2020年8月31日月曜日

8月を振り返って



8月も最終日を迎えた
 
これがわたしの手元にあるカレンダーの8月の景色だ
 
遠目に見ると、一面黒のロスコである
 
8月に入ってから、これが何を意味するのか気になっていたが、その一部が見える月となった
 
一言で言うと、今トンネルの中にあり、抜け出すにはかなり時間がかかるということ
 
さらに言えば、そのトンネルを抜け出すことができるかどうかさえも分からない

この状態がこれまで掴めていなかったようだ
 
そういえば、大学を卒業して、ある人に言われた言葉を思い出す
君はこの人生を重い荷物を背負って長い坂道を登っていくものだと捉えているように見える

 

この状況とは全く異なり、今月のブログの写真を見直すとその素晴らしさに圧倒される

少々オーバーだが、勿論写真の腕ではなく、被写体のことである

植物が主人公の写真はすべてが輝いて見える

写真にすることによって生命の持つ本質的なものが強調されたようである

希望が湧いてくるようでもある

これまでこの景色を見ることなく過ごしていた

夏にここにいないのは、大切なものを味わう機会を失うことになるのではないか

来年からの日程を考え直す必要があるかもしれない

さて来年はどんな姿を見せてくれるのかという期待とともに

庭が生きていることを発見できたのはコロナのお陰だが、今月(=今回)の最大の発見と言えるだろう


ここで、今月何をやっていたのかを振り返ってみたい

大きく言うと、4つくらいのプロジェだろうか

一つ目は何年か前からのもので、すぐには終わらないだろう

二つ目はここ半年くらい前からのものだが、目途がつきそうである

三つ目は数か月前からのもので、何とか終えることができた

四つ目は最近調べ始めたものだが、これはまだ読む段階にある

ということで、これからは一つ目のプロジェに少し力を入れてはどうかという声が聞こえている


 








2020年8月30日日曜日

そろそろ秋のシーズン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時に気乗りのしないプロジェにも向き合わなければならない

それでも取り掛かるのは、それがこれから先にとって重要だと思っているからだろう 

昨日、今日と始めるのに苦労しながら当たっていた

大体の姿は見えてきたと言えるだろうか

第三者が同じように見るかどうかは別問題だが、、


そろそろ秋のシーズンが始まる

今年も大学での講義を依頼されているが、今回はZoomになるとの連絡が入った

初めての経験になるので、一度試してみることになった

このところ最新技術というものに鈍感になってきた

本当に必要なものはそんなにないと気付いたからだ

仕事をしていた時のことを思い出せば、信じられないことである

新しいものに興味を示し、何でも試してみる傾向はあると思っていた

しかし、本質的に新しい技術というようなものには余り興味がない人間なのかもしれない

 

 




2020年8月28日金曜日

説明することと考えること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日のジェイムズの影響だとは思うが、朝の瞑想で次のようなことが浮かんできた

 

これまでに書いたエッセイの中で、「説明する」とか「考える」ということについて簡単に触れたことがある

第11回 ダーウィンのパンゲン説、あるいは科学が求める説明

第36回 記憶の探索、あるいは「考える」という精神運動

 

第11回のエッセイでは、「説明する」ことを、ここにある結果(現象)を原因で置き換えることとした

つまり、このようになっているのは何が原因なのかを明らかにすることである

原因から結果に至る論理の流れに無理がなく、整合性があることが求められる

科学は原因についての仮説を立て、そこから導き出されるものを実験で確かめるという方法を採る

実験をしない普通の人、あるいは哲学者は、それを論理を用いた議論で証明することになる

 

第36回のエッセイでは、「考える」とは関連付けすることではないかとした

「考えること」を説明との関連で見直すと、それは説明するための手段とも言えるだろう

「考えること」を説明の条件と考え合わせると、そこでどのような関連付けがされているのかが問題になる

結果を原因で置き換えるためにどのような材料を選び、それをどのように繋ぎ合わせて説得力を持たせるのか

この過程を緻密に進めることが「考える」という運動の中身になるのだろうか

 

 

 

 

2020年8月27日木曜日

ウィリアム・ジェイムズによる哲学的思考





















ウィリアム・ジェイムズが哲学的思考と一般人の思考の違いを説明している

哲学に入って10年以上になるが、未だに哲学的思考に弱さがあると感じているのでメモしておきたい

 

