2017年10月31日火曜日

取り敢えず一段落



昨日はベルクソン・カフェで読んだテクストの試訳を終えることができた
そして本日は、溜まっていた事務的な仕事を2軒ほどカフェの梯子をして何とか終えることができた
これですっきりした
と同時に、気分が新たな準備状態に入りつつある
少し精神を休ませ、肉体を使う時間を取りながら様子を見たい






2017年10月30日月曜日

学友といつもの談笑、あるいは目の前の鏡



今日は帰国の度に声を掛けていただいている学友お二人とのデジュネがあった
これまではディネであったが、お仕事が忙しいのか昼時の談笑となった
兎に角、未だに仕事をされていることに感服する

前回もそうだったが、意識の三層構造について話をする
さらに理解が深まっているようであった
第三層がなくても生活はできるという意味では必須ではないのかもしれない
そのためか、その存在に気付かないことが多い
しかし、我々が人間であることを考えれば、欠かせないように思うのだが、、

学生時代から知っている人は、その人間の根になるところを見ている可能性がある
少なくともそう唱える人がいた
その方から「超世俗的」という言葉が出てきた
わたしの辞書にはなかった言葉だ
それは何と、わたしの若い時の特徴を捉えた言葉で、いまも変わっていないという
これには本当に驚いた

それにしても自分の姿はなかなか見えないものである
こういう瞬間、自分の前に鏡があることを意識する
貴重な時間であった







2017年10月29日日曜日

すっきりするが、詰まらない世界



すべての活動を終え、一夜明けた
会を始める前と今では何かが大きく変わっているのが分かる
それを解析するのは、これからになるだろう

この振り返りの過程が重要だと気付いて久しいが、重要だというより深い悦びを齎してくれるのだ
あるいは、悦びを齎してくれるので重要だとも言える
義務感を伴う重要性ではないのだ

この過程は記憶がなければできないことである
如何に記憶が重要であることか
その形は違っても、すべての生物が記憶を持っていることに深く納得する

さて、昨日、心身問題についてカール・ポパーが語っているのを読む機会があった
こころと脳の関係をどう見るのかというこの問題に対して、人間はいろいろなことを考えてきた
一方の極に、過激な唯物論、物理主義がある
すべては物質からできていると考えるので、そもそも心身問題は存在しないという立場だ
他方の極には、バークリーなどの過激な唯心論がある
そして、その間にはいろいろなニュアンスを持った考え方がある

注目したのは、過激な唯物論あるいは唯心論に対するポパーの評価であった
これらの考え方は論理的には問題がなく、それで心身問題は片付くように見える
しかし、それは問題を解決したのではなく、興味深い問題を排除しただけである
つまり、頭の中はすっきりするが、何と詰まらないのだろうか、と言っているのではないだろうか
これは、わたしがこれまで感じ続けてきたことと繋がる






2017年10月28日土曜日

第2回サイファイ・フォーラムFPSS、盛会のうちに終わる



本日は午後から日仏会館で第2回のサイファイ・フォーラムFPSSを開催した
雨交じりの天候にもかかわらず、多くの方に参加していただき、会は盛会のうちに終わった

今回は4名の方に15分の発表をしていただいた後に20分のディスカッションの時間を取った
想定内ではあったが、議論の時間が十分に取れず、掘り下げが十分でないところが少なくなかった
また、進行役の不手際でご迷惑をおかけしたこともあった
この経験から、今後の指標のようなものが少しだけ見えてきた感じがする

これからも試行錯誤を繰り返していくことになると思われる
皆様のご協力をこれからもお願いしたい
話題を提供していただいた皆様、ならびにその発表に的確に反応していただいた皆様に感謝したい

次回は来年の春以降になると考えている
詳細が決まり次第、サイトに掲載する予定である

今日で今回の日本での活動がすべて終わったことになる
どうなることかと思った1か月10回の会だったが、どうにか終えることができた
少しだけ、コツのようなものを掴んだ気がする
それは、そのようなものだと思って「その時間の流れを淡々と感じる」という簡単なことである
以前は、それを「耐える」と言っていたものである


会のまとめ





2017年10月27日金曜日

第12回サイファイ・カフェSHE、無事終わる



本日も朝から準備に追われた
テーマが「ミニマル・コグニションを考える」となっており、何のことを言っているのか分からない
そんな中、週末の夜にも関わらずお集まりいただいた皆様に感謝したい

これまでのテーマよりも専門性が増したという印象を持たれたようである
ざっくばらんに言えば、分かり難い話だったようだ
生物が複雑でダイナミックな環境で生き残るためには、記憶と情報処理を基にした決定過程が必須だ
昔はこの仕事は中枢神経系が担っていると深く考えることなく思っていた

