2018年6月20日水曜日

思わぬ展開の雨の午後



今日は朝から雨模様
今回のカフェのまとめをするために外に出た
しかし、なかなか捗らない

午後、場所を変える
まとめの作業はさっぱりだったが、想像もしなかったような展開が待っていた
ある本読んでいる時、気になることが出ていたので早速問い合わせた
そうすると、すぐに返事が来た
役所だったので、その速さに驚く
それが、これからに向けての考えを固めるのを助けてくれたように感じた

その時である
それを後押しするようなメールが思いもよらないところから飛び込んできたのだ
海の向こうからである
こういうことがこの世で起こるのかというタイミングだったのだ
驚きの思いでそのメールを読んでいた

これはデジャヴュである
フランスに渡る前の状況と同質のものではないだろうか
もう少し様子を見ることにしたい





2018年6月19日火曜日

人形町散策



今日は体調調整日になるのだろうか
午前中はこれまでのカフェのまとめをやる
できたのは一つだけ

午後から人形町を散策
殆ど地を這うようなペースで歩きながら、町を眺めていた
このペースは初めてではないだろうか

途中、大正八年創業という文字が見え、中に入る
喫茶去 快生軒 というカフェである
落ち着いた雰囲気で、流れている音楽も耳に馴染む
結構よい時間になった






2018年6月18日月曜日

散策後の歓談



大きなヤマを越えたところだが、疲れがたまっているようだ
先週準備をしている時、頭がボーっとして全く動かないという感じになったからである
頭がその状態なので、体にはそれ以上の影響があるはずだ

今日は朝から八王子の方に足を延ばし、散策した
そして、夜は40年来の友人とその御友人を交えての歓談となった
温かい会話が続いていたのではないだろうか
偶にはこういう会も味なものである





2018年6月16日土曜日

第3回ベルクソン・カフェ、二日目終わる



本日は雨模様だったが、結局は降られずに済んだ
午前中からベルクソン・カフェの二日目の準備をする
問題なく終わると思ったが、途中に理解できないところが出てくる
疲れのためか、理解力低下のためか、何度試みても駄目
自分ではここ1-2週間の疲れが出ていると思いたいのだが、、

今日は遅刻せずに会場に辿り着くことができた
3名の欠席はあったが、6名の方の参加をいただいた
毎回信州から参加される方もおり、有難い

初日に2ページを終えることができたので、今日は3時間で3ページの予定だった
ゆっくり読み始め、初めてホワイトボードを使い適宜説明しながら進めた
これまでその存在に気付かなかったのである
そのためか、理解が深まったというコメントも聞かれた

「対話することを学ぶ」というテーマで、最終的には魂の世話に繋がる対話について考えた
ソクラテス的対話とプラトン的対話の境界は明確ではない
そこで行われていることは弁証法的な鍛錬で、それこそが魂の鍛錬である
それによって対話者や読者は密かに回心することになる
魂が感知できる世界から離れて善に向けて回心することを可能にするからである
対話することにより、対話者が変容するのである

そうなるためには、対話が理論的、独善的にならないようにすること
そして、具体的で実際的になるように縛りをかけること
これが成功するか否かは、対話者の大きさにかかってくる
会の詳細は、専用サイトに近いうちに掲載する予定である

今日も週末のお忙しい時間帯に当カフェに参加していただき、ありがとうございます
テクストの読みだけではなく、活発な議論ができたと思います
今後ともこの会の活動にご理解をいただければ幸いです
次回もよろしくお願いいたします





2018年6月15日金曜日

第13回サイファイ・カフェSHE、終わる



本日はISHEの活動の第二ピークの初日で、朝から準備に明け暮れた
残念ながらエンジンをかけようとしてもなかなか動き出さず
最後まで苦労したが、現時点での限界までできたように思う
ということは、さらに読み込まなければならないということでもある

今日は3名の方が欠席となり、静かな語りができたのではないだろうか
プラトンの『テアイテトス』を読むというテーマで、知識とか科学について考えた
この中で、これまで聞いたことのあるお話の元がここだったことを発見
このような経験には、いつも頭の中をすっきりさせる効果がある

