2017年8月17日木曜日

初めての日本からのお客さんをお迎えし、トゥール観光

       久永真市先生(首都大学東京)


本日はトゥールに来て初めての日本からのお客さんになる久永先生をお迎えした
パリの学会前の時間を取ってトゥールを訪問していただいた
今朝パリに到着されたばかりなので、お疲れだったのではないだろうか

まず町中をゆっくり走る観光バスに乗り、目ぼしいスポットを見る
バスと言っても子供が乗るようなやつである
以前に旧市街などで見たことがあるが、今日初めてそのルートを知ることになった
なかなか趣のある町であることも発見
貴重な時間となった

観光は40分ほど
終点前で降り、小さな公園のようなところに出ているレストランでデジュネ
少し雨に降られたが、それほど影響はなかった

食後の散策がてら、お城の美術館 Jeu de Paume
今日はWilly Ronisの他に、Judith Wolfeという人の作品が展示されていて、興味を持つ
殆ど写真に収めた

それから、近くの美術館で2時間ほどたっぷり味わう
写真撮影がOKなので、非常にありがたい
このような規則になっている時、心の広さのようなものを感じることが多い
4-5年前に来た時の記憶が少しだけ蘇る

十分に堪能した後、駅前のブラスリーで今日一日と人生を振り返る
夕方の便でパリに戻られた
学生さん3名が発表されるとのこと
実り多き学会であることを願いたい


    Judith Wolfe,  Nomade 1 (2002)






2017年8月16日水曜日

精神が行動の人に



本日は明るい一日
午前と午後の二度外に出る
午前中、新たなプロジェを思い付く
そして、午後からそれに当たっていた

昨日ゆっくりしたせいか、思いも掛けないことを思い付いたものである
本来のプロジェに影響が出るのではないかとも考えられるが、どうだろうか
これまではぼんやりすることが仕事のような感覚があった
しかし、これからは精神が行動の人になるのだとすれば、それほど影響はないのではないだろうか

殆ど偶然が人生を決めている
それが分かると、その偶然をどこかで待つような気持ちが生まれる




2017年8月15日火曜日

11年振りの空海



早朝、どんよりとした曇り
暫くすると雨が降り出し、遠くに雷光と雷鳴が聞える
外を観ながら流していたYoutubeから空海の話が聞えてくる
以前に聞いたことがある内容だったので日付を見てみると2005年となっている
空海について書いた記事を思い出し、調べると2006年の正月になっている

その時はこの言葉に反応したようだ
「生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生の始めに暗く   死に 死に 死に 死んで 死の終はりに瞑し」  
『秘蔵宝鑰 』(ひぞうほうやく) 
以下、このように続いている

この言葉を聞いた時、すぐにウラジーミル・ナボコフの自伝の最初の文章を思い出す
ロリータ』の著者だ
"...our existence is but a brief crack of light between two eternities of darkness. Although the two are identical twins, man, as a rule, views the prenatal abyss with more calm than the one he is heading for." 
Vladimir Nabokov,  Speak, Memory: An Autobiography Revisited 
(われわれの存在は二つの永遠の暗闇の間にあるほんの一瞬の光にしか過ぎない。その暗闇は双子のように違いはないのだが、一般的に人はこれから向かう暗闇よりは生まれる前のそれを心安らかに見ることができる。)
すでに全ページが黄色に変色した1987年版を開いてみると、次の書き込みがあり楽しくなる
「1999年10月30日土曜、衛星放送。早坂暁氏によれば、『生まれる前も暗く、死んだ後も暗い』 というようなことを空海も言っている」  
ショーペンハウアーの『知性について』のなかにも次のような表現がある
「それで、ただわれわれの一生が短いだけではなく、われわれの認識も誕生以前にさかのぼったり、死後のかなたを見晴らしたりすることができずに、全くこの短い一生の間に視野を限られている。してみれば、われわれの意識は、一瞬の間だけを夜陰を明るくする稲妻のようなものである」
一瞬の生 LA VIED'UNE FRACTION DE SECONDE (2006.1.3)