しかし、最近では必ずしも中枢神経系に依存しないという見方が広がりつつある
それでは、どこまでを神経系様の機能と考えているのだろうか
その機能を広くコグニションと言い、その最小限の条件をミニマル・コグニションと言っている
コグニションは認識と訳すこともできるが、ここではもっと基本的な過程のことを指している
すなわち、情報の獲得、保存、処理、使用に関わるメカニズムとして論じられているようだ

これまで、脳、ニューロンに関連した構造と機能を持っていなければならないという考えがあった
その後、神経とは関係がないが、感受して運動に変換されるものもコグニティブだと考える人が出た
さらに極端な例は、運動とは関係しないシグナル伝達や遺伝子ネットワークまで含める人もいるという
いずれの場合も、そのように定義した時、その枠内では比較的明確に選別ができる
しかし、どの定義を正当なものと考えるのかという問題が出てくる

それに対して、免疫系での解析結果を絡ませて、適切ではないかと思われる見方が提示された
直感的にはなかなか受け入れられそうにもない説である
講師も100%確信しているわけではないが、論理的には矛盾しないのではないかと考えている
まるで先週のプラトンの霊魂不滅の証明のように、あっという間の出来事であった
いずれにせよ、今後いろいろな批判を受けながら、練り上げていく必要があるのではないだろうか
参加された皆様の感触はどうだったのだろうか

カフェの中でも懇親会でも様々な議論が出たという意味では、よいテーマだったと言えるのだろうか
少なくとも議論を呼ぶテーマであったことは間違いなさそうである


会のまとめ






2017年10月26日木曜日

パスツール財団でのランデブーで新たな方向性が見える



今日は午後からパスツール財団でランデブーがあった
帰国の度に代表理事の渡辺様にいろいろなお話を伺っている
今回も財団のパーティーが終わったばかりでお疲れのところ、2時間以上も時間を割いていただいた

まず、最新のニュースを教えていただいた
パスツール研究所の新しい所長がスチュアート・コール博士に決まったばかりとのこと
訪問先のパリでニュースを目にされたようだ
コール博士はイギリス人微生物学者で、ヨーロッパを広く経験されている人物
ご本人の専門とは関係なく、感染症が研究所の最重点課題であり続けることに変わりはないだろう

それから、財団の活動が新展開している様子と来年に向けてのプロジェクトをお聞きした
お話を伺っていると、プロジェクトの中にサイファイ研ISHEが絡むことができそうなものも見受けられた
まだどうなるのかは分からないが、来年に向けて注目しておきたい

その他、フランスの科学書の翻訳の問題が出ていた
意外に訳者の人口が少ないようだ
人文系の人だけで訳したり、科学者とフランス語の専門家という組み合わせも少なくないようだ
忙しい時代に入っているので、科学者がわざわざフランス語をやるということは考え難い
時間が許せば、そこに少しは貢献できるのではないかという気になる
ただ、これまでの経験では、あの勤勉さが求められる「仕事」は体に合わないと感じているのだが、、

また、科学者の文化度についても話題になった
科学から生まれる事実だけを論じるところで留まっているケースが多いのではないか
それは科学の世界そのものではあるのだが、そこを超えて考えることが求められるのではないか
そんな話も出ていた 

それは余裕がなければ生まれない世界で、科学に対する態度の成熟度を表しているようにも見える
暇がなければ文化は成熟しないのである
そこにフランス的と言ってもよいだろう科学の捉え方が示唆を与える可能性を見ているのだが、、
どうだろうか






2017年10月25日水曜日

東京理科大学、最終の第三講終わる



昨日は終日の準備だったが終わらず、今朝に持ち越された
しかし疲労が蓄積しているのか、今朝は危うく遅刻しそうなお目覚めであった
デジュネの予定もキャンセルして、最後まで準備
最後の電車の中で最終版が出来上がった
問題はまだ待っていた
今日は雨天のため、駅前にタクシーが一台もいない
慌てることなく待っていると、時間通りに教室に滑り込むことができるタイミングで現れてくれた

今日のテーマは生命倫理という大きな領域だが、基本的な考え方と個別の問題を一二取り上げた
個別の問題として、生の終わり、死に纏わる問題、死の誘導と不死について考えた
不死とまでは言わないが、例えば人生150年となった場合にどのようなことが考えられるのか
人生は長ければよいのか、そのような社会に新たな問題は出て来ないのかなど、、問いは尽きない
健康状態にもよるのだろうが、そんなに長く生きたくないという考えの学生が少なくなかった
老人が増えている今の社会の状況を反映しているのだろうか
今日で3回目なので、普段はやっていないと思われる頭の使い方にも慣れてきたように感じた

今回のテーマはフランスにいる時にぼんやり考えていたこととは異なるものになった
向こうにいると、日本の状況を現実感を持って捉えられないところがある
そのためだろうが、なかなか手を付ける気にならないのである
こちらでやり始めてその次が見えてくるという感じだろうか
最後の最後まで、というやり方はこれからも変えられそうにない 