例えば、有名なソクラテスの産婆術(マイエウティケー maieutikē)がそれである
プラトンはソクラテスに次のようなことを語らせている
母親パイナレテは由緒ある厳しい産婆で、自分も同業だ。対話の結果、自分の中にうまく表現できないようなものがあり(何か生み出すべきものがお腹にあり)、それが気がかりになった時が陣痛である。母親との違いは、男たちのための取り上げ役であり、肉体ではなく精神のお産を見とるところである。⇒ 「魂の産婆役」。自分は問いかけるが、何の知恵もないので自分の判断を示さない。それが非難の的になっているが、産むことはしないようにと神に定められている。自分の精神から出たもので、知恵のある発見は何もない。対話者は交わりが進むと驚くほど進歩し、自分の中から自分で見事なものを発見、出産する。
それから、知識についての検証の合間に、これまた有名な余談が出てくる
そこでは、司法と哲学の世界の違い、すなわち、一般職業人と自由人の違いが語られる
その違いがよく分かるようになって久しいのだが、
家来育ち(法廷などを徘徊して育った者): 時間に限りがあるので、せわしない言論しかできない。その上、思うことについて言論する自由を与えられておらず、相手から監視されている。したがって、彼らの精神は矮小で不正直なものになる。自由闊達さがなくなり、成長して大成することのない奴隷の境遇にある。ついには了見の少しも健全なところを持つことなしに大人になり、それを自分たちは、智慧者になったとか、人から一目置かれるような人物になったと思っている。
自由民育ち(知恵の探究などというものに暇を使うよう育てられて来た者): 知恵の探究者は時間の余裕が不断に具わっていて、言論も悠々閑々と行われる。真実を求めているので時間などに頓着しない。周りに裁判官も監督するような者もいない。
さらに、哲学者というものについてもソクラテスに語らせている
この哲学者像はわたしが描く姿に近いものがあり、途中で吹き出したところがあった
こんな具合である
丁度タレスが星度推考をして上を眺めていた時に穴に落ちて、トラキア出身のおどけ女に「あなた様は熱心に天のことを知ろうとなさいますが、ご自分の面前のことや足元のことにはお気づきにならないのですね」といって冷やかされたという、そのもののである。なぜなら、この種の者は近くの者や隣の者について、それが何をしているかはおろか、それが人間であるか、何かの畜類であるかということさえほとんど知らずに済ましているのであって、知ろうと研究に苦心しているのは、寧ろ、そもそも人間とは何であるかというような本性に属することである。そのため、足元のことや目前のことについて言論しなければならなくなった時、あらゆる行き詰まりを演じて大衆の嗤笑を受けることになる。
本題の知識についての検討は、近いうちに専用サイトにまとめる予定です
お忙しいところ、お時間を割いて参加していただいた皆様に感謝いたします
SHEの活動にご理解いただければ幸いです
よろしくお願いいたします





2018年6月14日木曜日

恒例のデジュネ



本日は朝から外で明日からの山に向けて準備をする
デジュネは、このところ恒例になっている学友との歓談とともに
近く出る予定の拙訳の本とわたしの日本語が話題に上がっていた
以前はどこかもやもやとしたところがあったが、最近透き通ってきたように感じるとのこと
頭の中がすっきりしてきたのだろうか
こればかりは自分で観ることができない

学生時代の話題も出ていた
昔の話を聞かされると、いつも発見がある
教養時代の夏休みが終わって戻ってくると、ドストエフスキーは凄いなどと言っていたという
全く記憶にないので、読まずに吹いていたのではないだろうか
そう答えておいた

それから、日本の現状も話題になっていた
それは日本人の頭の中と言い換えてもよいのかもしれない
あるいは、頭の使い方になるのだろうか
いかに効率よく、楽に事を進めるのかに関心が行っているようなのだ
この世の目に触れるもの、手に触れることができるものにしか関心がない状態なのだろうか

