2018年10月18日木曜日

再びの訪問者、そしてベルクソン・カフェの準備



このところ寒さが増している
早朝、庭に再びの訪問者があった
今度はお仲間を連れて
ほぼ一月ぶりのことである

今日も完璧に晴れ上がってくれた
ただ、長持ちしないかもしれない
だんだん土地の癖がわかってきた

午後から図書館に行き、昔書いたものを直しながら読み進む
時間とともに少しずつ広がり深まっている部分がある
小さな発見だが、貴重である

それから来月のベルクソン・カフェで使うテクストを調べ始める
文章の意味するところが体の中に浸み込んでくるような感覚が生まれている
他のカフェで扱ったテーマも出てきて、有機的な結びつきも見えてくる
この感覚も捨て難い






2018年10月16日火曜日

あなたのこころを開きなさい



昨日まで昔やっていたような研究論文に当たっていた
意識を狭い世界に集中して自分の考えをまとめるという作業である
そこから離れることがここ10年ほどの目的であったので、終わった今朝は開放感があった

早朝は曇っていたが、快晴になった
朝から庭に出て静かに過ごすことにした
庭の雑草に寄ってくる蝶々、トンボ、バッタ、蜂、カラスなどとともに

その時、日本でフランス語を学ぶために少しだけ通っていた学校で聞いた言葉が蘇ってきた
こころの深くに入ってきたその言葉は、フランス人の先生の発したouvrir votre espritである
問いに向き合う時に「こころを開いて考えなさい」という流れの中ではなかったかと思う

そして最近、ハイデッガーを読んでいる時、似たような話が出てきた
こころを開くとはどういうことを言うのか
それは、すべてのものに同じ価値を与えることだという

目の前に広がること、頭の中に浮かぶこと、それらを選択せずに一度受け入れてみること
その上で考えを巡らすこと、それがこころを開いて考えるということなのだろうか
フランスに渡って以来、わたしがやってきたことはこれだったのかもしれない

それはこころを落ち着かせる効果がある




2018年10月14日日曜日

第6回サイファイ・カフェSHE札幌、迫る



第6回サイファイ・カフェSHE札幌が、来週土曜に迫りました
興味をお持ちの方の参加をお待ちしております

サイト

テーマ: ハイデッガーとともに「技術」を考える
今回は、現代では科学と不可分なものとして「科学技術」などと言われることが多い「技術」について考えます。20世紀の哲学者マルティン・ハイデッガーの思索を基に、科学、そして科学の「方法」が現代社会に及ぼしている目に見えない影響、技術、そして技術により「挑発」される自然と人間、さらに科学と技術の真の関係について考える予定です。ハイデッガーの考えは『技術への問い』(関口浩訳、平凡社、2013)などで知ることができます。
 
日時: 2018年10月27日(土) 16:00~18:00

会場: 札幌カフェ 5Fスペース 
札幌市北区北8条西5丁目2-3






2018年10月12日金曜日

みすず書房訪問



丁度タイミングよく翻訳本の最初のゲラが出来たとの連絡が入り、みすず書房を訪問した
今回のコサールさんの本は前回のクリルスキーさんのものの半分位だが、科学的事実が多い
哲学的な含みがない分すっきりしているようだが、事実だけというのも辛いかもしれない
いずれにせよ、来月に入ると校正でまた忙しくなりそうである

昨日、今日と街の中を歩き回っているが、汗びっしょりになっている
まだ暑いということなのか、運動不足の太り過ぎということなのか
日中は少々不快である
環境を変える丁度良いタイミングかもしれない





2018年10月11日木曜日

日本パスツール財団を表敬訪問



今年の6月にはいろいろお世話になったこともあり、パスツール財団にご挨拶に出かけた
近々恒例のパーティを開催するとのことでお忙しいところにお邪魔することになった
代表理事の渡辺氏とお話しをして、財団運営の大変さを感じ取る

今回、財団の科学的な側面をサポートする科学者コミッティーを創設
わたしもそのメンバーの一人として参加するよう依頼された
微力ではあるが、できるだけその任に適う仕事ができればと考えている

これからの大きなテーマは、財団の社会的認知度を上げること
そのことにより、結果的に財政基盤が充実することを目指しているようだ
来年からは催し物だけではなく、日本の大学とパスツール研との連携も増したいとのこと

科学と社会との間を橋渡しするこのような活動はわたしのテーマとも重なる
さらに、日本とフランスとの間という意味でも同様である
財団のこれからの動きとともに考えていくことになるだろう





2018年10月10日水曜日

東京理科大で講義



本日は依頼のあった講義をするために東京理科大に向かった
生命倫理シリーズで、ここ数年は引き受けている
今回はわたしの哲学観を話した後、SHE札幌でも取り上げる「技術」について考えた

昨年は初回をすべて英語でやったが、日本人学生は殆ど理解できないとのことであった
そのため2-3回目はスライドは英語で、話は日本語でやることにした
寝ている学生が少なくなったのではないだろうか

今年もこの方式を採り、日本語のスライドも大幅に増やすことにした
その効果はどう表れたのだろうか
これから小テストやレポートを読むと見えてくるのではないだろうか


夜、ホストの研究室にサバティカルで来ている研究者も交えたディナーとなった
元々はイギリス人だが、アメリカの大学に20年近く勤めているという
アメリカ国籍も取ったようである

わたしの素性はすでに紹介されていたようで、哲学的生活について訊いてきた
彼にしてみれば、科学の後に仕事もしないで哲学をやるという生活は理想的に見えるようだ
彼だけではなく、科学者たるものそのような余裕の時間を欲しているようである