今回は3回に亘って生命と倫理について考えたが、講師の中にも一つの枠組みが出来つつある
これからそれを基に考えを広げていくことができるのではないだろうか
その意味では貴重な経験をさせていただいた






2017年10月24日火曜日

自己への参照を経ながら進める



平凡な日常である
すなわち、準備のために静かに頭の中を整理している
勿論、まだその姿は見えていない

今月の準備の時間で感じてきたこと
それは、機械的に作業をこなすというのではなく、自らに還るように行われているということである
自らの外にある知識を外にあるままで集めるのではなく、常に自己に参照しながら纏めようとしている
そのことと関係しているのかどうか分からないが、最後まで慌てることがなくなっている
精神の上での疲労や拘束の感覚がないどころか、深い満足を感じるようになっている

そのことを明確に意識したのは、今回が初めてではないだろうか






2017年10月23日月曜日

準備の合間にアーチボルド・マクリーシュを発見



昨日は台風の影響で時々強い雨が降っていた
今日は台風と選挙一過の気持ちの良い秋の日となっている
わたしの方は、途中散策を交えながら水曜と金曜の準備をする
今月のこれまでの状態を考えれば、まだ余裕があるという感じである
つまり、まだ盛り上がってこない

今日、準備の過程でアーチボルド・マクリーシュというアメリカの詩人にして劇作家を知った
Archibald MacLeish (1892–1982)
アメリカ議会図書館長も務めた
ピューリッツァー賞を詩の部門で2回、演劇部門で1回受賞しているという
次のような言葉が目に入った


"Freedom is the right to choose: the right to create for oneself the alternatives of choice. Without the possibility of choice and the exercise of choice, a man is not a man but a member, an instrument, a thing." 


Dr. Sigmund Freud Discovers The Sea Shell

Science, that simple saint, cannot be bothered
Figuring what anything is for:
Enough for her devotions that things are
And can be contemplated soon as gathered.

She knows how every living thing was fathered,
She calculates the climate of each star,
She counts the fish at sea, but cannot care
Why any one of them exists, fish, fire or feathered.

Why should she? Her religion is to tell
By rote her rosary of perfect answers.
Metaphysics she can leave to man:
She never wakes at night in heaven or hell

Staring at darkness. In her holy cell
There is no darkness ever: the pure candle
Burns, the beads drop briskly from her hand.

Who dares to offer Her the curled sea shell!
She will not touch it!--knows the world she sees
Is all the world there is! Her faith is perfect!

And still he offers the sea shell . . .

What surf
Of what far sea upon what unknown ground
Troubles forever with that asking sound?
What surge is this whose question never ceases?




2017年10月22日日曜日

第2回ベルクソン・カフェ2日目、終わる



昨日はベルクソン・カフェ2日目を開催した
前日の会の直後だったので準備が大変であった
今日は会場に向かう山手線の中でやっと最後の形が見えてきた
それほど遅れることなく何とか会場に辿り着いた

今回は直前に2名の方の欠席が伝えられたので、初回と同様に3名の方の参加となった
前回も感じたが、これくらいの人数だと肩ひじ張ることなく自然に議論ができるという印象を持つ
信州から参加された方もおられ、感謝したい
以下に簡単にまとめてみたい

ピエール・アドー氏のエッセイ「生きることを学ぶ」の後半4ページ半を3時間で読んだ
今日のところでは、ストア派とエピクロス派の対比が出ていた
ストア派は自己に常に注意を向け、道徳的な逸脱を監視している
プロソケイである
将来起こるかもしれない災いを思い描いて、その時が来ても耐えられるように準備する
プレメディタチオ・マロールムという
その意味では、精神が常に緊張を強いられる状態にある

それに対してエピクロス派は、この緊張を解こうとする
辛いことを思い描くのではなく、楽しいことを考え、コントロール可能な現在への集中を説く
「その日を摘め」(カルペ・ディエム)である
エピクロスは有名な「四つの治療法」(テトラファーマコン)を提示した
「神々は心配するに値しない。死は危険がない(死んだ後には何もないので心配する必要はない)。善いものは手に入りやすい。そして、悪いものは耐えるのが容易である」
これらは当時の人々を心配事から解放しただろうことを想像させる

そして、物理的な世界を瞑想すること、無限を想像することは、もの見方の完全な変化を惹起する
そこで広がるのは閉じた宇宙が無限に膨張する像で、自然がその姿を露わにする像である
この行為自体が魂の悦びを引き起こすのである
エピクロス派は友情を大切にし、共同体を作った
そこでは良心の検討と関連する誤りの公共での告白、友愛を基にした誤りの訂正が行われた
そして、それ自体が魂の鍛錬になったのである