さらに、本物を本当に大切にしようとする心が弱いという観察もあった
奥深き文化を抱えている日本をどのように見るのか
アマチュアとして、これも興味深い問題である

お二方ともまだ仕事をされているようだ
この人生においては暇が大切と説いておいたのだが、どれだけ通じただろうか
いずれにせよ、次の機会を期待したいものである




2018年6月12日火曜日

さらに広く文化へ



今日は蒸し暑い一日で、夕方には一瞬の激しい雨に見舞われた
からっとして時折肌寒さを感じることのできる向こうの天候とは明らかに異なっている
この気候、まだ体に馴染んでいないようだ

午前中から東京の西、高尾方面を散策
夕方からは40年来の友人と一献酌み交わしながら、なぜか比較文化論になった
というよりも、そちらの方に目を向けてはどうかというニュアンスの話が出ていた
新しい拙エッセイのテーマは「対話」だが、その予想できない力を感じることになった
そこに、面と向かって話をすることの醍醐味があるのだろう

それからアメリカ時代の記憶にかなりの欠落があることにも気付かされた
フランスとは異なり、アメリカ時代を体系的に振り返ることが等閑にされていたようだ
深い意味付けもされていなかった可能性がある

東から西を見、そして西から東を見る
その往復が何を齎すのか、自分でも興味が湧いてきた
実はこのテーマ、新年にもこれからのものとして取り上げていた
今年はその準備期間になるのだろうか
当分模索が続きそうだ





2018年6月10日日曜日

文章の若さ



今回、拙エッセイを読んでいる友人からこんなことを言われ、驚いた

「文章が若い、若作りしているのではないでしょうね」

意識して若い人のように書いているのではないかというのである
勿論、そんなことを意識したことは一度もない
それではどんな理由が考えられるのだろうか

第一に、人間の成熟が未だ不十分で、中身の未熟さがそのまま表れている可能性である
作っているのではなく、天然である可能性だ
これは十分に考えられる

それから、あの文章を書く時に気を付けていることがある
一つは、頭の中にあることをできるだけ正確に再現しようとしていること
もう一つは、各文章間の論理の繋がりに乱れがないように気遣っていることである
これは全くの想像だが、そうすることで無駄のないものになっている可能性がある
純粋なものになっている可能性である

「純なるものは時を超える」

プラトニストとして、そのことは想像できる
ただ、余分なものが削ぎ落された純なるものとはどういうものを言うのか
それを見極めるのは難しい
そして、それがこのケースに当て嵌まるのか否かについては全く分からない








2018年6月9日土曜日

第3回ベルクソン・カフェ、初日終わる



本日も蒸し暑い日であった
こういう日は、それでなくても働きが鈍っている我が脳は動くのを嫌がる
夕方から第3回のベルクソン・カフェを予定していた
しかし、講師が移動にかかる時間を間違えて30分の遅刻となった
ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたい
また、写真撮影も完全に失念していた
注意を促していただいた方に感謝したい

今日はお二方の欠席はあったが、5名の方が参加された
実は上の写真の左側に、もうお一方が隠れているのが分かるだろうか
それはともかく、「対話することを学ぶ」というエッセイの前半を読んだ
脚注も読んだため、2ページ終わるのに2時間半かかったことになる

古代哲学の研究者であるアドーさんのエッセイなので、ソクラテスの対話がメインだった
魂の鍛錬の実践は太古の昔から行われている
ただ、西欧の歴史において道徳的良心を呼び覚ましたのはソクラテスだという認識がある
ソクラテスは対話者を質問攻めにして、その魂に注意を向けさせ、世話するように仕向けた
社会的な地位や名誉、富ではなく、思考、真理、魂をよりよいものにすることを説いた
フロネーシスアレテイアプシュケーの向上である

他者との対話の達人だったソクラテスはまた、自己との対話の達人でもあった
すなわちそれは、彼が魂の鍛錬の実践の達人であることを示すものであった
外的価値ではなく、内的価値に注意を払い、内的世界を豊かにしていくこと
それは哲学が古代から説いている重要なテーゼである
そして、人間の生き方にも大きな影響を与えてきた