どんな哲学にも二つの部分がある。その一つは、その哲学が我々をそこにみちびいてくれる最終的な見解、信念、あるいは態度であり、もう一つは、その態度に至るみちすじにある推論である。ジェイムズ・フェリア―が我々にいうのを常としていたように、哲学はなるほど真なものでなくてはならないが、しかしそれは哲学に課せられた最小の要求にすぎない。哲学者でなくても、あて推量か啓示かによって、真なことをいうかもしれない。哲学者の真理を他の真理からわかつものは、それが推量によってえられるという事実である。想像ではなく、論証によって哲学者は真理を獲得しなくてはならない。(吉田夏彦訳)

 

簡単に言えば、より重要になるのは結論ではなく、その結論に至った過程である

そこで使われた論理の強靭さや明晰さ、論証のために持ち出したテーマの適切さのようなものである

まだまだ研鑽が必要である

 

翻って世の中に目をやると、結論だけを説明なしに言ったり、声高に叫ぶ場面に頻繁に遭遇する

どうしてその結論に至ったのかを説明しないか、できないのである

それなしには、その結果の検証もままならなし、将来にも繋がらない

ゆっくりと立ち止まって考えていないという印象で、すべてが流れ去って行く

頭の中に霞がかかったまま「こと」が進んでいくのである


 

 

 


2020年8月26日水曜日

暑いが、もうすぐ秋か

 
















昨日の鼻水は寒さのためではなく、このところの体への負荷のためであることが分かった

そんな時には風邪の症状が出ることは以前から気付いていて、睡眠を十分にとると回復するからだ

疲れを的確に体が教えてくれるので助かる


ということで、今日もかなり暑くなったが、午前中から外に出て仕事に当たる

一旦家に帰ったものの、再び場所を変えてもう少し

時間の割には前に進まないのは常ながら、今日は少し違ったのではないだろうか

今日向き合ったものは、今週中には何とか形を付けたいものである


ところで、庭の花がめっきり少なくなってきた





2020年8月25日火曜日

日本人哲学者の話を聴く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は少し涼しさを感じた

そのせいかどうかわからないが、午前中のセッションが終わったあたりから鼻水が出てきた

午後から夜にかけてプロジェをやる気分ではなくなる

今日はYoutubeにあった日本人哲学者あるいは哲学研究者の講演をいくつか聴くことにした

話の中身には参考になることがあった

と同時に、その人がどのような考え方をしているのかが分かり、むしろそちらの方が興味深かった

中には、自らはどこかに消え、科学的な説明に終始しているように感じるものもあった


 

 

 

 

 

2020年8月24日月曜日

やることが絡み合ってくる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偉大なる哲学者に倣ったわけではないが、いつものやり方を振り返ってみた

簡単に言えば、次のようになる

前日にぼんやり思い描いたことを、その日の気分に合う場所で、その時にやりたいものをやる

あまり深く考えることなく、である

ポイントは、やる際のストレスを最小限にすることだろうか 

 