会のまとめ






2017年10月20日金曜日

第6回カフェフィロPAWL、終わる



本日は、第6回のカフェフィロPAWLを開催した
他の会と同様、開始5分前にやっとのことで纏まりを作ることができた
そのためかもしれないが、最初のカフェでの撮影を完全に失念していた
懇親会には4名の方が欠席されたので、全員で9名の参加があった
その内、新しい方は北海道から参加された方を含めて3名であった

今日は、魂と肉体との関連を扱っているプラトンの『パイドン』を読んだ
真の哲学者についても論じられていて、人間は如何に生きるべきかという問いにも繋がるものである
心身問題は現代でも解決されていないテーマで、その原点にある作品と言ってもよいだろう
機械論者から見ると、魂の永遠などというテーマは議論するに値しないものかもしれない
事実、少し余裕を持った見方をする方々との間で興味深い活発な議論が展開していた
それはそのまま懇親会にも持ち込まれていた

わたし自身は霊魂不滅の真偽には興味はなく、生き方と絡めて読んでいた
つまり、そうだと想定した時にプラトンが考えたことには聞くべきところがあるという立場である
魂が永遠に存在するのであれば、魂の面倒は見なければならない
そのためには肉体の影響をできるだけ遠ざけ、魂そのものになって対象を観、考えるようにすること
肉体が魂の働きを邪魔するからである
そうしなければ真理は見えてこない
死が魂と肉体との乖離であるとすれば、真の哲学者の生き方は死人同然であるということになる

日本から見ると、フランスでのわたしは死人に近いと言えないこともない
おそらくそのためだと思うが、思索に集中するには良い状態にあるように見える
そのようなこともあり、プラトンの言いたいことはよく分かると感じながら読んでいた
参加された皆様はどうだったのだろうか
何かを考える機会になったとすれば幸いである

週末のお忙しい中、参加していただいた皆様には改めて感謝したい


会のまとめ









2017年10月19日木曜日

サイファイ研ISHEの活動への参加者数に驚く



今日は、明日のカフェフィロPAWLの準備をした
勿論、まだ姿は見えていない
最後の最後まで姿が見えそうもないことに変わりはないだろう
今回はプラトンの『パイドン』を読むことになる
実は昨日、懇親会で出た話がこのテーマにそっくりそのまま繋がることに驚いていた
こんなによく繋がるとは、という感じだろうか


今日、これまでのサイファイ研の活動に参加された人数について初めて調べてみた
昨日の雑談の中で訊かれたからである
その結果、総数が160名にも及ぶことが分かり、驚いた
リピーターの方もいるので、延べ人数となると更に多くなる
また、今年の春から始めたFPSSについては賛同者が36名で、今回も20名ほどの会になりそうである
これらの会で展開された議論がわたし自身を刺激し、変容に大きな影響を与えていたと想像される
参加された方々にも何らかの影響があったことを願いたい

これまでお時間を割いて参加された皆様に改めて感謝したい






2017年10月18日水曜日

東京理科大学、第二講とセミナーが終わる


  (左から)安部良、北村大介、水田龍信、小園晴生、久保允人、岩倉洋一郎の各先生


今日は、生命倫理シリーズの講義の直後にセミナーというハードなスケジュールであった
昨日は都内を移動しながらその準備のために明け暮れた
しかし、予想通り終わらず、今日の午前中に縺れ込んだ
昼食の予定もキャンセルして、何とか生命医科学研究所に滑り込むことができた
本当に困ったものである

今日の講義は「生命について」という大きなテーマとした
先週の英語の講義がどれくらい理解されていたのは分からなかったが、今日その実態が知らされた
実は直前、今日はスライドは英語でもよろしいが、話は日本語でお願いしたいとの連絡が入った
そのように準備して出掛けた

今回はスライドの数を減らして、ゆっくり説明するようにした
そして、残りの20-30分で小テストをするという形式であった
まだよく見ていないが、書いていることに自信を持っている様子が伝わってくる
前回、英語で質問していた子供の時にアメリカ生活を経験している学生さんがいた
しかしレポートを見ると、全般的に心ここになしという感じのものが少なくなかったようである
やはり、学生のうちは日本語でなければならないのかもしれない

講義の後はセミナーで、このところ考えている免疫の形而上学について発表した
こちらが考えている形而上学化の意味がまだ明確に伝わってこないという意見があった
それは、人によって異なる内容のものとして理解されることがあるのではないかという指摘でもあった
もう少し頭の中を整理し、説明を練り直す必要がありそうである

それから、免疫系の捉え方も研究者によって微妙に異なっているのを知り、驚いた
わたしは当然のものとして受け取っていたことでも疑っている場合があった
それは免疫系の中での現象の定義にも表れていた
データが蓄積されるにつれ、それまで明確に分けられていると思われたものの境界が怪しくなる
つまり、全体像が整理されるよりは、却ってごたごたして来るという状態を招くような印象がある
システムは自然界にあるのではなく、人間の頭で考えたものだとすれば、当然なのかもしれない
これからの科学の進展にも注目していきたい