詳しいまとめは専用サイトに近いうちにまとめる予定です
蒸し暑い夕べに貴重な時間を割いて本カフェに参加していただいた皆様に改めて感謝いたします
次回は6月16日(土)16時から、恵比寿カルフールにて開催されます
後半にはどのような展開が待っているのか、興味をそそられます
このテーマに興味をお持ちの皆様の参加をお待ちしております
よろしくお願いいたします






2018年6月8日金曜日

第7回カフェフィロPAWL、終わる



今日は「トルストイの『人生論』から生き方を学ぶ」をテーマとしたカフェフィロPAWLがあった
キャンセルされた方が数名おられたが、1世紀以上前の著作について熱い議論が展開していた
日本語では生命と人生に分けられるが、英語では life、フランス語では la vie と一語である
ロシア語でも同様なのだろう
これが人生を扱わなくなった生物学に対するトルストイの批判の元にあるのだろうか
生物学を始めとした科学批判が色濃く出ている

そのためか、トルストイの捉え方についての批判や議論が前面に出る場面も見られた
現在ではトルストイのような批判は出てこないと想像される
生命は実験室から消えているという指摘もある
ただ、それは生物学者が生命とは何かの問いかけを止めているわけではない
そういう意識を持った科学者により実験室を離れたところで行われているはずである

時代が大きく離れた作品を読む場合、現代の視点から批判することは容易である
作品から何かを学ぼうとする時には、作者の置かれた立場に立つことも重要になるだろう
読者の方が時空を超えて作者に寄り添うのである
そうすることにより、豊かなものが見えてくることがあるかもしれない


本日もお忙しい中、参加していただき、活発に議論していただいた皆様には感謝したい
会のまとめは近いうちにこちらのページに掲載する予定である
今後ともPAWLの活動へのご理解をいただければ幸いです




2018年6月7日木曜日

ISHEの活動の山を迎える、そしてツイッターと付き合う



先週土曜からサイファイ研ISHEの活動が始まったが、明日からその密度が増してくる
以前から触れているが、なぜかフランスにいる時には具体的な準備をする気分にならない
頭の中ではいろいろなことが蠢いているのだろうが、形になった目に見えるものができない
ということで、いつも日本で最終的な準備をすることになる
今週は明日と土曜、来週も金曜と土曜に山が来る
何とか間に合うことを願うばかりだ

ところで今回の日本では、もう一つの変化が現れている
それはツイッターというものに対する感じ方である
向こうにいる時には、ISHEの活動について偶に案内を出す程度だった
空の上から言葉を投げるという感じで、どこか遠い存在だったのである

しかし今回は訳本が出ることになったこともあるのだろう
案内を出すための身近なツールという感覚が生まれている
語り掛ける人との距離感が向こうにいる時とは全く違う
例えば、本の案内に対して、一言「読みます」というコメントがあったりする
それだけで、同じ平面のすぐそこに相手がいることを感じることができる
それだけに、接触事故も多そうではあるのだが、、





2018年6月6日水曜日

『免疫の科学論ーー偶然性と複雑性のゲーム』配本迫る



フィリップ・クリルスキー著『免疫の科学論ーー偶然性と複雑性のゲーム』(拙訳)
みすず書房から今月18日の配本と決まったようだ
出版社のサイトはこちらから

表紙は若手芸術家、石井正信さんの作品『キラーT細胞』
今年2月に東京で開催された「君と免疫。展」において多彩な作品を発表されている
今月23日のシンポジウム会場でもその一部が展示されるというお話を伺っている
わたしも楽しみにしている

生物の働きの基礎を形成している生体防御とは、どのようなものなのか
生きること、生き残ることの背後には、どのような仕掛けがあるのか
本書を読んでいただくと、そこに驚きを発見することになるだろう

是非手に取って、ゆっくりと考えながらお読みいただけると幸いです
よろしくお願いいたします


サイファイ研究所ISHEの本書紹介ページ





2018年6月5日火曜日

これまでにない変化



本日は鎌倉を散策した後、パスツール財団にて23日の会の打ち合わせを行った
細かいことを最終的に詰めたというところだろうか
実際にはどうなるのか分からないが、そこに現れるズレを楽しみたいものである
日本におけるズレの許容範囲がどの程度かは分からないのだが、、