今回反応したところは、少し違った
「虚空尽き  衆生尽き  涅槃尽きなば  我が願いも尽きん」
夢枕獏氏の解説はこうだ
「宇宙が消え、生きとし生きるものが消え、涅槃が消えた時、自分の願いは尽きる」という意味だが、空海はそれはあり得ないと考えていたので、彼の目指すところを永遠に続けるという意味になる。したがって、彼の精神は今も宇宙に満ち満ちている。
もう一つ反応したのは、儒教と道教と仏教の違いを『聾鼓指帰』(ろうこしいき)で語っているところ
空海はこう見ていた
儒教は人間社会という枠の中の話で、道教は個人レベルの話。しかし、仏教は個人を超えて、他の人や宇宙にも考えが及んでいる

 空海の思想の中にストア哲学にも通じる世界観があるように感じた





2017年8月14日月曜日

フランス10年目が終わるこの時期に



今日は朝から快晴で気分も盛り上がる
アパルトマンの前の木はたくさんの実をつけている
春先に見た美しい花は豆リンゴ?だったことになる
そう言えば、パリでも近くの路上にこの実が沢山落ちていたことを思い出す
その時は上の方を見ることにはならなかったが、、

午後から空一面に綿雲が現れ、そこで微動だにしない
空にも平和な静寂が訪れたといった風情だった
街に出て、昨日閉まっていたカフェに入る
こんな考えが巡っていた

これまでのように大上段に構えて事を始めるようとすると、なかなか始められない
気が付いた時に小まめに事を片付けていくという方が捗るのではないか
何度も気付いていることに改めて思い当る
要するに、やれてなかっただけなのである

これは他のことにも当て嵌まりそうだ
つまり、これまでの静かな時間の中で、わたしにとっての問題点は出尽くしている
さらにぼんやりとした時間の中に遊ぼうとするのではなく、そこから出てやるだけではないのか
求められているのは、ベルクソンの神秘主義者ではないが、広い意味での開かれた行動
そんな心持ちになってきた

丁度、フランス10年目を終えようとする時期に当たる
それは、これから新たな10年が始まるということなのだろうか?




2017年8月13日日曜日

ベルクソンの神秘主義者



このところ、朝はいつも曇っているが、午後に晴れ間が見えるという状態が続いている
今日も同様で、午後からAssomption(聖母の被昇天)前の静かな町に出た
行きつけのカフェが閉まっていたので新しいところへ

最近気になっている言葉に mystique(神秘主義者)がある
山に籠って只管瞑想しているような人を想像するが、一体どういう人のことを言うのだろうか

アリストテレスによれば、最も善きものはその存在にとって本性的で固有なものである
人間の場合、それは精神生活を全うすることだという
それは同時に幸福を齎すことになる
幸福を表す言葉「エウダイモニア」には、神に祝福された状態という意味がある
ダイモーンは神と人間との仲介者を指す
つまり、知的活動だけを生涯に亘って続けることは、神に祝福された状態にあることを意味する
それは人間を超えた「神的生活」とも言えるものになるのだろう

ベルクソンの言う神秘主義者も人間ではあるが人間を超えた存在を指している
神と接することができる存在ということになる
アリストテレス同様、そのような人間が存在し得ると考えている
ただ、ベルクソンは思索だけの神秘主義者を認めない
物理的制約を背負っている人間が、その限界を乗り越えて行動をしなければならないという
その行動は神的とも言えるかもしれない
行動を通して社会に開き、それが創造へと向かう可能性を神秘主義者に見ていたのだろうか




2017年8月10日木曜日

本日も降ったりやんだりの一日



本日も落ち着かない天気だった
お陰様で、行きと帰りの歩いている時だけ雨に濡れた
今日も比較的よく集中できたのではないだろうか
所謂物理的な時間が意識から消えていたという点で

それにしても涼しい日が続いている
このまま行ってくれると天国である





2017年8月9日水曜日

雨が降ったり止んだりの一日



このところ凌ぎやすい日が続いている
アパルトマンにいると涼しいくらいだ

昨日、今日と朝起きると雨の跡が残っていた
昨日は夕方雨が降り、その後青空が覗いた
今朝は落ち着いていたが、雨が激しく振り出した
暫くすると青空が見えたので、旧市街に出ることにした

先日見つけたカフェに入った途端、土砂降りになった
3時間ほど落ち着いてから出た
すぐに帰るのは早すぎるので、リブレリーへ
何冊か手に入れ、カフェを代えて暫く読む
ここでも休み始めると雨が降ってきた