科学者を取り巻く現実は時とともに厳しさを増している
一つのことをフォローするだけでも大変な状態で、統合的な視点を持つことは殆ど不可能
人間は全体的な視点を持つことによって初めて、精神的安らぎを得ることができるのだろうか

そう言えば、いろいろな発信を英語でやるように強く勧められた
そうしなければ伝わらないとでもいうような勢いであった
おいおい実践を始めたいものである

久し振りにじっくり飲んで意味のある話ができた一夜となった







2018年10月7日日曜日

第4回サイファイ・フォーラムFPSSのご案内



第4回サイファイ・フォーラムFPSSの内容が以下のように決まりました

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


第3回サイファイ・フォーラム研究討論会
日時: 2018年11月17日(土)13:40~16:30

会場: 日仏会館5階 509会議室



当日議論する話題
(1)伊藤明子: 目的論の有用性と実在性について
(2)岩倉洋一郎: 発生工学技術の進歩と人間存在について

プログラムの詳細は、こちらを参照いただければ幸いです

よろしくお願いいたします






2018年10月4日木曜日

驚きのトレーニング



今日は快晴
朝から図書館に出かける
このところ頭を使っているプロジェに当たる
久し振りに学問的なことをやっていると緊張感が生まれる
特に評価を受けるような場合には科学者の時代を思い出す

午後、庭にテントを出してみた
パラソルとは違い、風と光を遮ることができる
ひょっとすると、屋外のオフィスにできるのではないか
そんなアイディアが浮かんだ
ただ、風は意外と厄介である


ところで今朝のこと
公園に行くとラジオ体操をやっているユニフォーム姿の7-8人のグループがあった
それが終わったので仕事に行くのかと思いきや、軍隊式の訓練?が始まり驚く
整列して番号を言い、標語を何度も発声し、列を変えてまた同じことをする
何かの不備があると「やりなおしィ―」などの大声が返ってくる
1時間ほど続いただろうか

公園の世話をしている人に訊いたところ、耳を疑う答えが返ってきた
大企業に派遣される人間の訓練ではないかという
機械の一部になるようなトレーニングであった
いやはや恐ろしい世界である

そう言えば、テレビなどを見ていてもイジメやパワハラの要素が溢れている
パワハラの報道のことではなく、お笑いなどの普通の番組でのことである
それを容認するような、受け入れなければならないような心理にさせる効果はないだろうか
無意識のうちに
天井に何かが被さっていて、抑えられているような感じがする
突き抜けていないのである
晴れやかなところがないのである





2018年10月2日火曜日

台風一過の朝




もう10月に入った

9月は新しい環境の中に入ろうとする準備・調整の期間だったのか

今月は実りの月にしたいものである


台風24号の上陸はなく、大きな影響はなかったが、余震があった

台風一過の晴れた朝、これまでに見たこともないような数のトンボが庭に現れ、驚く

二匹のトンボがタンデムに飛んでいる

そして、尻尾の先端をできたばかりの水たまりに何度も軽く叩く仕草も

その昔に見たことがあるこの景色、なぜか懐かしい






2018年10月1日月曜日

本庶佑先生のノーベル賞受賞を寿ぐ

(左から)松田文彦、本庶 佑、フィリップ・クリルスキー、湊 長博の諸先生
(2018年6月22日@東京)



外出から帰りテレビをつけると本庶先生の顔が大写しになっており、事情をすぐに理解した
アメリカのジム・アリソンさんとのノーベル賞共同受賞であった
残念ながら最後の一瞬だったが、これからいろいろな形で目に入るだろう
以前にこの研究でアリソンさんだけがラスカー賞を受賞していたので心配していた

これまでの経過を見ると、その評価が周りの人より一歩遅れているという印象を持っていた
それがここ数年の研究の進展で逆転したように見える
どこでどう動くのか分からないのが研究だろう
あるいは、人生だろうか
わたしの研究生活においても重要なポイントに先生がおられた
有難いことであった

全てを振り返りながら、心からお祝いを申し上げたい






2018年9月29日土曜日

荒れた庭に愛着が



庭に出て椅子に腰を下ろすと、伸び放題の植物と目線が同じ高さになる
暫くすると、先日、草を少し刈ったせいもあるのだろうか
親しみを感じるだけではなく、荒れた庭が美しいものに見えてきた
色々な動物が生活しているだけではなく、どこからともなく集まってくる
それらを眺めているだけでも飽きない

このまま放っておくと、一体どうなるのだろうか
行く先を見てみたい思いに駆られた
一瞬、熊谷守一の庭が頭に浮かんだからだろうか
これが草刈りをさぼるための言い訳ではないことだけは確かだ


午後から郊外に出て30-40分サイクリングを楽しむ
初回としてはこんなものだろう
体力的には大丈夫そうだが、体が硬くなっているのでバランスが問題になるだろう
今は慣れるのを待つしかなさそうだ





2018年9月28日金曜日

日本人あるいは日本文化に関する番組を観る



日本ではテレビがあるので気分に任せて流している
前回、旅の番組が多いことを書いたが、日本に関するものも少ないことに気付く
古くからの生活をしている日本人や日本の文化、日本の職人の技などを紹介する番組である
これも一大ジャンルになっているのではないだろうか

これらの番組を観ていて改めて見えてくることがあった
よく言われることだが、現代においても自然の中に自らの身を置きながら生活していること
自然に逆らおうなどという気持ちの欠片も見られない
自然に従順な姿だが、自然に限らず外界の出来事に対しての姿でもあるように見える
そして抽象的な概念を用いて語るのではなく、身近の言葉で実に細かなことを語っている
職人の仕事などもまさにこの流れの中にあるのだろう
そのためだろうか、出来上がってくる作品の完成度の高さには目を見張るものがある