今日は予定を思い描いていなかったので、まず机を前に考えてみた

最終的に5つくらい出てきた

しかし、そのすべてを今日やるというよりは、少し先までのプロジェという感じである

驚いたことに、その5つが相互に絡み合っているのである

これは以前にも気付いていたことだが、絡み合い具合が増してきたように感じている

その感じはなかなかよいものである

ただ、それができるかどうかは体力と気力にかかっている

心・身が大事になるのである

結局は昔からの真理に落ち着く





2020年8月23日日曜日

ショーペンハウアーとカントの日課
















昨日、
ショーペンハウアーについてのエッセイを読んだが、その中に彼の日課が紹介されていた

彼は40代半ばに隠遁生活に入ったようだが、最後の居を構えたフランクフルトでのものになる

72歳で亡くなっているので、彼が言った次の言葉の意味がよく分かる

「人は、先の40 年で本文を記し、続く30 年で注釈を加える」


紹介されていた日課は、以下の通り

 朝の7-8時に冷たいスポンジで体を拭く

 その後、自らコーヒーをいれ、数時間執筆する

 メイドが来る正午まで来客を迎える

 彼は毎日フルートを吹くことを日課にしていたようだ

 それからお気に入りのイギリスホテルで食事をした後、再び自らコーヒーをいれることもあったようだ

 小一時間の昼寝をした後、シガーをやりながら軽い文学作品を読む

 それが終わると愛犬のプードル「アトマ」の散歩に出かける

 普段は9時間の睡眠をとっていたという


そういえば、哲学者の日課については、以前にエッセイでも取り上げたことがある

参考までにカントの日課を以下に貼り付けておきたい


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朝の 5 時 5 分前、プロセインの兵士だったマルティンが御主人の寝室に入り、「時間です」と告げる。その哲学者は 5 時にはテーブルに着き、紅茶を 1-2 杯飲み、日に一度のパイプを燻らす。そして、7 時には講義に出掛ける。帰ってきて午後 1 時 15 分前まで書斎で仕事をする。その時、料理人がマルティンと共に 「45 分になりました」 と言いに来る。昼食にはグラス半分のラインかハンガリーのワインを飲み、お客さんが来るのを待つ。会話を楽しみにしていて、一人で食事をするのを嫌っていた。客は 2 人から時に 5 人くらいで、午後 3 時まで食事は続く。ここでも皆さんワインで、その哲学者が嫌うビールは決して口にしなかった。

ケーニヒスベルクの冬は厳しいものだったが、どんな天候であろうと食事の後の 1 時間の散策は欠かさなかったという。そして、散策から戻ると高級紙や政治関連のものを読み、午後 6 時から夜の仕事を始める。夜食は取らず、読書に打ち込む。そして 10 時になると就寝。冬でも暖房なしだが、カントは布団に包まって暖まる特別な方法を知っていた。満足してベッドに入ると眠気が襲う。そして、自分は幸せな存在だと思うのであった。

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 (医学のあゆみ  263: 213, 2017)






2020年8月22日土曜日

アタラクシアにある日常

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日出かける時、玄関の電気のスイッチを押すと、静かに消え入るように消えた

消え方がおかしいとは思ったが、その電球は捨て、早速新しいものを手に入れた

しかし、新しい方も明るくなってくれない

慌てて捨てた電球を回収して調べてもらうと、やはり切れていなかった

もっと上の隠れた部分に問題があると思い、修理をお願いすることにした


日常のちょっとしたことだが、リズムが乱れることがある

これなどはシンコペーション程度に考えて、むしろ楽しむ方がよいだろう

それにしても心の平静を維持する術を習得したようで、アタラクシアが日常となりつつある

一昔前では考えられないことである

 

そう言えば、今日、ショーペンハウアーが考える幸福について論じるエッセイを読んだばかりであった

彼の幸福もエピクロスストア派の言う苦痛のない状態に近いもののようであった

ショーペンハウアーもお仲間になるのだろうか

少々心配である

 

 

 

 

 

2020年8月21日金曜日

日本と西欧の深い溝

 

































若き日に、社会を具に観察することなく、日本も西欧と同じになってきたという思い込みがあった
頭の中で自分が思いたいように思っていたので、本当はどうなのか気になっていた
そんな時、ライシャワーさんの The Japanese という本を手に取った
その中に、正確な言葉は忘れたが、次のような指摘があったことを記憶している
日本人は日本が西欧と同じになってきたと感じているようだが、両者は全く異なっている
やはりそうだったのかという思いで読んだことを思い出す
それ以降、経験を重ねる中で、日本と西欧の間の溝は計り知れないことを悟ることになった
特に、アメリカとフランスに身を置いたことで、その溝の深さを体感できるようになったことも大きいだろう


こんなことを思い出したのは、マリ出身の京都精華大学学長ウスビ・サコさんの次の言葉を見たからだ


 



2020年8月19日水曜日

ひとたび取り上げると、それはライフワークになる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



これまでにも感じたことに、これがある

一つのことを始めると簡単にはケリをつけることができない

最初に考えていた計画のようなものが終わったからといって、次の新しいことには進めない

最初の問いに付き纏う問題が出てきたり、新たな展開を考えなければならなくなるからである

一旦手を付けると、終えることができなくなるのである


そのことを改めて感じている

敢えてフォルミュールを作るとすれば、次のようになるだろうか
「ひとたび取り上げると、それはライフワークになる」

そんなに容易に分かったと言えるようなものは、この世界にはないということかもしれない

 

 




静かで落ち着いたヨーロッパ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

夜中にテレビをつけると、ブルガリアのソフィアのトラムからの映像が静かに流れていた

初めて見るソフィアの町だ

以前に同じ番組でアムステルダムのトラムを見たことを思い出す

それにしても何とゆったりとした時間が流れている首都だろうか

そこには人間が暮らすに十分な物理的・心的スペースがありそうだ


それから続いて、ロワールをその源から辿る空の旅である

ドローンが活躍するようになってから、天空からの流れるような眺めが容易に手に入るようになった

元はと言えば、軍事研究から生まれたものなのだろう

 

