学以前に習得されるような知は、「知識」と呼ぶ以外にはないようなものである

上級の学問(神学部、法学部、医学部)を知識という形で獲得することはできない

また、真の意味で絶対性に到達することがあり得ない年代に対して、絶対性に立脚する知を先取りして与えるのは賢明ではない

全体の連関の中でのみ真価を発揮し得る知識についても同様である

一つひとつの学習段階に留まることが肝要なのである

大学に入る前に習得すべきは、将来の補助手段となる機械的な要素である


「語学の学習と文献学」について

語学学習は後年のあらゆる段階の学問形成にとって必要不可欠なステップで、避けて通ることはできない

ここでは、若年期の語学学習に絞って話す

若年期に古代言語を学習することに対する異論が、近代教育学の側から唱えられている

その根拠は薄弱で、反駁には及ばない

その主たるものは、暗記中心の教育に反対する的外れな熱意によって吹き込まれたものである

偉大な指揮官も、偉大な数学者、哲学者、詩人も、記憶の容量と活力なしには存在し得ない

近代教育学は、このような人間ではなく、勤勉で有用な市民的人間の養成を目的にしていたのである

若年期に機知や洞察力や着想力を訓練するには、古代言語に取り込む以外に適切なやり方を知らない


文献学という高い目的にとって、言語知識は手段に留まる

文献学者は単なる語学者とは異なり、芸術家と哲学者とともに最高位を占める者である

生き生きとした直観の中で芸術や学問の歴史を捉え、描出するのがその任務である

大学では、文献学のみを教授すべきなのである

我々にとって生命を失ってしまった言葉の中に、生き生きとした精神を認識することは、感受性の直接的陶冶となる


「以下の講義の展望」について

これから大学での研究の個別分野を論じるが、研究の土台を築き上げるには学問の有機的全体を構成することが不可欠となる

そのためにはすべての学問の相互連関を明らかにし、内的有機的統一が大学を通して持つに至った客観性について説明しなければならない

このシリーズでは対象を論じ尽くすことはせず、語るべきでないことを語らぬよう用心したい













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