西欧の思想に基づいて語っているように見える場合でも、付け焼刃的なところが拭えない
日常がそのように動いていないからだろう
それと関連しているのかどうかわからないが、問題の核心に迫るような議論が極めて少ない
議論がいつもぼんやりしている
現実の捉え方が甘い、あるいは現実をしっかり捉えようという意思が弱いからだろうか 


その昔、アメリカに滞在していた時のこと
アメリカに亡命したソルジェニーツィンがテレビに出てきたことがある
それは一大イベントで、わたしも興味津々で観た記憶がある
そこで彼が話した内容は、痛烈なアメリカ文化批判だった
後に彼の批判に対する批判のようなものが出された
それは、彼の批判の根拠はテレビの情報だけではなかったのかというものだった

わたしの感想もすべてテレビを観てのものなので現実世界でどうなのかは分からない
しかし、過去の蓄積もあるので、それほど外れていないのではないかと思っている






2018年9月25日火曜日

異空間が繋がる



この連休、庭に出て瞑想する時間があった
バッタが膝に上がってきたが、全く動かない
よほど気持ちが落ち着くのだろうか
そう思って暫くすると、尻尾から表面が光っている細長い塊がゆっくり顔を出した
バッタの排便を初めて見た瞬間であった

黄色い蝶々もトンボもまだ飛んでいる
日の光を含んだススキの穂の何と柔らかい色であることか
ぼんやり空を眺めていると、遠くから風に乗って高校野球の試合の案内が聞こえてきた
その時、トゥールのアパルトマン前のラグビー場の案内と重なる
長閑な昼下がりという形容がピッタリの時間であった


街に出ると、これまで気付かなかった珈琲店が目に入る
入ることにして近づいた時、アメリカかカナダの郊外のコーヒーショップと錯覚する
あり得ないと思っていた場所で異空間が繋がった
 
目に見えるはずのない世界がそこに現れてくる
世界が急に豊かになったように感じた





2018年9月22日土曜日

友人の通夜



昨日、同期生が亡くなったとの連絡が入る
専門が同じだったので、日本にいる時にはお世話になった
今回、数年前から病に侵されていたことを知る

今日、通夜があり出席した
フランスにいれば遠い世界の出来事だが、日本に戻ると身近な問題になる
このような会では予想されることだが、思いもかけない人との再会があった
お話しできたのは、懐かしい方数名を含めて7-8名だっただろうか

こういう何気ない接触が大切なものに思えてきた一夜であった





2018年9月21日金曜日

思いがけないお誘い



昨夜、外国の方からメールが入った
アメリカ在住の科学者だが、理論的な(哲学的な)研究をされているようである
今度パリに行くので、その時にでも話をしたいがどうだろうかという問い合わせであった
仕事の方向性が似ているので、実現すれば興味深いランデブーになりそうな予感がする
ということで、今朝は関連の論文を読んでいた

午後からは庭に出てぼんやりと読む
日に当たるだけで体は疲れるようだが、頭にとっては悪くなさそうである






2018年9月19日水曜日

外に居る者



今朝、荒れた庭を見ているうちに、また草刈りをやりたくなった
30分ほど汗を流す
前回ほど腰には来なかった

暫くすると、その庭に出て落ち着いてみたくなった
物置に行くとその昔使った机と椅子が蜘蛛の巣の中に見つかり、それを出して腰を掛ける
なかなか気持ちがよいものである
こんなことをやろうなどと、これまでは考えたことがなかった

35年ほど前の谷川徹三と福田定良の対談に耳を傾ける
テーマは東洋と西洋のちがいについて
議論にはやや粗いところがあるように感じたが、素人にとってのイントロにはなるだろう
お昼前に風が強くなるまで、のんびりと過ごす

やはり外はよい
これ、隠者の生活か
少なくとも「外に居る者」という点では重なるところがあると言えるだろうか?




2018年9月18日火曜日

旅番組で繋がる



朝、海辺へ足を延ばす
ここは省察の場所になることを確認
久し振りにシガーをやってみようかという考えが浮かぶ

帰ってテレビをつけると、マイアミの海岸で仕事をやっている人が出てくる
リトル・キューバでは葉巻屋が出てくる
何という繋がり方だろうか

その後の番組ではベトナムが出ていて、アレクサンドル・イェルサンという言葉が聞こえる
天上の楽園の構想が取り上げられていた
もう5年前になるが、この人物についてエッセイを書いたことがある
大学で調べ物をする予定があったので、途中までしか観ることができなかった

いろいろと繋がってくれると、それだけで嬉しくなる
その後も滑らかに事が進んだ
繋がってくれたと言い換えてもよいだろう

上の例でも分かるように、テレビの番組の一大ジャンルとして「旅」があるようだ
散歩、ランニング、自転車での移動、バス・鉄道・船の旅といった具合だ
国内もあるが、ヨーロッパが意外に多い印象がある
今日、ギリシャが出ていたが、一度訪れてみたい、そんな気にさせてくれるところだった





2018年9月17日月曜日

自然の中で過去人の声を聴く



今朝の3時ころ、また揺れを感じて目が覚めた
震度3という
調べると、これまでにかなりの余震があったことが分かる


本日も朝から、これからの日課になりそうな川の辺りに出かけた
自然の中で読むと、どうしてこうもよく入ってくるのだろうか
それはこういうことではないのか

自然の中にいるとその中に溶け込み、自分が消える感覚がしばしば襲う
自己を縛っているものがなくなった空間は限りなく広い
余分なものがなくなったその空間では、過去人の声がよく響くのである

家に戻ってから、庭の手入れをしてみようかという気になる
こんなこと、かつてなかったことである
合わせて1時間ほど、腰の痛みともだるさとも言えない違和感を感じながら汗を流す

フランスで失われた体を取り戻す作業の最中なのかもしれない







2018年9月16日日曜日

新たな日課?