別にフランス贔屓ではないが、そこに映し出された自然や街並みを見ていると、美しいと感じざるを得なかった

景色は人間が造るものだと言われる

それを美しいと認める感性がそこにあるということなのだろうか

我が町トゥールがどんな具合に見えるのか期待したが、残念ながら出てこなかった

 

これは以前に気付いたことだが、ヨーロッパを取り上げた番組が想像以上に多いことに驚く

静かで落ち着いたヨーロッパの雰囲気を味わいながら一日が始まった

 

 




2020年8月17日月曜日

ウィリアム・ジェイムズを近くに感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい蝶が訪ねてきてくれた

モンシロチョウ(Pieris rapae) だろうか

暫しの間、遊んでいってくれた

 

プラグマティズムを推し進めたアメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズが興味深いことを主張していた

死後に発表された『根本的経験論』(Essays in Radical Empiricism, 1912)である

わたしの中でのプラグマティズムの位置はそれほど高いものではなかった

ただ、この書の説明を読むと、ジェイムズの考えを見直さなければならないかもしれない

 

経験主義は知覚を介する経験を重視し、そこに超自然的な要素を持ち込むことを拒否する

この点は多くの人が同意するだろう

その上で、この経験には個別のものと個別のもの同士の関係が含まれているという

従って、現実の説明にはこの両者を取り込まなければならない

物質レベルで説明が止まり、ものから意味や価値が発生する過程を説明できないとすれば、その哲学は間違っている


これは「科学の形而上学化」に通じる考えである

科学の中での説明に止まっている限り、そこから生まれる意味や価値については盲目のままである

科学の発展に伴い、関連性や意味といったものに対する思考ががどこかに追いやられてしまった

ジェイムズからすでに一世紀が経過しているが、この状況に変わりはない

ひょんなことから新しい人との関係ができそうである


 

 

 

 

2020年8月16日日曜日

内に向かう労働


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、今日と淡々と「こと」に当たっていた

「こと」に向き合っているのは四六時中ということになるが、机に向かっている時間は限られている

今週、一体どれくらいの時間、机に向かっていたのかを計算してみた

大体35時間というところだった

 

その昔の労働時間は週40時間ということになるが、実際にはそれ以上だっただろう

ただ、それは外の世界に向き合う場合が殆どであったので、今の状態とは全く違う

内外が反転したのである

この状態を十数年維持していることの影響は想像を超えるところがある

 

人生は一つの壮大な実験である

いずれ、少しずつ、折に触れて、実験結果が見えてくるのかもしれない

そして、ひょっとすると、最後にその影響の全体が見えてくることがあるのかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月14日金曜日

西田から現代の大問題へ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西田幾多郎に次のような述懐がある

自分には何でも「もの・こと」を根底から考え尽くしてみたいという気持ちが若い時からあった

これは哲学のやり方にも通じるが、自分の気持ちは哲学に入る前からあった

哲学に教えられてそのような考え方をするようになったのではないということである

 

これと似たようなことを感じることが、哲学に入ってからよくあった

あまり深く考えずに科学の中を歩む中で、あるいは漠然と人生を歩む中で何かを感じていた

それは明確な言葉にならないまでも存在を支える根のところに居座ることになる

しかし過去の哲学者の思索の跡を辿る中で、根に居座っているものの姿が浮き上がるという感覚である

それは、「過去人を読むことは自己を知ることである」というわたしのフォルミュールとも通じるところがある

自分が感じ、考えていたことが、そこにあるからである

 

さらに昔を振り返れば、西田のように、根本に遡って考えなければ意味がないと思っていた節がある

この人生を如何に要領よく無駄なく生きていくには、というような発想をする人たちが理解できなかった 

最近の知性にはこのような技術を語る比重が増しているためか、話を聞いても面白みを感じない

ただ、それを面白いとか役に立つと考える人たちが優勢になっていることがその前提にあるのだろう

何かが決定的に欠けているのである

しかも、それに気付いていない、あるいは気付けないのである

現代の大問題である

 

 

 

 

 

2020年8月13日木曜日

野イチゴのように謙虚に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても暑い

この時期はフランスでカニキュールを経験しているはずなのだが、ここの暑さを和らげることはできない

 

今朝、不思議な感覚が襲った

長くなりそうな日本滞在の影響ではないかと思う

これから初めてフランスに学びに向かう時のような、どこか謙虚な気持ちが湧いてきたのである

その時のためにしっかり蓄えておくように、といったようなものだった

本当に微かな気持ちの立ち上がりだったので、注意していなければ流れ去っていたかもしれない

 

