2018年12月30日日曜日

年の瀬に、自由とは



今年も残り一日となった
このところ、曇天、霧、雨の毎日である
その中で、最後の二週間を純に使うことができたのは幸いであった

この間、一日がとてつもなく長いことに驚きながら過ごしていた
時の流れがあるとすれば、そのすべてをがっちり掴んでいるという感覚
時間を止めているような感覚と言ってもよいだろうか
これを自由と言うのだろう
そのためかどうかはわからないが、いくつか纏まりを作ることができた
最後の一日にも期待したい

新しい年もこの感覚を持ちながら歩みたい、というのがいまの心境だろうか
そして、想像もしなかったような出来事が起こることも密かに期待したいものである





2018年12月27日木曜日

今年を振り返る



今日は寒い
久し振りの景色である

年の瀬を迎え、来し方を振り返る心境になっている
2007年秋にフランスに渡ってから数えると11年が経過し、12年目に入っている
10年やればプロですよ、という誰かの言葉が頭に残っていたからだろうか
10年間くらいは目的を決めずに歩む修行時代だとぼんやり考えていた
これからはその時代の蓄積を解きほぐす時間ではないかという思いが湧いている

今年に絞って振り返れば、免疫に関する初めての訳書を刊行することができた
訳書について言えば、微生物学に関するものを来年3月に刊行するための準備が進んでいる
それから、論文を書くということを久しぶりにやってみた
免疫と認識に関する仮説を思いつき、専門家の意見を聞いてみたいと思ったからである
それを受理してもよいという雑誌があったのは幸いであった

これまで論文を書こうなどという考えは全く浮かばなかった
その理由は専門の枠(決まりごと)の中に入ることに抵抗があったからではないかと思う
ここに来て、その抵抗感がなくなったということだろうか
また今回、自分の考えを問うという作業が自分の考えを磨くことにも繋がることを知った

このような流れを見ると、いま、大きな転換期を迎えているような感触がある
今年はその始まりの年だったと振り返る時が来るような予感がする






2018年12月25日火曜日

平穏なクリスマス、渡辺氏のレジオン・ドヌール勲章受賞を寿ぐ



クリスマスの一日
申し分のない快晴で、ときに飛行機雲が現れる
朝からアメリカのクリスマス・ソングを流しながらゆっくりと紫煙を燻らす
いくつかアイディアが浮かんできた
ボストンでの最初の年の雪の中でのクリスマスも蘇ってきた
これ以上ない時間となった

ところで、本日久しぶりに日本パスツール財団のフェースブックを訪問
代表理事の渡辺氏が12月17日にレジオン・ドヌール勲章を受賞されていたことを知る
長年の功労がフランス政府から認められたことを共に寿ぎたい
これからもお元気で日仏のために活躍されることを願いたい
また、来年もご指導いただければ幸いである






2018年12月23日日曜日

2019年のISHEプロジェクトを決める



もう少しで新しい年を迎えることになる
その前に来年のプロジェクトを組み立ててみた
継続されるものが多いので、目新しいことに手を出す余裕はなさそうである
ISHEプロジェクト2019

来年も当研究所の活動にご理解をいただければ幸いです
よろしくお願いいたします




2018年12月17日月曜日

内発的な籠りへ



今年も残り2週間となった
幸いこの時間を純粋に一つのことに使えそうである
ということで、再び籠ることになる
最近の籠りとの違いは、それが内発的なものだということだろうか
どのような展開になるのかは、いつものように分からない
しかしその結果は、これから先を占う上で参考になりそうである






2018年12月16日日曜日

今年のISHEプロジェクトを振り返る



年の瀬を迎え、今年のサイファイ研ISHEの活動を振り返る時期が来た
当初の計画に照らしながら振り返ってみた
ISHEプロジェクト2018を振り返る

サイファイ研究所ISHEの多くのプロジェクトは皆様の協力があって成り立っております
今年、ISHEの催し物に参加いただいた皆様に改めて感謝いたします
来年も当研究所の活動にご理解をいただければ幸いです





2018年12月15日土曜日

ジレ・ジョーヌのフランス



今日のトゥールは終日の雨
時に雨音を、時にクリスマスソングを聴きながら、静かに過ごす

ところで、フランスではGilets Jaunesのデモが盛んになっているようである
最初はいつものように大使館からの連絡で知った
日本では大々的に報道されているのだろうか
心配するメールが届いていたのでそう想像していた

先週末に街に出た時には、雨にもかかわらず大勢の黄色いベストの人が道や広場に溢れていた
そのためか、普段開いている広場に面した店も閉まっているところがあった
今週末はさらに大きくなるとの話もある
昨日パリから戻ってきた時も町の中心部は人が溢れ、トラムは通れなくなっていた