暫く生活すると思うと、周りの見え方が変わってくる
どこか別のところを思い浮かべるのではなく、そこで利用できるものを探そうとする
それが気持ちよく生活するためのコツになる ことを発見
これは一時的に立ち寄った時には浮かばなかったことである

ということで昨日、自然豊かな素晴らしい公園を見つけることができた
川縁に椅子を据え、小川のせせらぎを聞きながら、読書と省察に至福の時を過ごした
今朝も訪れたが、この世界と一体になって読み考えているのが分かった
幸いなる発見であった

ひょっとすると、これは日課になるかもしれない





2018年9月15日土曜日

『免疫の科学論』の書評出る



6月に出たP・クリルスキー著『免疫の科学論』(拙訳)の書評が本日号の図書新聞に出た

評者は杏林大学名誉教授の大野秀樹氏

図書新聞のご厚意により、こちらから全文を読むことができるようになった

是非お読みいただき、実際に本書を手に取っていただけるとすれば幸いである

ゆっくりお付き合いいただけると、興味深い発見があるだろう

大野秀樹氏と図書新聞には改めて感謝したい





2018年9月12日水曜日

賀集裕子というピアニスト、そして久し振りの海



今朝、テレビをつけると初めてのピアニストが演奏を始めたところだった
既に80歳を超えているというそのピアニストの音に若さと深みを感じる
自らの内なる声と対話しているような演奏に惹き込まれる

そのピアニストは、賀集裕子(かしゅうひろこ)さん
これまで地道に研鑽を積んで来られたのだろう
音楽に夾雑物がないのだ
成熟し続ける音楽家を見たようで、気持のよい朝となった


その影響か、海辺まで散策したくなる
久し振りに地上から見る海である
沖に船が浮かんでいると、なぜか落ち着く
そして、寄せては返す波の音が無の世界に誘う
外から来る音が外界との遮断を助け、自分の中へと導いてくれる
この場は瞑想に使えそうだ
そんな考えが脳裏を掠めた




2018年9月10日月曜日

元のペースに



夕方、曇りガラスの向こうがいつもと違い明るい
開けてみると、この眺め
やや不気味に感じる
地震が心理的な影響を与えているのだろうか

今週から元のペースに戻したいものである




2018年9月9日日曜日

初めての訪問者とこれまでにない地震



先日、ぼんやりした視線を外に向けると嬉しい訪問者がいた
これまでに経験がない
これはまた、昨年春のトゥールでの出来事を思い起こさせる景色でもあった
静かな春の一日、そしていくつかの気付き (2017.3.29)

ところで現在、北海道に滞在している
数日前、寝ている時に激しい揺れを感じ、目が覚めた
これまでに帰国した時には殆ど毎回、地震か台風に遭っている
その度に、大変な国に住んでいることを思い知らされる
そして、揺れのないフランスを羨ましく思う

その日の午前中は停電となったが、幸い午後には回復してくれた
わたしのところは殆ど影響はなかったが、停電や断水が続いているところがある
身近にいると、電気や水のない生活がどれだけ不自由で不快なものかも想像できる
早期の復旧を願いたいものである





2018年9月2日日曜日

フランスでイデアリズム、日本でリアリズム?



以前から感じていたことが、今日のタイトルになった
日本に戻ると、現世の出来事が身近に迫ってくる
フランスではそれが消え、自然に観念の世界に遊ぶことができる

おそらく、人間にとってこの二つは両方とも必要になるのだろう
フランスに行く前に感じていた不全感は、そこから来ていたのかもしれない
いまはその不全感は消えている
10年に及ぶ静かな無為の時間が遊ぶ空間を作ってくれたからだ
これからの問題は、まずその空間にどのようなものを作るのかということ
そして、自らの根の分にも目をやることだろう

日仏に身を置くということは、上の二つの世界に楽に入るための手段なのだろう
もともと横着なところがあることを考えれば、致し方ないのか
それがどのような効果を示すのか、いまは予想もできない
いつものように経過観察になる






2018年9月1日土曜日

日仏を同じ比重に



もう9月である
1年もあっという間、という感じだ

昨日、日本に戻った
以前は日本に帰ってきたというホッとするような、どこか新鮮な気持ちがしたものである
フランスを拠点にしているという気持ちがどこかにあり、訪問する感覚だったからだろう

しかし、今回はそのような感覚が全くなかった
日本とフランスの両方を拠点にできないかと考えていることが影響しているのだろう
日仏の間で意識が断絶することなく、同じ平面上で繋がってくるからだろう
本当に、ちょっとどこかに行くために電車に乗るような感覚の移動に近かったのである

しかし、この感覚、やや詰まらない感じもする
それを回避するには、別の空間に足を延ばさなければならないということなのか
暫く、様子を見ることにしたい







2018年8月27日月曜日

第4回ベルクソン・カフェのご案内

Tod und Mädchen / Mort et Jeune fille (1915)
Egon Schiele (1890-1918)



フランス語を読み哲学する第4回ベルクソン・カフェの予定が以下のように決まりました


<2回シリーズ>
① 2018年11月9日(金)18:00~21:00
② 2018年11月月15日(木)18:00~21:00

<1回だけの参加でも問題ありません>


テクスト
Pierre Hadot« Apprendre à mourir »「死ぬことを学ぶ」
Exercices spirituels et philosophie antique, pp. 48-60(Albin Michel, 2002)