当日、本の予約をされた方には著者のサイン入りを届けるという話が出ていた
わたしはクリルスキー博士の講演の司会をするように仰せつかった
講演後、10分ほどの質疑応答の時間が用意されている
参加される方には積極的にご発言いただければ幸いである


ところで、これまで帰国した時にはフランスから日本を見ているところがあった
外国として日本を見ていると言ってもよいだろう
それが今回は、日本から日本を見ているところがある
これまでにない大きな変化と言えるだろう
もう少し様子を見ることにしたい





2018年6月3日日曜日

染色作家柚木沙弥郎を発見



今日も日美には気付かず、始まってしばらくして行き当たり、いくつかの発見をした
染色作家柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)
1922年生まれなので御年96歳になるのだろうか
妻を亡くして16年、一人暮らしだという 
体は弱っているように見えたが、精神は若さを保っているのが分かった

その中で、最近書いたエッセイと共通することが語られていることに気付いた
自分の中で自分と問答する
ナイフとか器と対話する
それが楽しい
自分を取り巻くものとの対話
それがうまくできるのかどうかが理解に至るかどうかを決めている
そのことを実践されている様子が窺えた

また、形についても興味深いことを語っていた
形とは本質である
それは突き詰めれば、いのちになる
対象に出会った時に感じたものを表現するが、それは対象との対話であるという
形とは本質であるとは、まさにプラトンになるのだろうか
その意味ではわたしとの共通点も見えてくる

教え子の方も重要なことを語っていた
教えを受けている時は、神経質な先生だったという
しかし、年齢を重ねる毎にどんどんと自由になっていったと見ている
当時は想像もできなかった変容のようである

ご自身も還暦までは窮屈な気分で過ごしていたと言っている
行き詰まりを感じ旅に出たサンタフェで、おもちゃに出会った
それは、明るく生活を楽しんでいる人の作品であることを想像させるものであった
その時、この人生では何をやってもいいんだということに気付き、以来自由になって行った

自分のやっていることを心底楽しんでいる様子が伝わってきた
それが長生きと活力の維持に関係しているのだろうか
そんなことを考えながら視線をずらすと、遠くの棚の上のフクロウとピッタリ目が合った




2018年6月2日土曜日

第5回サイファイ・カフェSHE札幌、終わる



本日、第5回のサイファイカフェSHE札幌が無事に終わった
直前に急用のため参加できなくなった方もおられた
しかし、今回二度目になる札幌カフェの社長さんの参加もあり、活発な議論が行われた

今回のテーマは、最小の認識能をどこに見るのか、であった
専門外の方にはイメージし難いものだったかもしれない
参加された方はリピーターになるのでそのようなことはなかったとは思うのだが、、
ただ、時間があったので二度説明をしたところ、理解が深まったという声が聞こえた

講師の頭の中にはいつもあるテーマである
しかし、内容の各部分が一つの大きなテーマになり得るようなものである
一度の説明ではすぐに理解するのは難しかったかもしれない
賛成するか否かは別にして、最終的にはご理解をいただいたのではないかと想像している

会の詳細は近いうちにこちらのサイトにまとめる予定である
今回もお忙しい中、参加していただいた皆様には感謝したい
今後の活動にもご理解をいただければ幸いである




ところで、お昼に入ったレストランで北大の大学祭をやっていることを知り、足を延ばす
留学生のお国自慢の出店が目に付いた
北の端まで人ごみの中を歩くと農場に辿り着き、初めてその中に入る
一瞬だが、アメリカのどこかにいるのではないかという錯覚を覚える
サイファイ・カフェ前の適度の散策となった





2018年5月30日水曜日

翻訳が手を離れる



今週で翻訳の最終確認を終え、わたしの手を離れた
何かをやり終えたという感覚は全くない
今は生体防御について考える多くの方の一助となることを願うばかりである
ご批判もいただければ幸いである

