2018年2月18日日曜日

SN 比の高い世界



サイファイ研の催し物に参加される方で、折に触れて研究成果を送ってくれる方がいる
最近、モスクワの学会で発表するための抄録が届いた
今朝それを読んでいると、これまで感じてきたことと関連することが出てきた
先日、日仏での生活で感じる違いとしてディスタンスを挙げた

 環境とのディスタンス(2018.1.27)

今回は生活におけるノイズの差という視点からもこの問題を理解できることに気付く
ノイズの低い環境として僧院が挙がっていたので、そのことに気付いたのだ
低ノイズの世界から優れたものが生まれてくるという
ノイズが高い場合、どうでもいいことに意識が向かってしまうからだろう
シグナル・ノイズ比が低くなり、シグナルがノイズによって隠れてしまうのだろう
日仏の比較で言えば、こちらのノイズが圧倒的に低いと言える
おそらく、そのために自己への集中が容易になるのだろう
そこで起こっていることが手に取るように分かるようになるのである






2018年2月17日土曜日

第2回パリカフェのご案内



今年前期のサイファイ研究所ISHEの活動を準備しております
第2回になるパリカフェの予定が決まりましたのでお知らせいたします

第2回パリカフェのご案内
ポスター

日 時: 2018年4月21日(土)16h~18h

「最小の認識を考える」
 « Penser le problème de la cognition minimale »

今回はミニマル・コグニション(minimal cognition)という問題について考えます。これは認識を構成する最小要素は何なのかという問いに関わるもので、最初の認識能が進化のどのレベルで現れるのかという問題でもあります。この問いに対して、研究者や哲学者はいろいろな基準を出しています。しかし、それぞれの基準の枠内では認識能を有する生物とそうでないものとの境界は比較的明瞭ですが、どの基準を採用すべきなのかというコンセンサスがないように見えます。この問題をどのように考えるべきなのかについて講師が概説した後、議論を展開していただきます。今回、パスツール研究所のマルク・ダエロン博士(元免疫部長)にも議論に加わっていただくことになりました。この問題に興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。

Nous allons discuter du problème de la cognition minimale (minimal cognition), qui concerne les exigences minimales pour la cognition ou quel organisme dans l’arbre de vie a cette capacité. Il y a beaucoup de propositions pour la condition minimale, qui vont du centrisme cérébral aux réactions biochimiques, mais un consensus n'a pas été atteint. Cette fois, le Dr Marc Daëron de l’Institut Pasteur (ancien directeur du Département de l’immunologie) va participer à la discussion. En espérant vous y voir. Merci !

会 場: Le Bloc, Espace de Coworking, Salle de Réunion (Bleue), 
10 bis, rue du Sommerard, 75005 Paris


参加希望の方は、she.yakura@gmail までご連絡いただければ幸いです

本活動へのご理解、ご協力をよろしくお願いいたします





2018年2月15日木曜日

チベットの瞑想音楽がよい



色々なプロジェに当たっている
音が何もない、永遠に広がる空間の中に身を預けるのがよいこともある
実際には「精神を」ではあるが、、
何かを自分の中から探し出そうと考えている時は、これでなければならない

あるいは、音楽が遠くで流れているような感じがよいこともある
比較的単調に見えることをやる場合である
言葉が入っていたり、感情を掻き立てるようなものは駄目である
普通のクラシック音楽もいろいろな情念を呼び覚ますので、駄目の部類に入る

このためにはチベットの瞑想音楽が打ってつけであることが分かった
いつもの偶然によったものだが、騙されたと思って聞いてみたところ意外な効果があった
例えば、こんな具合である









2018年2月14日水曜日

哲学固有のものとは



昨日は朝の内曇っていたが、お昼前には雪となった
最初細かく、後に大きな雪の乱舞となった
そして最後は霙になり、夕方にはそれも上がった
ごみ収集車はまだ来ていないようだ

昨日のローティ氏の話で、もう一つ思い出したことを書き留めておきたい
それは哲学に関することである
彼は哲学は文学だとしていた
哲学に特有のものはなく、ただ、西欧文化(の伝統)について語ることだと言っていた
その時に読むのが哲学書であり、文学者は文学を読むという違いだけだという
極々当たり前のことであるかのように、そう言っていた
英語では、matter-of-factlyとでも言うのだろうか
これには少々がかりしたが、やっぱりかという感じであった
自分が辿り着いた認識もそこにあったからである

それはこういうことである
わたしが哲学に入った時、哲学に固有の思考法があれば学びたいと思っていた
しかし、マスターの2年間でそういうものは見えてこなかった
教師自身も「哲学に固有の」ということを意識しているようには見えなかったからだろう
その結果、哲学に固有の思考法はなく科学の頭でも対応できると結論した
哲学が哲学たり得ているのは、哲学の伝統の上に立って考えているからということになる
それは余り面白くない結論ではあった
とすれば、どういうことになるのか
哲学の方法論を探るには、自らが人類の遺産に当たらなければならないことになる
彼らがどのように考えていたのかを地道に学ばなければならないと悟ったのである