<参加予定者には予めテクストをお送りいたします>


会場
恵比寿カルフールB会議室


参加を希望される方は、she.yakura@gmail.comまでご連絡ください
よろしくお願いいたします








2018年8月26日日曜日

マルクス・ヴュルシュを聴く



涼しい朝である
昨日のつながりで、マルクス・ヴュルシュ(Markus Würsch)という音楽家に出会った
スイスのトランペット奏者だ
チューリッヒのトーンハレ管弦楽団で主席を務めていた
経歴を見ると勉強家であることが分かる
現在はソリストと教育者として活動している

この曲は若き日によく聴いたもの
教会のオルガンとの演奏と映像が素晴らしい
その演奏の何と落ち着いていることか
最近、そこにヨーロッパ的なものを見るようになっているのだが、、













2018年8月25日土曜日

すでに秋、クロード・リッパースを聴く



本日は曇りの朝
午前中から外に出る
お昼に雨が降ったが、午後からは晴れてきた
穏やかな週末だが、涼しさを感じるようになっている
日本は関東以西がこれから9月初めころまで猛暑日とのことで驚く

トラムを待っている時のこと
資料を読んでいると、「まだ学校に行ってるんですか」と若い女性に声を掛けられる
いつまでも学生ですと答えておいた
彼女の意図はどこか別のところにあったようである

今朝出かける前、この音楽が流れてきた
初めて耳にするトランペット奏者だったので、ここで聴き直しておきたい
クロード・リッパース(Claude Rippas
柔らかい音色を持っている












2018年8月23日木曜日

今日も現れたサイクリスト



今日も完璧な快晴
今朝プロジェに関連する本を読んでいる時、昨夜思いついたことに関連することが現れ、驚く
やや興奮して少しだけ広げてみる

午後からプロジェに当たるため出かける
バス停で待っている時、年配の男性が話しかけてきた
いつまでも暑いとか、バスの運転手もまだバカンスか、などという愚痴だったのだが、、

先日の方針転換でプロジェにも気持ちよく当たることができた
アパルトマンに戻ると、昨日の男の子が颯爽と現れる
幸い、今日はカメラに収めることができた

こちらの気分もよくなる夕暮れ時である





2018年8月22日水曜日

平和な朝




今朝も文句のつけようのない快晴

予定を変更して、向いの景色をたっぷり味わうことにした

暫くすると父親連れの幼稚園児と思われる男の子がグラウンドの周りに現れた

ヘルメットをかぶり、小さな自転車に乗っている

そのうち、グラウンドの周りのコンクリートの道を全力で走り始めた

2度回ったところでお休みとなった

結構な運動になったのではないだろうか

この間、アパルトマンの前を通る時にタイヤとコンクリートの擦れ合う音だけが聞こえた

平和な朝であった







2018年8月21日火曜日

やっと今頃



今日は久しぶりに充実した時間を過ごすことができた
このような夜の空も気持ちよく眺めることができる

プロジェとは締め切りがあるもの、あるいは時期を切るものだと暗黙裡に思っていた
しかし最近、そんなものではないのではないかという気がしてきた
そうではなく、終わった時が締め切り、あるいは終わるまでやると考えるのである

この心理的効果は思ったより大きかった
プロジェに当たる時のストレスが全くなくなったのである
終わる時が締め切りなので自分をプッシュする必要がなくなるからだろう

締め切りを設けた時には、その制約のために自分の求めるものを切り詰める可能性がある
それがなくなり、じっくり「こと」の中に入り、満足がいくまでできるようになる
やっと今頃、一つのスタイルができつつあるということか

このことにこれまで気付かなかったのだろうか
これは昨日のダ・ヴィンチの考えとも通じるところがある 
暫くこの方針に従ってみたい





2018年8月20日月曜日

ダ・ヴィンチの目

      アンボワーズのダ・ヴィンチ


先週のルポワンは、ダ・ヴィンチ(1452-1519)が特集で取り上げられていた
500年前に亡くなった人物から現代的な意味を探ろうという企画である
目に止まったところをいくつか

彼はすべてを見ようとしていた
全てを見るということは、考えられているよりも広く豊かなものを意味している
それは、目の前にあるものについて瞑想することまでも含まれている

彼は30代半ばから多くの解剖をやっていた
ヒトだけではなく、サル、牛、カエルなども自分の目で見ることをやっていた
その過程でガレノス(c. 129-c. 200)やイブン・スィーナー(980-1037)を知ることになる
彼の視界から排除されるものは何もない

プラトンが説く我々の世界の外にあるイデアの世界を信じなかった
観察と実験を信じていたのである
そのためか、アリストテレスの自然科学に関するものをよく読んでいた

我々は流動性のある境界が曖昧な世界に生きている
ダ・ヴィンチも境界を越え、多くの領域に足を踏み入れた
そして、完成させることには無頓着であった
やり遂げるということは、そこで流れが止まることを意味している
彼の視線は止まることなく前に向かっていた

彼が開発したスフマートという技法は輪郭をぼかす
明確な輪郭で途切れることを避けたのだろうか
それは世界の流動性を表すものだったのかもしれない

そして、彼の人生に見られる終わることのない旅である
彼はノマドであった
幼少期のヴィンチ、青年時代のフィレンツェ、壮年期のミラノ、ヴェニス、ローマ
そして晩年になっても気候、文化、言語を変えることを厭わず、クロ・リュセに落ち着いた
この時は64歳でアルプスを越えてフランソワ1世の招きに応じている

重要なことは、歩むべき道をどこまでも追い求めて前に進むこと
根を持っていたとしても、それなしにやること、アイデンティティを超えて生きること
そして、未知に向かって歩むこと
ダ・ヴィンチはそのパイオニアであり、我々にとってのモデルになるだろう