今日は日本の歌を流れるままに聴いていた
記憶を刺激するものが意外に多いのに驚きながら
それぞれの時代に実に多くの歌を聴いていたことが分かる

今夜聞こえてきた30年前の懐かしい歌声を一つだけ
若き日の一時期、よく聴いた歌手である









2018年5月26日土曜日

不染鉄の画集、届く

  『没後40年 幻の画家 不染鉄』より


昨年秋に開催された不染鉄(1891-1976)の回顧展の画集が奈良県立美術館から届いた
早速、気になった海の絵を探してみた
ところが見つからない
・・と思ったが、おそらく絵葉書なのだろう、後ろの方にまとめられていた

『海底閑居之図』(1968)
不染77歳なので、晩年の作品
彼が辿り着いた境地を表していると言ってもよいのだろうか
添えられている文字が小さいので、読むのに一苦労

右横にタイトルがあり、左横に「私はお魚か」とある
適宜、書き出してみたい



    『海底閑居之図』(1968)
  『没後40年 幻の画家 不染鉄』より

此世は楽しい 何を見ても面白い 心が親切なれば 自然の方でも 私に親切だねぇ
自然と私とは別のものではない 自然即私だ ・・・
深海に住む魚のように 静に自分の心を見つめて
眞実とは何だ  倖せとは何だ 人生とは何だ 色々よく考へ かみしめよう
そしてさ 時々 此世へ 浮き上がり 人情の風にあたり ごちそうをたべ
そして深い深い海底へ沈んで
又 静寂の世界だ いいなぁ

普段は海の底に沈み、自省し、哲学せよ
その静寂の世界は何と素晴らしいことか、と言っている
そして、時には海の上に出て、人に触れ、うまいものを食べ、そして再び海底に沈む
そういう生活を理想としていたのだろうか

わたしのサイクルもこれと重なり、以下の記事に詳しい
不染の「海の底」がわたしの「フランス」で、不染の「此世」がわたしの「日本」と言えるだろう

  周年ライフサイクル(2016.11.30)

一瞬の偶然で発見することになった不染との思わぬ繋がり
まさに油断ならない
発見が溢れている此世も捨てたものではない


     『秋声(1918)
  『没後40年 幻の画家 不染鉄』より


もう一つ気付いたことがある
冒頭の方にある絵の屋根を見た時、10年前にオステンドで発見した画家のことを思い出した

  ヴァレリウス・デ・サーデレールという画家 Valerius de Saedeleer(2008.12.28)

まだまだ発見はありそうだ





2018年5月24日木曜日

学生時代の仲間と歓談



昨日は、ピエール・フランソワ・スイリさんに関する記事へのアクセスが異常に多かった
こういうことは偶にあるが、一体何があったのだろうか


ところで今夕、大学同期の歓談会に出席
わたしを含めて13名で、昨年の倍の参加があった
次第にこのような集まりの意味が大きくなるのだろうか
卒業以来初めての方もいたが、若き日の颯爽としたイメージが消え、最初は識別できなかった
それは見ているこちらも同じなのだろう

いつものように雑談の後、一人ひとり近況を報告
殆どがいまだに仕事をされている
手に職があるので続けられるのだろう
どうもプータローはわたし一人のようだ

先日案内したクリルスキー教授の講演会に参加するという方もいた
本もすでにアマゾンで予約注文されたとのお話を有難く聞く
経営に忙しい方もいれば、お孫さんの世話を楽しみにしている方もいる
奥様が大病をされた方、けがをされた方など、ご苦労されている様子が伝わってきた

次の瞬間どうなっているのか分からない危うい存在が我々である
そうだとすれば、必然的に今をどう生きるのかが問題になる
ただ、皆さんは将来のことも計画されているようである
驚いたことにそれが実に具体的で、夢の中にいるわたしとは大違いだ
現世に降りるということは、なかなか大変なことのようである

こういう会に参加すると世界が広がり、活力もいただける
これからも折に触れて参加したいものである





2018年5月20日日曜日

久しぶりの日本、そしていくつかの発見



ほぼ半年ぶりに日本に戻ってきた
フランスが奥まった書斎だとすると、日本は現実がすぐそこにある台所や居間になるだろう
フランスでは意識の底に沈んでいるが、日本ではそこから浮き上がるという感覚がある
この感覚は現在に至るまで変わらない