届いたばかりのル・ポワンでは、この問題を歴史的に検討する記事が特集されている
革命の国フランスである
これからどのような展開を見せるのか、目が離せない






2018年12月14日金曜日

全体をイメージした後の「いまここ」



先週バッグを忘れたのでカフェに寄って確かめる
ちゃんと取っておいてくれたのでホッとした

ところで、先週のパリでも感じた変化がある
これまでは特に計画せずに行き当たりばったりに街中を移動していた
予め決められたところを行くことに抵抗があったからかもしれない

それが今回は、その日の移動の全体を頭に入れて動いているようなのである
全体をがっちり掴んだ上での「いまここ」なので、精神的な安定感が全く違う感じがする
これは効率と関係あるのだろうか

おそらく、最初に効率化という考えがあってのことではないだろう
なぜなら、それは最も嫌うものだからだ
そうではなく、全体を掴むというところに意味を認めた結果ではないだろうか

これは街中の移動だけではなく、他のことにも当て嵌まりそうである
特にプロジェに当たる時などには、意識して当て嵌めた方がよいのではないか
そんな考えが浮かんだ非常に寒い早朝のパリのカフェである


上の写真は昨夜ENSで見つけたものだが、サイファイ研ISHEのロゴと繋がっている
今日の発見も知恵に繋がるものであることを願うばかりだ





パリで恩師の追悼の会を聴く



今日は午後からパリに出た
マスターの時の指導教官だったジョン・ガイヨン教授へのオマージュの会があったからだ
今回は、これまでに関係があった人を招いてのターブル・ロンド
それぞれの思い出やガイヨン教授の研究スタイルなどについて議論された

上の写真の左から2番目は、科学史家のミシェル・モランジュ教授(ENS)
モランジュ氏によるガイヨン評は以下のようなものだった
真面目で仕事に時間をかける人で、文章は学問的でやや単調なところがあった
科学者が語った後に最終的な一言を言う哲学者ではなく、対等な対話を大事にしたとのこと
それから世界的な共同研究のネットワークの中で若手を育てたことを評価する人もいた
大学人、教育者としてのガイヨン氏だが、この点は同感である

左から3番目は、ジャン・ピエール・シャンジュー教授(コレージュ・ド・フランス)
ガイヨン氏とはいろいろ議論したようである
しかし、聞き間違いでなければ、神経系の話には興味を示さなかったようである
シャンジュー氏が説得できなかったという言い方もしていた
他にも大きな問題を抱えていたので余裕がなかったのではないかと指摘する人もいた


アンナ・ソト教授とカルロス・ソネンシャイン教授(米国タフツ大学)


ところで、今回の会のことはソネンシャイン教授からのメールで知ることになった
実は以前にここで取り上げたことがある方である
思いがけないお誘い(2018年9月21日)
そのお誘いが今日実現したことになる

お話を伺うと、アルゼンチン出身でお二人とも最初は医者をやっていたが研究者の道へ
がんがご専門のようだが、次第に哲学にも興味を持つようになったという
その道がわたしと重なるので、是非話をしたかったようである
そして、わたしにとっても実に興味深いお話を伺うことができた

こういう出会いが人生さ、と言うカルロスさん
久しぶりに痛快さを味わった
何もなければ、近い将来に再びパリでお会いすることになりそうである




2018年12月12日水曜日

初校ゲラの擦り合わせ、終わる



編集者が手を加えた初校ゲラとの擦り合わせがやっと終わり、日本に送ることができた
かなり難しいと思っていたので、予定通り終わったのは奇跡に近い
これで滞っていたところに戻ることができる
そこでも今回のような集中ができれば素晴らしいのだが、そうは問屋が卸さない
のが、これまでだ
残り僅かの年内にひと塊くらいは作っておきたいところだが、、







2018年12月7日金曜日

トゥールに戻り、再び籠る



今日は二日間に亘るシンポジウムをゆっくり振り返りながらトゥールに戻ってきた
パリのメトロには、ロワール川沿いのお城でクリスマスを、という宣伝が並んでいた
トライしてみるのも面白いのではないだろうか
今回同様、予期せぬ発見が待ち受けているかもしれない
そんなことを考えていたせいか、荷物をカフェに忘れてきた

ところで、まだ今年は終わっていない
取り敢えず、当面のお仕事に向き合わなければならない
ここ数日が山というところだろうか
どのような展開になるのか目が離せない
再び籠ることになる





2018年12月6日木曜日

シンポジウム「医学における人間」終わる



今日はシンポジウム二日目で、朝から出かける
昨日もそうだったが、メトロの人の流れが速い
東京ほどではないが、それでも普段とは違う緊張感が溢れている

会は昨日参加できなかったディドロ大学学長のメッセージの代読で始まった
朝のセッションではやや哲学的な分析が発表されていた
ケアの新しい概念やEBMに代わる価値に基づく医療(VBM)についての考察である
そこで問題になるのは知識対価値の対立で、現代のあらゆる領域に表れている
突き詰めれば、それは人間の在り方に関わるものである