セミナー終了後、生命研の諸先生との食事会があった
最初は科学のことから入り、途中政治の話も出ていたように記憶している
しかし最後は、魂の不滅や生まれ変わり、そして神や宗教の話にまで広がったのには驚いた
これは第三層の領域で、そこでは科学的思考から解放された様子を見ることになった
やはり、人間が考えているのである
そこには人生経験の影響もあるだろう
これから味わい深い境地に入って行くのではないかという予感のようなものも感じていた
まだまだ老年には早いという先生方もおられたが、、

このような展開になるとは予想もしていなかったので、実に興味深いものがあった
人がどのような考え持っているのか、話を聞くまで分からないものである
そのことを新たに実感した貴重な時間となった

お忙しい中、お時間を割いていただいた諸先生には改めて感謝したい








2017年10月16日月曜日

編集者との建設的なランデブー



本日も雨で、このところ雨天が続いている
それにしてもよく降るものである
こうして秋が深まっていくのだろう

今日は午後から編集者とのランデブーがあった
会社が新社屋に引っ越したとのことで、案内していただいた
翻訳の校正作業の進め方やそれ以後のことについても話が広がった

英米の本だけではなく、フランスの本をどんどん紹介していきたいという意向をお持ちのようであった
我田引水になるが、その背後に我々の意識の第三層を広げるところに寄与したいという願望を見た
その点での認識には共通するものがありそうである
総じて、前向きで建設的な話になったのではないだろうか
あとは、如何に実行するのかという問題だけである





2017年10月15日日曜日

第2回ベルクソン・カフェの初日終わる



昨日は夕方から第2回のベルクソン・カフェを開いた
直前に3名の方から都合で参加できなくなったとの連絡が入り、出席率50%となった
その代わり、参加者個人間の距離は縮まったように感じられた

前回、2時間では駆け足で読み進めなければならなかったことを踏まえ、今回は3時間とした
そのため、最初からかなりゆったりした気持ちで始めることができた
全体的に見ても、確かめながら噛みしめるように読むことができたのではないだろうか

今回のテーマは「生きることを学ぶ」という9ページのエッセイだった
予定通り4ページ半を余裕をもって読み終えることができた
第3回もこのくらいの時間配分が良さそうである

前半の概略は、BCサイトに掲載したのでご参照願いたい





2017年10月13日金曜日

只管準備の一日



今日は少しだけ涼しくなり、一日中雨交じりであった
こちらは天候には関係なく、明日の準備をする
第2回ベルクソン・カフェで取り上げる「生きることを学ぶ」というエッセイを読み直していた
古代ギリシア、ヘレニズムの時代における哲学から学ぼうとしている
現代、特に日本では古代の哲学に興味を持つ人がどれだけいるのか分からない
しかし、学ぶべきことは非常に多いと感じている
明日はどのような展開になるのだろうか
初回よりは時間的な余裕ができそうなので興味が尽きない





2017年10月12日木曜日

出来立てを届ける



寸前まで準備しているというわたしの性癖について考えていた
一つは、自分も新鮮な気持ちで、驚きながら、新しい発見に向き合いたいのではないだろうか
つまり、自分の中にあるものが最後の最後に形を作るまで待つということである
それは熟成の時間を最大限にするということでもある
そして、出来立てを届けたいという蕎麦屋の出前の気持ちにも繋がるものがある
その気持ちは体から自ずと発散してくるはずである
今回、話しながら自分でもそのことに気付いていた
「おっ、熱が入っているな」という感じだろうか

いずれにせよ、今日は新たな出前に向けて静かに準備をした
今回は春に比べ体への負荷が大きくなっているように感じる
それは、新たに加わった講義と講演の4回分が重くのしかかっているためだろう
少し時間が経ってからスケジュールを見直してみると、異常に見えるのではないだろうか
いまはそういう感じが全くしないのではあるが、、

夜は古い友人とディネ
山歩きがご趣味で、山から下りたばかりとのこと
相変わらずイタリア語に打ち込んでいて、今日も学校帰りだったようである
食事後、子供時代を過ごしたという界隈を案内していただいた
開発が進んだ都心でも昔の知り合いの何人かは今も同じところに住んでいるという
それは素晴らしいことではないだろうか






2017年10月11日水曜日

東京理科大学の第一講、終わる




昨日一日でも終わらなかったのであきらめムードであったが、今朝早く目が覚めた
誰かが起こしてくれたという感覚である
お陰様で出発までの5時間ほど集中する
しかし、それでもまとまりがつかず、乗り換え駅のカフェでさらに手を加えてやっと形になった
それにしてもご苦労さんなことである
精神的な疲れはないが、肉体的なものが問題になりそうだ
エピクテトスによれば、それはそもそも自分ではコントロールできない領域にある
今日はゆっくりして、明日から再び始めるしかなさそうだ