今日は雨が降ったりやんだりの一日
雨に濡れた石畳も悪くない
夕方、明るくなってきたので帰ることにした

ところで当地の夏、外に出なければ快適だが、最後までこの調子なのだろうか
そうであれば素晴らしいが、もう少し様子を見てみたい




2017年8月7日月曜日

ちょっとした捕り物、そしてヘンリー・ミラーのフランス語を聴く



昨日はちょっとした捕り物があった
扉を開け、机に向かっていた
暫くして後ろを見ると、自分の家のように座っている猫がこちらを見上げているではないか
以前にバルコンに来ていた猫だ
それとなく外に出てもらうように優しく扱うと、何とか出て行ってくれた

更に暫くすると、バルコンの仕切り越しに若い女性が顔を出し、自分の鼻を指さしている
それはわたしの!ということだろう
例の騒音を出す老夫婦とは反対にお住いの若夫婦になる

早速、猫を捕まえようとしてバルコンに出ようとしたが、すぐに入って来ようとするので諦める
そこで、バルコンのシャッターを閉じて、好奇心をそそると思われる中が見えないようにしてみた
それから10分程してシャッターを開けると、例の女性が同じように顔を出し、親指を上げている
上手く確保できたようで、ホッとした


今朝は事務手続きがあり街に出た
少し早く着いたので、建物向かいの路上のテーブルに座り、コーヒーと共に読み物をする
朝の屋外の何と気持ちの良いことか
すいすいと入ってくる

用事はこれまで何度も書いているように、パリとは比較にならないほどの快適さのうちに終わる
周辺を散策、本当に久しぶりのカフェに落ち着き、読み進む
お昼になったので、もう少し歩き、いつものカフェでデジュネ
その後、さらに読んでから帰ってきた
今日は帰りだけ歩きになった





帰宅後、記憶を刺激されたのか、ヘンリー・ミラーのフランスでのインタビューを観る
外国人のフランス語を耳にすると、臆せずに話さなければならないという気にさせてくれる

以前にも触れたが、わたしのフランス語には英語アクセントがあると言われることがある
こんな風に聞こえているのだろうか
まあ、ここまで来れば、アクセントなど気にせずにやるしかないだろう
こちらに来る時には、キッシンジャーの英語のようなフランス語が夢だったのだから






2017年8月5日土曜日

デカルトの人生




" et il y a justement huit ans, que ce désir me fit résoudre à m'éloigner de tous les lieux

où`je pouvais avoir des connaissances, et à me retirer ici, en un pays... où parmi la foule

d'un grand peuple fort actif, ... sans manque d'aucune des commodités qui sont dans les villes

les plus fréquentées, et j'ai pu vivre aussi solitaire et retiré que dans les déserts les plus écartés. "


「そしてちょうど八年前、こうした願望から、知人のいそうな場所からはいっさい遠ざかり、

この地に隠れ住む決心をした。・・・ わたしはその群衆のなかで、きわめて繁華な都会にある

便利さを何ひとつ欠くことなく、 しかもできるかぎり人里離れた荒野にいるのと同じくらい、

孤独で隠れた生活を送ることができたのだった」 (谷川多佳子訳)






2017年8月4日金曜日

静かな金曜日



本日はほぼ終日曇り
翻訳の最初の校正がやっと始まった
昨年9月に脱稿しているので、ほぼ1年が経過したことになる
そのため新鮮な気持ちで向き合えそうである

今日はその他、ネット上にあった日本語の文章を読む
いくつか参考になることがあった
と同時に、日本語がすんなり入ってくるので、思考が流れてしまいがちであることも分かる
一語一語辿るフランス語の場合との大きな違いだ

10年以上前のノートを読み直す
こちらに来る前の精神状態が書かれてあるが、忘れていたことも少なくない
当時から枠を取り払って思考を巡らせることをやって来なかったことに気付いていた
瞑想という言葉を使っていたが、その中身はよく分かっていなかったはずである
それが分かったと感じるまでに10年掛かったことになる

それから、思いも掛けない人と思いも掛けない言葉を交わしていたりする
体重を減らさなければ、などという記述もある
そして、何とその時の体重が今より10キロも少なかったことに驚く
10年後は同じ言葉を発する気にはならないようだ