彼にはまた、何か突飛なもの、異様なものに対する嗜好があった
それは驚きに対する嗜好と言ってもよいもので、瞬間の惠みを味わうことにも通じる
疲れ知らずで、昼間に仕事を終えた後、仲間と一晩中談笑していたという
そこでも不思議なもの、思いもかけないものが現れる瞬間を見逃さない目が必要になるのだろう



そういえば、書き終えたばかりのエッセイも500年前に亡くなった人物を取り上げていた
何という偶然だろうか





2018年8月18日土曜日

ジョージ・オーウェルの考え方



今日も快晴で、気持ちがよい土曜となった
先週、今週とル・ポワンは大物を特集として取り上げている
先週はダ・ヴィンチで、今週はジョージ・オーウェルだ
今日はオーウェルについて、少しだけ

彼はあらゆることに興味を持ち、宗教的ドグマを避け、イデオロギーの前に事実を重視する
生涯、検閲やブラックリストを嫌い、絶対的な表現の自由の擁護者であった
そして、真の分断は保守か革新ではなく、独裁・専制か絶対自由にあると考えていた


言語の退廃に抗するオーウェルの6つのアドバイスが載っていた

1.使い古されたメタファー、比較、修辞は使わない
2.短い言葉で済むのなら、長い言葉は使わない
3.削除してもよい言葉があれば、迷うことなく削除する
4.能動態が使えるなら受動態は使わない
5.日常の言葉で表現できるなら、外国語、科学用語、専門用語は使わない
6.明らかな破格語法になるのであれば、上記の規則を破る


オーウェルとチャーチルの伝記を書いたトマス・リックス氏のインタビュー記事もあった

  Churchill and Orwell: The Fight for Freedom (Penguin, 2017)

リックス氏は2度ピューリッツァー賞を受賞しているジャーナリストである
インタビューではこう語っている

オーウェルとチャーチルは、20世紀の最重要課題を次のように捉えていた
マルクスが言うような生産手段の所有でも、フロイトが考えた人間精神の機能でもない
それは、個人と国家の関係である
どんどん巨大化し、個人の領域に入り込む国家権力に対し、二人は個人の自由を守ろうとした
オーウェルはイギリス文化を愛していたが、ナショナリズムは嫌っていた
おそらく、現在のBrexitのような運動には反対したのではないかと思う





2018年8月16日木曜日

今日はいいですよ



本日も快晴で、やや暑かった
午後から南の方に出てプロジェに当たる
このところの方針は、前に進めようとか、纏めようとか考えないこと
そうすると、プロジェに手が付かなくなるからだ

テーズの時にそれで苦しみ教訓を得たはずなのだが、ぼさっとしているとその罠に嵌る
何も考えずに、その中で時間を潰すのだと考えれば問題なく入って行ける
始めることができないということがなくなるのだ
今日はそれが功を奏し、進んではいないがその中で遊ぶことができた
これの繰り返しになるのだろう

帰りにお勘定は?と訊くと、今日はいいですよ、という
これまで言葉を交わしたことが殆どないので驚く
苦しんでいる客の姿を見て同情でもしたのだろうか
あるいは、よく来てくれるお礼なのだろうか

カフェだけでなくバスでもこのようなことが何度かあった
日本ではなかなか起こり得ないのではないかと思われるのだが、、
そこに管理されていない自由さを感じる
人間が生きているとでも言うのだろうか

気分も晴れたようで、帰りのバスは手前で降り、歩いて帰ってきた





2018年8月15日水曜日

聖母被昇天祭の午後




快晴の本日は聖母被昇天祭で祝日になっている

バスをゆっくり待ちながら旧市街に出た

いつものカフェは休みだったので、別のところに入る

現在取り掛かっているプロジェを何とか終えることができた

帰り、いつもと違う道を歩いているうちに最後まで歩くことに

今日は全く疲れを感じなかった

それにしても、何と穏やかな午後だろうか







2018年8月14日火曜日

激しい意思表示



本日も快晴だが、風は涼しい
朝から外でプロジェに当たる

そこに向かうバスでのこと
途中、乗客は乗り終わっているのになかなか発車しないところがあった
どうも運転手と乗り込んだ老夫婦がやり合っていたようだ

詳細は分からないが、夫の方が料金を払っていないので運転手がそれを待っていたようだ
やや手が不自由になっている夫は、払う必要がないとのことで運転手を相手にしない
しかし、お二人は降ろされた

降りてから夫の方はポケットから何かの紙切れを出した
料金免除を証明するものではないかと思う
バスの中ではすぐに出せなかったのだろう
妻がそれを掲げて、言った通りだろうという身振りをする

発車しても気分が収まらない運転手は歩いていた夫婦を見つけ、バスを止めた
二人の証拠写真を撮るためのようであった
もう降りているのでよさそうなものだが、言い争いの中で何かあったのかもしれない

その時である
スマートフォンを向けられた妻は後ろ向きになり、ズボンを下げたのだ
F… you! という訳だろう
車内から何とも表現のしようのない「ウォー」という声が上がった
朝から見たくないものを見せられてしまった感がある
そして、見た目からは想像もできないような女性から激しい意思を見せられた思いであった


今日のシェールとロワールはともに水位が下がり、浅いところでは底が見えていた






2018年8月13日月曜日

もう読書の秋?