外国人がいるので、英語で講義するように言われていた
全学に開かれた講義で、50名くらいの修士の学生さんが聴講していた
講義のテーマは倫理だった
この問題を考える時、日頃行っている科学的な思考だけでは不十分であると考えている
そのため、前段として考える上で重要になる意識の構えや自己を客体化する必要性について触れた
その点に目が開かされたという人が少なからずいた

それから、成績が必要になるので小さなテストをするようにとのことだった
問題の一つは、講義を聴く前と後で自分の中で変わったことがないかを観察して書いてもらった
このような振り返る時間を毎日持つことが、考える力を養う助けになるような気がしている
将来の社会を考える時、問題に正面から向き合い真剣に考える人間が増えることが重要になる
レポートを見ていると、そのような姿勢で書いている様子が伝わってくるものが多かった
これは外から姿を見ているだけではなかなか分からないものである
そう言えば、そもそも人の内面は分からないものであった

真面目に反応している様子を観察できたという意味で、今日の努力は無駄ではなかったと思いたい







2017年10月10日火曜日

最後の最後まで



超過密スケジュールが始まっている
東京で街を歩くと、汗が噴き出してくる
明日は東京理科大学で大学院の講義がある
準備不足は免れない
この一日でどれだけできると言うのだろうか

こういう時いつも浮かぶのは、あれだけの自由な時間にどうしてやっておかなかったかという思いだ
しかし、それが実行されたことはかつてない
最後の最後まで形を自らに見せないようにしているかのようである
その状態に耐えられるようになってきているのは喜ばしいことではあるのだが、、
それが今月一杯続くことになる
本当に耐えられるのだろうか

今回もどのような展開になるのか、静かに様子を見るしかなさそうだ





2017年10月7日土曜日

カズオ・イシグロさんと古代哲学



カズオ・イシグロさんがノーベル賞を受賞したという
数日前のテレビで観たインタビューで、こんなことを言っていたような気がする
人生は短い
そこで重要なことは何なのか
富や権力や名声なのか
愛ではないのか
われわれは真剣に考えなければならない
このテーマは古代哲学に通じる
人間の幸福とは何なのか
生きる意味はどこにあるのか
現代では軽く躱されている
しかし、真面目に考えなければならない問題である
そこに思いが至れば、その方法は哲学しかないだろう

このブログシリーズ(石鹸箱)でもカズオ・イシグロさんは何度か取り上げたことがある
Never Let Me Go の映画を観て議論したセッティングは思いもかけないもので、強い印象を残している
お祝いの意味も込めて、ここに再録したい



2010年8月17日

カズオ・イシグロによるアマチュアリズムとプロフェショナリズム



'...Now we're are all being so frank, I'll be frank too. You gentlemen here, forgive me, but you are just a bunch of naïve dreamers. And if you didn't insist on meddling in large affairs that affect the globe, you would actually be charming. Let's take our good host here. What is he? He is a gentleman. No one here, I trust, would care to disagree. A classic English gentleman. Decent, honest, well-meaning. But his lordship here is an amateur.' He (Mr Lewis, American gentleman: Note by paul-paris) paused at the word and looked around the table. 'He is an amateur and international affairs today are no longer for gentlemen amateurs. The sooner you here in Europe realize that the better. All you decent, well-meaning gentlemen, let me ask you, have you any idea what sort of place the world is becoming all around you? The days when you could act out of your noble instincts are over. Except of course, you here in Europe don't yet seem to know it... You here in Europe need professionals to run your affairs. If you don't realize that soon you're headed for disaster. A toast, gentlemen. Let me make a toast. To professionalism.'

 There was a stunned silence and no one moved. Mr Lewis shrugged, raised his glass to all the company, drank and sat back down. Almost immediately, Lord Darlington stood up.

 'I have no wish,' his lordship said, 'to enter into a quarrel on this our last evening together which we all deserve to enjoy as a happy and triumphant occasion. But it is out of respect for your views, Mr Lewis, that I feel one should not simply cast them to one side as though they were uttered by some soap-box eccentric. Let me say this. What you describe as "amateurism", sir, is what I think most of us here still prefer to call "honour".'

 This brought a loud murmur of assent with several 'hear, hear's' and some applause.

 'What is more, sir,' his lordship went on, 'I believe I have a good idea of what you mean by "professionalism." It appears to mean getting one's way by cheating and manipulating. It appears to mean serving the dictates of greed and advantage rather than those of goodness and the desire to see justice prevail in the world. If that is the "professionalism" you refer to, sir, I don't much care for it and have no wish to acquire it.'

 This was met by the loudest burst of approval yet, followed by warm and sustained applause.


  From The Remains of the Day by Kazuo Ishiguro



 2010年8月18日

この場は石鹸箱? What is a soapbox?