遺伝子解析の進歩に伴う問題を、あるシンポジウムのまとめという形で報告している人もいた
それから医学教育のパラダイムを変換する必要があるという発表もあった
知識や技術偏重から思考や倫理重視への変換である
そこで重要になるのが人文科学という訳だが、教育の中で具体化することは難しいようだ
この点は4年ほど前に同様の会に出た時にも問題になっていた
そんなに簡単なものではないのだろう

今回の発表は殆どが一つの研究を二人で交互に読み上げるという形を採っていた
このプロジェクトは「学際」をキーワードにしているので、自然の流れなのかもしれない
他にも興味深い発表があったが、今日は時間切れになった
会の様子は別の場所で纏めるのがよいのかもしれない

明日、トゥールに戻る







2018年12月5日水曜日

シンポジウム「医学における人間」を聴く



今日は朝からディドロ大学に出かけた
ビュフォン講堂で開かれた「医学における人間」と題されたシンポジウムを聴くために
医療現場ではどのようなことが問題になっているのか、何を問題にしているのか
そういう疑問があったからだろう
午前中の話から少しだけ

今回のタイトルは、現在進行中の共同プロジェクトの名前でもあるようだ
医療に関わる人たちの学際的で国際的な研究と実践がテーマのようである
18世紀辺りまでは患者が個人であることが隠されていた
今日では医療の個別化が進み、主体化も問題になり、新しいケアの概念が求められている

特に問題になっていたのは、病気の慢性化にどう向き合うのかである
例えば、小児白血病のような場合、子供から大人になるまでをカバーすることがある
その移行にどのように対処するのか
人生を病気と共に生きなければならない人がいる
病気と共にある人生のよい形とは何を言うのか

移植患者は、移植を外科的で形而上学的な冒険だと捉えているという
前と後があるのだ
それが人間の再生につながることもあるが、負い目の感情が生まれることもあるという
創造的であると同時にトラウマになることがあるということだろう
慢性疾患患者の場合には、明確な前と後がないようにも見える
このような問題を扱う医学人文科学のようなものの必要性も問題にしているようであった

議論になると、現場の経験から生まれた問題がテーマになるので細かい話になる
そのような場を具体的にイメージできないわたしのような者は付いていけない
もう少し哲学的な考察に重点を置いた発表があってもよかったように思う
ただ、プロジェクトのための予算獲得が背景にあるようなので難しいのだろうか
明日も参考のために出てみることにしたい

久し振りのメトロの駅も大学界隈も懐かしいものに感じられた
しかし暫くすると、以前からここにいるような気になってくる
この感覚は不思議だが、悪いものではない





2018年12月4日火曜日

パリで歓談、若き日を思い出す



今日は朝からパリに出ている
明るいうちは仕事をしたり、パリカフェの会場が新しいところなので確かめたりしていた
午後雨になり、その中を歩いていたのでびしょ濡れ
夕方、カフェで休んで体を乾かす

夜はパリでご活躍の若手研究者の方にお忙しいところ時間を割いていただいた
改めて感謝したい
今日はパリのことや研究のこと、それからこちらで活躍している若き日本人の話を伺った
いろいろな才能を持つ人がいるようである
それからアメリカとヨーロッパ文化の違いも話題になっていた
土地に根ざす人の感覚から見れば、その違いは想像以上のものがあるようだ
わたしなどは、目覚めつつある段階になるのだろうか

また、30代はこれからの道を模索する時期のようである
皆さんがそのような状況にあることを聞き、自らの若き日を思い出していた
普段は籠っているので、このような機会は外に開く貴重な時間になっている





2018年12月2日日曜日

初校ゲラの見直し終わる、そしてある数字に圧倒される




暫く籠ってやっていた初校ゲラの見直しが昨日終わった
まずは一段落だが、これから編集者ゲラとの擦り合わせが待っている
やはり時間はかかるものである
そうこうしているうちに、今年も残りひと月となった
そろそろ今年の総括と来年の計画を立てる時期に差し掛かったことになる


ところで籠っている時の暇つぶしに、これまでのブログについて振り返ってみた
2005年に始めた「フランスに揺られながら」から数えると、日本語版11、仏英版が3つになる
現在動いているのが7つというところだろうか
驚いたことに、これら14ブログのページビューを合わせると300万を超えることが分かった
そのほとんどが最初の4つのブログのもの
上記のものに「パリから観る」 、「パリの断章」、「科学、医学、哲学を巡って」が加わる
この数字がどれだけ正確なのかは分からないが、兎に角、多くの方の目に触れたことになる
「人生は数字ではない」は私のモットーの一つだが、それでも圧倒される数字ではあった