    若きマルクス・アウレリウス
       (c. 140 AD)


このところ20℃台の過ごしやすい日が続いている
読書の秋の気分になってきた
気持ちが鎮まってきたのだろうか

もうこちらに来た当初の気持ちを再現することは不可能である
日本にいる時には手が伸びなかったものを読んでいることを考えると、変化はあるのだろう
昔と何がどのように変わってきたのか
その問いにはいつも興味を持っている






2018年8月8日水曜日

秋らしい一日

  Ruines de l'abbaye médiévale de Heisterbach (1863)
      (Wilhelm Steuerwaldt, 1815-1871)



数日前の予報を裏切り、今日は20℃台前半の涼しさである

これから数日は同じような気温になりそうだ

これで「ゆったり」から「だらだら」に移行していた生活態度が改まることを期待したい







2018年8月6日月曜日

連日の真夏日に打つ手なし



トゥールも暑さでは負けていない
連日の真夏日である
幸いなことは湿気がないことだろうか
しかし、集中力が落ちることに変わりはなさそうだ

こういう時は、日頃の仕事から解放され、ゆったりするのがよいのだろう
ただ、わたしの問題は、日頃からゆったりしているのでその作戦が使えないことだ
その点、忙しく仕事に没頭されている方が羨ましい限りである







2018年8月2日木曜日

何度でも「科学と哲学」

       ミケランジェロ
    ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ


日本では猛暑日が何週間も続いているところもあるとの便りが届いた
こちらはそれほどではないが、それでも真夏日が続いている
向かいのグラウンドの芝は毎日水がまかれ手入れされているので緑を保っている

今朝、手前の芝の半分が枯れていることに気付く
それなりの暑さが続いていることが分かる
幸いアパルトマンの中にいると、エアコンはないのだが涼しいので助かっている

今日の便りには、近々発売になるカール・ウーズについての本の書評が添えられていた
その最後は次のような言葉で終わっていた
多くの人は認識していないが、根のところで科学と哲学は絡み合っている
著者は賢明にもそのことに気付いている

実は昨日、ガーディアン紙に出ていた科学と哲学に関する対論を読んだばかりであった
哲学者のジュリアン・バジーニさんと科学者のローレンス・クラウスさんによるもの
もう6年前の日付になっている
そこで語られていることに新しいことはなかったが、いくつか書き出しておきたい

バジーニの言葉として、哲学者は科学者が着る白衣に憧れるところがあるという
その傾向があることは、哲学に入ってこれまでわたし自身も感じてきたことだ
程度問題だが、それには反対したい気持ちの方が強い
そこに行ってしまうと哲学本来のものを捨てることになるのではないかという危惧があるからだ

バジーニさんは科学では扱えない問題として倫理や道徳の問題があるという
それに対して、クラウスさんはこう反応する
世界には回答ができるものとできないものがあり、回答できるものは科学になる
道徳性に関しても、それが理性に基づくものであれば科学が解決できるだろう
しかし、理性だけでは無力である

バジーニさんは科学で解決できない問題は重要な問題ではないという科学主義に異議を唱える
科学では扱えない問題がどうしても残り、それが重要でないとは言えないという
クラウスさんはそれには反対すると予想したが、次のように答える
哲学的議論は多くのことを決定する際に事実について省察するという重要な役割がある
しかし、その際の事実は実証的に明らかにされたものだけであるべきだろう
確かに、人間の問題は理性だけでは処理できそうにない
しかし科学は進歩するので、いずれ道徳の問題も科学が解明できると考えている
つまり、Why問題はHow問題になるのである

突き詰めれば、最終的にすべてが科学で説明できるのかどうかになるだろう
しかし、それは歩みを進めなければ分からない
これまでの科学の歩みを見ると、何かが分かるとそれまで見えていなかった謎が現れる
これの繰り返しである
その経験から、自然のすべてが姿をあらわす日が来るとは到底思えない
自然の奥深さは人知を超えているのではないかというのがいまの実感である
そうならば、科学と哲学などの領域の両方に目を配っておくべきだろう

科学の力を信じているクラウスさんは言っている
科学がすべてを解決し、もう答えられる問題がなくなったとしたら何と悲しいことだろう
確かに、人間が好奇心の動物であるとしたら、それは悲劇的なことかもしれない
そこには人間がいなくなるということにもなるだろう
しかし、科学の仕事が終わった後にも確実に残るものがあるような気がしている
これは科学がすべてを解決するという信念と同じ信の領域に属するものかもしれないのだが

科学が終わり、静寂が訪れた後にもまだ残っている人間の好奇心を刺激するもの
それはどういうものなのだろうか
その時を体験することはないだろうが、好奇心は掻き立てられる





2018年8月1日水曜日

翻訳の最初の見直しを終える



本日は快晴
これから午後にかけて30℃にまで上昇するのではないだろうか
予報によるとこれから数日は30℃が続くようだ

翻訳の最初の見直しを終えた
前回のものよりはスムーズに進んだようだ
内容が科学の事実に関するものに集中しているからだろう

意味が通じないところが出てくるが、その時にはまず自分の理解力を疑うべきだろう
しかし、それでもおかしい時がある
その時は本文が間違っていることを疑う必要がある

最初はなかなかそこまで考えが回らなかった
しかし前回もそうだったが、中身に間違いが少なくないことに気付いた
こちらの出版社での編集作業は、文法的な間違いの検討に限られている可能性が高い
その意味では、翻訳者が本文の校正者の役割も担ったことになるのだろう

いずれにせよ、これでひとまず小休止ということになる






2018年7月30日月曜日

すっきりして空を眺める



このところ涼しい日が続いている
今日の写真もパリで見つけたトゥールのポスターだが、これも実物よりはよさそうだ

本日は旧市街と中心街で翻訳の校正ともう一つのプロジェに当たる
最初の校正は終わりに近づいてきている
プロジェについては、現段階の纏めとすることができた
少しすっきりしたので、夕方から夜にかけて空をゆっくり眺めて過ごす