現在も翻訳の仕事に当たっており、最後になる三校のゲラを読んでいるところである
まだ修正を必要とするところが見つかる
ただ、今回は全体を頭に入れて読み直すことができるようになっている
そのため、この読みの後には修正点は最小限になるのではないかという予感はある
勿論、今のわたしのレベルにおいては、という限定付きではあるのだが、、

この間、気分転換にテレビをつけることがあった
それはいつも偶然に導かれたものになるが、少なからぬ発見がある
日本人のどこかにヨーロッパに対するあこがれがあるのだろうか
今回も美しいヨーロッパの情報が少なくないことに驚く

その中に直接関係するものがあった
今日のお昼に放送された「辻井伸行×パリ ~ショパンが舞い降りた夜~
テレビをつけた時、どこかで見たような人が出ている
ピアノの修復や調律を専門にされているフィリップ・ジョリーさんだ
彼の工房にある古いピアノで辻井さんが演奏をしているところだった
6年ほど前にこの工房を訪問したことがあり、当時を思い出しながら懐かしく観た

左岸のピアノ工房で現代を語る(2012.2.17)

そして、今朝の日曜美術館
そうとは知らずにつけた時には終わりに近づいていた
今日は不染鉄(1891-1976)という画家が取り上げられていた
勿論、初めての方で、第一印象は囚われのない絵を描く方というもの

変わった経歴の持ち主で若い時に漁師をしていたこともある
その時の経験が関係あるのかどうか分からないが、海の絵の中に興味深いことを書いていた
正確なことは忘れたが、次のようなところでオヤッと思ったのだ
海に沈んでいる魚と一緒に暮らす
真実とは何か、幸せとは何か、人生とは何かを考えよ
そして時に陸に上がり、いろいろなものを食べ、そして再び海の底に沈んでいく
これはわたしの生活環と同じではないか思い、目を見張ったのだ
ウィキにあった彼の信条も今ではよく分かるようになっている
「芸術はすべて心である。芸術修行とは心をみがく事である」
「いヽ人になりたい」
「いヽ人」とはパスカルの「オネットム」に当たるのだろうか
もう少し正確な言葉を知りたくなり、画集などを注文した








2018年5月16日水曜日

「免疫学と感染症に関する日仏セミナー」のお知らせ



サイファイ研究所ISHEは、今年で創立五周年を迎えます
これまでの皆様のご支援に感謝いたします
今後とも当研究所の活動へのご理解をよろしくお願いいたします

来月中旬に元パスツール研究所所長でコレージュ・ド・フランス名誉教授のフィリップ・クリルスキー博士著『免疫の科学論――偶然性と複雑性のゲーム』(拙訳)がみすず書房から刊行される予定です

この機会に日本パスツール財団がオーガナイザーとなり、クリルスキー教授の講演会と日仏科学交流の会を以下の要領で開催することになりました

サイファイ研究所ISHEも会の開催に協力しております

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

当日、みすず書房による本書の展示と割引価格による予約受付があると伺っております
生体防御や生命について考える際の一助として、本書を手に取っていただければ幸いです




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日時:2018年6月23日(土)14:00~17:50

場所:京都アカデミアフォーラム in 丸の内(新丸の内ビル10階)

使用言語:英語と日本語(同時通訳付き)

セミナー参加費:無料(先着申込順100名)
懇親会参加費:5,000円(60名)

申込方法:こちらの申込用紙に記入後、日本パスツール財団事務局までメール(jimukyoku@pasteur.jp)あるいはファックス(03-6228-5365)でお送りいただければ幸いです。

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プログラム概略:

14:00~14:10  開会挨拶
14:10~15:50 パスツール国際合同研究ユニット発表

16:10~17:00 フィリップ・クリルスキー教授講演
17:00~17:10 質疑応答
17:10~17:40 パネルディスカッション
17:40~17:50 閉会挨拶

18:00~20:00 懇親会

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会の案内とプログラム詳細
ポスター

ご検討のほど、よろしくお願いいたします。