2018年2月13日火曜日

「独我」は避けなければならないのか




昨日、寝る前にアメリカの哲学者リチャード・ローティのインタビューを観た
例によって、偶々現れたからである
暫くすると、その発言に驚くところが出てきた
この最初の接触で抱く印象を捉えることが重要だ
記憶を辿ると、彼はこんなことを言っていた
形而上学はルールのないゲームだ
好きなことを言って逃げ切ればよい
この世界は観念で出来上がっているとか、モノだけだとか
両者の間で発展的な了解が成立するとは思えない
わたしはプラグマティストで反プラトン主義者
絶対的真理などというものを問題にしない
分析哲学と大陸哲学がある
前者はアングロサクソンで優勢で、問題解決の志向がある
後者は西洋の文化を語るという傾向があり、narrative philosophyとも言える
わたしは分析哲学ではなく、narrative philosophyに属するだろう
これらの発言に反応したのは、これまで自分も考えてきた問題だからだ
そして、彼の立場が自分のものと違っていることが見えたからである
特に形而上学に関しては、捉え方が表層的で一面的に見える  
あるいは、その対比により自分の立場がより明確になってきたと言った方がよいだろう

暫く話を聞いているうちに最初の驚きが薄れてくるのが分かる
なので、最初の印象を覚えておくことが重要になる
と同時に、一人の世界にいて内なる声とともに考えることが重要であることも見えてくる
(これ自体がプラトニシアンの印になるのか)
このような話によって影響されることがなくなるからだ
その意味では、勉強し過ぎるのもよくないのだろう
勿論、熟した後には外に出て晒さなければならないのだが、、

この態度は独我論になりやすいと批判されることもある
ローティ氏もおそらく反対を示すのだろう
しかし、残っているものは皆、「独我」の要素満載である

この議論少々独我的に過ぎただろうか


もう一つ思い出したことがある
それは核兵器が存在する世界の問題である
彼の結論は、テロリストが核で襲撃することを防ぐことは誰にもできないというもの
大戦後に核廃絶の機会はあったが、今ではどうしようもないと諦観しているように見えた
生存中にその現実を目にすることがなかったのは、彼にとっては幸いであった






2018年2月12日月曜日

雪の影響か



今朝は気持ちの良い快晴となった
ゆっくりとその時間を味わう
満足したところで外に出た
なかなか進まないプロジェに向き合う
諦めて、「付き合う」という感覚が必要になるようだ

街の至る所にごみ収集用の大きなボックスが出されているのが目に付いた
殆どから溢れんばかりのごみが顔を出していた
おそらく、先日の雪の影響ではないかと思う
収集車が来ていないのだ
配達でも遅れているものがある
あの程度の雪で、と思うくらい交通網は弱いようだ




2018年2月11日日曜日

悍ましい煙草の箱



本日は曇ってはいるが、陽の光が見えるまずまずの一日
向かいのグラウンドの鮮やかな緑も戻ってきた
外に出る予定ではあったが、籠ってゆっくりすることにした
4つほどのプロジェに当たる

ところで、昨日外に出た時、久しぶりにシガリロをやりたくなり、タバへ
そこで驚いたのは、すべての箱に癌や病人などの写真が印刷されていることだった
大きな太文字の警告文とともに
以前はここまで徹底されていなかったように記憶しているのだが、、
フランスの美意識もどこへやら、悍ましいものを見た気分であった





2018年2月10日土曜日

別の異次元の後は望む異次元へ



昨日は素晴らしい朝焼けでスタートしたと思ったが、暫くすると雪になった
午前中は降り続けていたが、午後には止み、夕方には快晴となった
雪が止んだところで旧市街に出た
コーヒーの中に眠り薬が、とでも思われるくらい急に眠気が襲い、驚く
前日とは打って変わって、別に異次元に入ってしまった
全く何が起こるかわからない

今朝も快晴でスタート、午前中はたっぷり日の光を味わった後、中心街に出た
お馴染みの景色も輝いて見える雪の翌日である
今日は気分も新たに新しいカフェで、望む異次元の中に入ることができたようだ

ところで、こちらの交通機関では無賃乗車の抜き打ちチェックがある
パリでも係員が車内に入ってくるものから、通路で待っているものまでいろいろだ
中には通路が曲がったところに隠れるようにして待っている場合もあった
その状況はトゥールでも変わらない

今日はバスの中でちょっとした捕り物があった
バスの中に入ってきた係員に気付いた乗客の一人が突然走るように出口へ向かった
そこですぐに反応した係員が乗客を押さえつけ、外に連れ出し拳を振り上げた
そこに数名の同僚が駆け付け、拳を振り下ろすことなく終わった
我々の体の中で衰えているように見える獣性が顔を出すのを見た






2018年2月9日金曜日

異次元で集中



昨日は久しぶりに気持ちの良い快晴になったので、午後から外に出た
やはり、外でなければできない集中があるようだ
現世が消えるこの感覚、何とも言えないものがある  
2か所に寄り、プロジェを少しだけ前に進めることができた
2軒目では数十人の日本人団体を見かけた

おそらく雪のせいだろう、街ゆく人の心も弾んでいるようであった
以前にも触れたが、トラム車内で駅のアナウンスの後にハミングするところが数か所ある
昨日はそれに合わせて歌声が上がっていた




2018年2月8日木曜日

雪解けの朝



昨日の午前中は雪が深々と降っていたので、雪を見て過ごそうかと思っていた
しかし、午後から止んでしまった
今朝は空は晴れ上がり、雪が降った翌朝の光輝く景色が広がっている
雪解けの雫が落ちてくる音も響いている
実に気持ちがよい日となっている


ゲラの見直しだが、もう一度見直すことにした
編集者からのバージョンが入るにはもう少し時間がかかりそうだからである
最初の原稿の見直しを入れると、3回目になる
この後、編集者のものと突き合わせるので、それが4回目
そして、両者を統合した最終ゲラについてチェックすることになる
結局、目が5回入ることになる
この目が節穴でないことを願うばかりだ
手間はかかるが、すべてのプロセスがアーティザナルな感じがしてなかなかよい
いま、アーティザナルな営みに立ち返る必要があるのかもしれない