昨日のカズオ・イシグロ作品からの引用に"some soap-box eccentric" という表現があった。初めてなのでウィキをリンクしたが、そこを読んでみると興味深い事実が浮かび上がってくる。

日本で言えばみかん箱に当りそうな石鹸箱。その上に立って自らの主張を道行く人に訴える景色が見えてくる。歴史的に見ると、1872年からロンドンはハイド・パークのスピーカーズ・コーナーに人が集まり、政治や宗教などについて演説、討論していた。そこから、このような演説をする人をsoapbox(石鹸箱)と呼ぶようになったようだ。特に興味深かったのは、現代におけるsoapboxはブログであると指摘していることだろうか。その場を通りかかる不特定多数の人に向けて、自らの主張を比較的自由に発信しているブロガーは現代の石鹸箱になる。




mardi 8 octobre 2013 

共生に始まり、"Never Let Me Go" で終わった4日目
 


潮の満ち干がよく分かるようになってきた
朝の内は満ちているが、お昼には干上がり、それが夕方になると再び満ちてくる
毎日、忠実にこれを繰り返している
実に不思議である

午前中のセッションは普通の発表の他に、海洋生物研の研究者が最先端の話を発表していた
これは最初プログラムになかったものである
最近注目を集めるようになっている共生がテーマで、非常に面白い話であった




午前中のセッションが終わり、ホテルに向かう途中の景色は朝とは打って変わり、この通りである
陸に打ち上げられた船のように見える


Ms. Julia Weiss(Mainz)


今日は発表だけではなく映像も担当しているマインツの医学生ユリアさんと一緒にホテルに向かった
彼女は交換留学でパリの高等師範にも半期いたようで、英語はもちろん、フランス語も流暢である
ビデオも撮れる立派なカメラで、要所を映像に収めていた
いずれ研究所のHPに載せる予定とのこと
ご自身のサイトはこちらになる




午後はロスコフ沖合にある島 L'Ile de Batz にフェリーで向かった
日差しが強く、日よけをしなければ眩しかった
20分程度で着いたのではないだろうか
この時はまだ桟橋が先まで見えている




わたしは疲れが溜まっていたので、1時間半ほど桟橋に面したこのカフェでゆっくりすることにした
ご主人も、中の造りもなかなか感じが良かった
そう言えば、オーガナイザーのアクセルさんは疲労が一気に出たのか、この観光をキャンセル
オーガナイズだけではなく、議論にも積極的に参加されていたので無理もないのかもしれない




帰りのフェリーは6時半
この時には、先ほどの桟橋がほぼ完全に水の下になっている
見ていると、静かに静かに水がこちらに向かってきた
一瞬のことだったが、津波という言葉が浮かんできた

さらに不思議だったことがある
ロスコフの桟橋からホテルに向かう途中、わたしの横で車が止まりドアが開いたことだ
二日続けて研究所の院生がホテルまで送ってくれることになった
まさに、二度あることは三度である
その状況を後ろから見ていたポーランドのマルチンさん
実に不思議な感じがした、とディネの時に語ってくれた
一体どうなっているのか、想像ができなかったからだろう

ディネでは、マインツ側の責任者パウルさんが同じテーブルにいた
ドイツでは兵役は義務付けられているようで、ご本人も15カ月間軍でトレーニングを受けたという
そこから日本の話になった
未だに多数の米軍基地が国内にあり、その費用も負担しているということを知り、皆さん驚いていた
パウルさんによると、ドイツはすべてを縮小することにしているという


Dr. Axel C. Hüntelmann、Pr. Norbert Paul


今日の最後のセッションは、カズオ・イシグロ原作の Never let me go映画を鑑賞
倫理を専門にする人は、必見とされる映画になっているようだ
上映が9時過ぎから始まり、ディスカッションが終わったのは0時であった
原作が2005年、映画が2010年になるので、すでに多くの論評が出ていることだろう
気になっていた映画をロスコフで観ることになろうとは想像もしていなかった
いろいろなことを考える時間となった




映画の中に、ロスコフで見た景色と重なるシーンがいくつかあった



dimanche 1 mars 2015 

カズオ・イシグロさんが考える小説家 



作家のカズオ・イシグロ(1954‐ )氏が10年振りに新作を出すという
The Buried Giant (March 3, 2015)
これまでは個人の記憶を扱ってきたが、今回の作品は社会の記憶についての物語らしい
彼は、年80ページのペースで書いていた
それを奥さんが読み、こう言ったという
「これじゃ全くダメ、最初から書き直さなきゃ駄目」

それは特定の場面のことではなく、 全体の語り口や登場人物同士の会話が駄目ということだった
随分ときつい言葉だったが、仕方がない
暫くの間エネルギーを補給して、ゼロから書き直した作品だという
最初からやり直さなければならなくなったところが最近のわたしと重なり、なぜか嬉しくなる