その影響かどうか分からないが、地を這うような静かな気持ちで今日と向き合うことができた

「地を這う」という表現は、今朝庭に出て地を這うように実を付けている野イチゴを確認したことと関係ありそうだ

 野イチゴの姿に謙虚さを見たのだろうか

 






2020年8月12日水曜日

自分が考えていることが分かるまで

 


一昨日だっただろうか

朝のテレビを遠くで流している時、ピアノの演奏がワンフレーズだけ聞こえてきた 

何故か懐かしい気持ちになったので記憶の糸を辿ってみた

 この時は意外に早く糸の端に辿り着くことができた

  合唱というジャンルを発見(2019年7月25日)

その日は何度も「群青」を聞き、若き日を思い出すことになった

フランスが熱波の時にこの曲と出会ったので、どうも夏の暑さと結びつくことになりそうである

 

さて、今週は月曜から「医学のあゆみ」のエッセイに当たっていた

いつものように2日前でもその姿は見えなかった

そして、最後の最後でやっと見えて来た

その感覚はこういうものである

ある問題を自分はどう考えているのか、最後にならないと分からないということである

以前にも触れたような気はするが、ある時期まで先が見えないこの状態が嫌でしょうがなかった

ストレスとして感じていたのである

それが今ではなぜか、全くストレスではなくなった

ゆっくりと構えて自分の考えが熟していくのを待っているという感じで、その時間を楽しめるようになった

その問題から出ることを考えるのではなく、その中に身を置くようにすること

その状態が、むしろ心地よくなったようである

ということで、先ほど現時点における拙いメモを書き終えることができた

今回のテーマは前回に続くものだが、さらにお付き合いしなければならなくなりそうである






2020年8月11日火曜日

新たな発見

 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜一日を完全オフにしたせいか、昨日は集中力が異常に増していた 

人間、やはり休みは欠かせないようだ 

 

ところで、今朝庭に目をやると、赤みがかったオレンジ色とでもいうのだろうか

ぼつんと何かが見える

待っているとこの前のように消え去る可能性があるので行ってみた

するとそこにはオニユリの花が

なぜか嬉しくなる

周りに目をやるともう一か所、これくらいの花をつけたのが見つかった

歩き回ってみると、少し大袈裟に言えば、庭が野イチゴ畑のようになっている

草の下で地を這うように生きているので、これまで気付かなかったのだ

 

振り返ってみれば、これまでここにいたのは庭が枯れる時だった

通りすがりの人として眺めるだけで、庭に降りることなどなかった

今回の新型コロナのお陰で、一番豊かな時にこの場に居合わせることができたことになる

何が幸いするのか分からない





2020年8月8日土曜日

原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究姿勢

 


今朝、庭を眺めていると10匹ほどのトンボが自由自在に飛び回っているのが見えた

突然のことである

そういえば、昨日は夏が極まり秋の気配が立ち始める立秋であった

全国に目をやると、確かに夏は極まっているが、秋の気配を感じることはできるのだろうか


ところで、サイエンス誌のビデオが回ってきたので観ることにした

流れるテーマは、原爆傷害調査委員会(ABCC)、その後の放射線影響研究所(RERF)の研究姿勢について

この組織は被爆者に治療を施さないで被爆の影響を見るための研究対象とした

被爆者として飯田國彦氏が自らの経験を静かに語っている

原爆の実態を知れば、誰も使いたいとは思わないだろうというのが氏の結論であった

これまでの研究を3年前に謝罪した放射線影響研究所の長、丹羽太貫氏も出てくる









2020年8月7日金曜日

CRISPR-Cas、あるいは我々を汎心論へと開くもの




雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』第94回のご紹介です

CRISPR-Cas、あるいは我々を汎心論へと開くもの

医学のあゆみ(2020.8.15)274(7): 623-626, 2020

 

今回のテーマは、細菌の免疫システムであるCRISPR-Casについての考察から行き当たった汎心論です

西洋哲学の底を流れるこの考え方の歴史を辿りながら、その可能性を探る旅の初回となります

お暇の折にでもご一読いただければ幸いです

 

 

 

 

 