2018年7月28日土曜日

久し振りの涼しい一日



今朝は曇りで、昨日の暑さと狂乱が嘘のような涼しさと静けさである
今回のパリのメトロには、新しいトゥールのポスターが数種類出ていた
その一つが、旧市街の中心に当たるプリュムロー広場を描いたもの
わたしがいつもお世話になっているところだが、実物以上に?いい雰囲気が出ている

今日はお昼に晴れたが、夕方再び曇りの過ごしやすい一日となった
ということで、こちらもこの二日間の疲れを取るため、何もせず
ぼんやり、ゆったり過ごした





2018年7月27日金曜日

炎天下の歩きとオステルリッツ駅のカオス



本日も朝からパリを動き回る
しかし、真上から容赦なく降り注ぐ灼熱の太陽の下、歩くのが嫌になる
夜の寝床が頭に浮かぶが、そうするとさらによろしくない

そこでやることは、先に進むのではなく、ただ足を前に出すようにすること
この両者は同じことを言っているようだが、意識に与える効果は全く違う
最初の表現の中には遠くの目的地が視野に入っているが、後者には「いまここ」しかない
そのため、今回もそれが功を奏し、気が付いたら目的地についていた

特に意識してはいなかったが、今日は水を補強しながらの歩きとなった
水を飲むと汗が噴き出すのでまた飲むという繰り返しである
二日続けてこのような天候になろうとは思いもしなかった

その上、想像もしていなかったことがオステルリッツ駅で待っていた
まず入ると人の多さに驚く
以前にも多いと思ったことはあるが、それを遥かに超えている
兎に角、ほとんど前に進めないのだ

掲示板でその原因を知った
電気系統から出火してダイヤが狂っているという
駅構内はまさにカオスであった
実に多くの顔を見ることになった

アナウンスを聞いていると数時間遅れというのもある
しかしトゥールはそれほど影響がなかったのか、30分遅れで出発という
ただ、ホームの番号を聞き間違え、出遅れたため立つことになった
歩き疲れた足だったので2時間半は結構大変だったが、何とか耐えることができた

車内放送にはこの出来事を笑い飛ばすようなところもあり、客も一緒に笑っている
日本での対応は言葉遣いまで含めてすべてマニュアルで決まっているのだろう
こちらの現場はそこまで管理されていないようだ
個人を出せる余地が残っている


人生、本当に何が起こるかわからない
今回改めて、一旦群衆の中に入ってしまうと、自分の意志は殆ど無力であることを実感した
それとこの二日間、普段眠っている肉体を呼び起こすにはよかったかもしれない


夜、まだ明るいうちに1時間遅れでトゥールに着いた







2018年7月26日木曜日

久し振りのルーブル



今日は用事があり、朝からパリに出た
フランスも結構暑い
用事を済ました後、時間があったので久しぶりにルーブルへ
少し気になる作品もあったので

広くて人が多いので疲れる
係の人に道を教えてもらうこと数度
予定の作品に辿り着くことができた

閉館後近くのブラスリーでビール
フランスのこのようなお店ではまず飲まないものであるが、今日はうまい
それだけ足を使い、汗をかいたということだろう

こういう時間を改めて日本との対比で考えると、実に不思議である
しかし、二つの空間が繋がっていると思えば、至極自然なことになる
あるいは、一方が消えていればそんな不思議さも感じないだろう




2018年7月25日水曜日

どうにかならないのか、哲学の術語



昨日今日と静かにプロジェに当たる
それにしても両日ともそれなりに暑かった
調べると30℃で、これからの数日も同じような気温になっている
今が一番暑い時期なのだろうか
勿論、日本のようなことにはならないのだろうが、、


今日の午後の休みに、ネットで手に入るハイデッガーについての日本語の文章を読んでみた
大半は理解するのが難しい
一つには、彼の術語だとして訳された日本語が理解できないことがある
漢字からはイメージすることが不可能なものばかりである
これはまさに記号と言ってよいだろう

以前にフランスで読んだのだが、哲学をやる人はその言葉に酔うところがあるという
しかし、その言葉遣いが哲学の外にいる人を遠ざけているのである
この傾向は日本の哲学で顕著に見られるのだろうか
これから同じテーマをフランス語ではどう表現されているのか見てみることにしたい





2018年7月23日月曜日

光の中を進む



今日は朝から用事があり、外に出た
歩き始めると、殆ど真向いから照らす太陽が眩しく、前が見えず
その中を只管歩く
まさに、光の中を進むという感じであった
他のすべてが消えるのである
これは何かを暗示しているのだろうか
目的地にこれまでで一番早く着いたようだ

用事を終え、街中に出た
朝の新鮮な空気の中、偶に入るカフェでプロジェをすることにした
ここの親父は快活で感じがよく、何気ないのだが注文の品も気の利いた出し方をする
こればかりは文化の違いで致し方ないのだろうか
路上のスペースも屋根を取り、大きな木の緑が空を覆っている
まさに、パーフェ!だ

お昼はリブレリーを梯子
これまでは薄れていた外に対する興味が再燃しているかのようである
その傾向は音に対しても出ている
これまでご無沙汰していた「いま・ここ」の音楽にも耳を傾けては、という気持ちも見える


ところで、サイファイ研ISHEの秋の活動を3つに絞って開催することにした
大雑把な予定は以下の通りである

  10月にサイファイ・カフェSHE札幌
  11月にベルクソン・カフェとサイファイ・フォーラムFPSS

詳細は決まり次第、この場に発表する予定である

ご理解、ご協力、よろしくお願いいたします