イシグロ氏が小説家のピークは30-40代だと考えていることは知っていた
今回、このことについて、こんなことを語っている

    小説家は子供時代に近いことが非常に重要だ
    なぜならば、そこから成年になる過程が小説を書くという営みにとって欠かせないから
    子供時代から離れることは、何かを失うことなのである
    30代は良いかもしれないが、60歳の人間がそう考えるのは少々気が滅入ることである





2017年10月6日金曜日

第4回サイファイ・カフェSHE札幌、無事に終わる



昨日、4回目になるサイファイ・カフェSHE札幌を開催した
いつものように、寸前まで準備に追われていた
そのせいかどうかは分からないが、電源コードを持ってこなかったことに気付かずにいた
パリカフェでも忘れひやひやしたが、今回はバッテリーの残りが殆どなくなっていて慌てる
幸いマルチタイプのものが近くの店で見つかり、胸を撫で下ろした
間違いなく、何かが進行しているようだ

今回は、内的生活をどのように捉え、どのように充実させるのがよいのかについて考えることにした
我々の中に、精神生活を重要なものとして位置付けようとするところが弱いように見えるからであった
それは個人レベルだけではなく、社会や国のレベルでも観察される
その欠落がわれわれにいろいろな不利益を齎していると考えたからでもある
講師の10年に及ぶフランスでの無為の生活の中で気付いた点を中心に紹介した
そこから現段階における内的生活の一つの形を提示できないかと考えたのである

第一に、これまでに提唱している意識の三層構造モデルについて説明
第1層は日常生活で使われる領域で、第2層は職業生活で使われるものである
この二層に留まりがちな生活では精神生活が浅く貧しいものにならざるを得ない
その上で、この二層を超えた全的生活が占める第3層を充実させることが重要になることを指摘した
そこでは、瞑想や省察が行われる
無を目指すのではなく、活発に記憶の中を歩き回り、繋がりを探すのである
この層の開拓は、「考える葦」である人間に課せられた義務として捉えることもできるだろう
さらに言えば、それは人生の目的と言っても良いものである

第二に、第3層の充実には時間をたっぷり取って自らを振り返る瞑想や省察が欠かせない
つまり、暇がなければならないのである
西欧では、ジョン・カバット・ジン博士が無宗教の瞑想として広めたマインドフルネスがある
「いま」の経験に注意を集中して心を開き、ネガティブなものも受け入れる姿勢が求められる
そして、その中に入り込むのではなく、少し離れて対応することが重要になるという
この点で、わたしが行っている瞑想とは明らかに異なることが分かる
マインドフルネスのプログラムを行うことで、身体にも良い効果が出るという結果が蓄積している
例えば、疼痛、ストレス、不安の軽減、免疫増強、うつ病再発予防、心血管系の改善も齎すという

また、特定のタスクをするのではなく、こころを彷徨わせた状態で活性化されるものにDMNがある
デフォルトモードネットワークである
これは記憶の蓄積や引き出し、これから起こることに対する準備などに重要な役割があるという
さらに、創造性や芸術性にも関与している可能性も指摘されている
瞑想は、このDMNと自己の統御に関与する領域との機能的な連絡を増強する効果があると言われる
DMNによる活発な活動に対し、抑制的に作用するということだろうか

そして第三には、瞑想にも関連するストア哲学について簡単に紹介して意見交換に入った
その中で指摘された問題として、わたしも感じていることがあった
それは、充実した内的生活を送るには、仕事から離れた暇な時間が不可欠になる
しかし、それを実現することは、仕事に追われている現役には難しいのではないかという点である
講師はその時間に恵まれているが、我々はどうすればよいのかという問いであった

これに対してまず言えることは、上で述べた内的生活、特に第三層の重要性を意識することだろう
その上で、少しでもその実現に向けて試みることである
各自が試行錯誤して獲得するしかないのではないだろうか
ここで忘れてならないのは、瞑想や省察の前には生の経験がなければならないことである
つまり、静は重要ではあるが、動を軽視してはならないことである
動の蓄積にも生き生きとした哲学を生み出す力があるように感じているからだ

今回は直前で急用のために参加できなくなった方がおられた
また、岐阜から着いたばかりで空港から駆けつけてくれた若者もいて議論が盛り上がっていた
それは懇親会においても衰えることはなかった
次回も若手の参加を期待したい

お忙しい中、参加して議論に加わっていただいた皆様に改めて感謝したい


会のまとめ






2017年10月1日日曜日

活動の月に入る



月並みだが、時の流れは速いものである
今年も残すところ3か月となった

今月は活動の月になる
結構大変なスケジュールだが、どれだけできるだろうか
今は分からない

取りあえず、この時差ぼけを直さなければならない
直感に過ぎないが、春よりは軽症で終わるのではないだろうか
そう願いたいものである