2020年8月6日木曜日

黄色の感情とは




何かを終えた後はそれなりの満足感があるのか、今日は囚われのない心をもって調べ物をする

このところ地上に降りることが少なくなかったが、こういう時間が天空の時間なのだろう


ところで、庭の一角に群れを成して黄色い花を咲かせている生き物がいる

黄色はどんな感情を呼び覚ますのだろうか

少なくともネガティブな感情ではないのではないだろうか

この景色を眺めているとなぜかウキウキし、希望のようなものが湧いてくるようにも感じる

感情の分析はこれからの宿題としておきたい

ということで、本日はこんなところだろうか









2020年8月5日水曜日

一つの短期プロジェを終える




昨日から今日にかけて、かなりの集中を迫られることになった

久し振りのことである

先月でケリをつけるはずのプロジェを終わらせるためである

心身ともに負担がかかったが、自ら好んでやっているのだから致し方ない

もう少し時を置いてから振り返ってみたい








2020年8月4日火曜日

自然の中にいて



例年この時期は日本にいないので、今回は見かけないものを発見する

その時口に出るのが、こんな呼び掛けだ

 「枝だけだったお前さんがこんなに大きな葉っぱを付け、花まで咲かせていたのか」

昨日の野イチゴ同様、こちらも茂み一杯に咲いている

今までは気付かなかったが、そこにしっかり生きている彼(女)らと共にいるという感覚は何ものにも代えがたい

そう言えば、先ほど例の蝶が堂々と家の中まで入ってきて、かなり驚いたところだった

その後、弱ったハエが入ってきたのを見て、さっきの蝶はお別れを言いに来たのではないか

そんな思いも沸く自然の中である











2020年8月3日月曜日

嬉しい発見




昨日、庭に出て驚いたのが、この景色
こんなところにいたのか、というのが第一声であった
周りの草に隠れていて、近くに行くまで全く気付かなかったが、結構な数になる

もっと早い時期には実をつけていなかったはずである
この時期にその場にいなければならなかったのだ
こういう小さな発見が、わたしを悦ばせてくれる










2020年8月2日日曜日

7月を振り返って




7月を振り返れば、3つくらいのプロジェに当たっていたことになる

一つ目は長期プロジェで、今では亀の歩みでもよいと腹をくくったものである
要すれば、体(=精神)に馴染むまでやるようにしたいということになる
8月にはもう少し時間を割きたいものである

二つ目は2か月ほど前から始めていたもので、月の後半はこれにかかりっきりになった
月末を締め切りに設定していたからだが、今一つ思わしくない
再び月を跨いでしまった
いつものことだが、時間的余裕があったにも拘らず期限が迫らなければやる気が起こらない
従って、実質的に当たっていた時間はずっと短かかったと言えるだろう
将来、今回の教訓を生かしてこの性向を改めることができるのかは、甚だ疑わしい

三つ目は最近わたしの前に現れてきた問題で、その背景を調べていた
極言すれば、この問題はいずれのプロジェにもどこかで関連してくる
真面目に向き合うとすれば、かなりの時間と労力が必要になるだろう
ということで、これから長い付き合いになるかもしれない


さて、例年であれば今頃はフランスにいるはずなのだが、今年はそうはいかない
先が全く見えない状態である
このリズムの乱れは内的生活に大きな影響を与えているはずだが、俄かには判定しかねる
そのうち見えてくるかもしれない






2020年8月1日土曜日

COVID-19:日本入国時の空港における対応について




日本の空港での対応に関する新たな情報が大使館から入った

1.フランスから帰国した場合、水際対策としてPCR検査が実施されている

羽田空港では唾液による検査が行われており、所要時間は2~3時間程度とのこと(7月29日現在)
但し、再検査が必要になり、待機時間が長くなることがある
また、到着便・人数によっても変動し、待機時間を検疫所に問い合わせても回答できないとのこと

成田空港でも新しい検査方法への切り替えが段階的に進められている
詳細は到着時に検疫官から説明があるので従ってほしいとのこと(7月28日現在)

2.6つの空港で、税関の電子申告ゲートの利用が開始された

成田空港: 第1、2、3ターミナル
羽田空港: 第3ターミナル(第2ターミナルでは行っていない)
関西国際空港: 第1ターミナル北ウイング(南ウイングでは行っていない)、第2ターミナル
中部国際空港: 第1ターミナル(第2ターミナルでは行っていない)
福岡空港
新千歳空港

電子申告ゲートは人・人接触を軽減するものである
ICAO(国際民間航空機関)、IATA(国際航空運送協会)は、感染症対策の一つとして電子申告を推奨している

手荷物が出てくるまでの待ち時間を利用して、「携帯品・別送品申告書」を電子的に提出することができる
手荷物を受取った後、電子申告ゲートへ進むと立ち止まることなくスムーズに通過できる
是非、ご利用いただきたい