2016年12月31日土曜日

4年前のトゥールは



2016年も最後の日になった
昨日、今日といつか見たこの景色
この町の特徴の一つに数えられそうだ

実は、4年前の年末年始をこの町で過ごした
4年前の今日は今では馴染みとなったカルチエを歩いていたことが分かる
当時は、まさか4年後にこの町で過ごすことになろうとは思いもしなかった
ただ、旧市街からロワールの方に出る時に見た虹の意味を考えていたようだ
その時歩いた道は、今はバスで通っているところになる

大晦日、旧市街を出ると空には虹が (2012.1.1)

結局、その時は虹の意味を決めかねていたようである
ひょっとすると、その意味が分かるためには4年という時を必要としたのかもしれない

今回気付いたもう一つのこと
それは、当時のラブレー像の汚れが酷く、強い印象を残すことにはならなかったこと
そして、そのすぐ横にあるラブレー大学の文系(教養)の校舎が写っていたことである
当時は何の意味もない景色であった
この界隈は交通の要所になっているので、今ではよく来るところになっている
最近、この辺りの景色をサイファイ・フォーラムFPSSの背景として採用した
その中央に小さく見える真っ白な像が現在のラブレー像である

実は、4年前の昨日も今では日常になっているカルチエを散策していた

トゥール市内、ロワール河畔散策 (2012.12.31)

ホテルを出て歩き回っているうちに寒くなり、市役所前のカフェで暖を取ったとある
その時のことはよく覚えている
その記憶のためだとは思わないが、今ではその辺りは気に入ったカルチエになっている
今回、当時の写真を見直してみて、実に新鮮な目でこの町を観ていたことが分かる
驚きの気持ちがよく表れているからである


さて、2017年の初日の空も今日のように先が見えないものになるのだろうか







2016年12月30日金曜日

ユベール・リーヴズさんのインタビュー

Edouard Caupeil
      Hubert Reeves (1932- )
     @Paris, le 19 novembre 2016


一昨日、タバから出ようとしたところ、このお顔が目に入った
本当に久しぶりのル・モンドである

ユベール・リーヴズさんとの因縁はかなり古い
2001年にフランス語を始め、進捗状況を見るために試験を受けていた
2003年の秋にはDELF A3というのを受けた
その面接試験でのこと
3つほどの問題から一つを選び、それについて質疑応答するというものだった
わたしの選んだ問題が、この方についてのものだったのである

心理学専攻の女性試験官は、まずリーヴズさんを知っているかと訊いてきた
(勿論)知りません、と答えると、びっくりされた
それ以来、忘れようとしても忘れられない人になっている
こちらに来てからも、彼の本には注意している

ル・モンドから出る宇宙に関するシリーズの推薦人になっているので、インタビューされたようだ
1932年にモントリオールで生まれているので、現在84歳
NASAやCNRSにおいて、星の中心で起こる核反応でできる要素の合成に関わっていたという
それが1970年代から科学の普及に努めるようになる
出版やテレビ出演だけでなく、世界中で講演し、その数は2,500回にもなるという

まず、人はなぜ天文学や宇宙物理学、そして宇宙論に惹かれるのだろうか?
彼は二つの答えを持っている
一つは、宇宙開発や月探査の影響である
それに加えて、カール・セーガンの貢献は無視できないと見ている
わたしもアメリカにいる時には、セーガンさんの姿と独特の語りをテレビで観ていたのでよく分かる
第二の理由は哲学的なもので、特にカナダやポルトガルでその傾向が強いという
社会の変化に伴い、一神教の権威が落ち、人々は信の拠り所を失った
それを埋め合わせるものとして、人間を超えた宇宙に向かったのではないか
そこでの問題は実存に関わることになる
例えば、われわれの生に意味はあるのか?この世で何をするのか?世界に秩序はあるのか?

宇宙が拡張しているという20世紀初めの発見は、そこに始まりと過去があったことを意味している
これまでの研究は、ビッグパンに始まる星や銀河系の形成の歴史を再構築することであった
それは同時に、われわれの歴史を再構築することでもあった
それではこれからどうなるのか?
その答えを出すのは難しい
宇宙の大部分を占める暗黒物質やダークエネルギーの実体が分からないからである
われわれは宇宙の5%程度しか知らないのである
さらに真空エネルギーの問題もある
相対性理論や量子力学と同じような革命的な理論が出る可能性もある

今のところは大きく二つのシナリオがあるだろう
一つは Big Freeze (Chill) で、拡張するにつれてどんどん冷えていくというもの
もう一つは Big Crunch で、ビッグバンの映画を逆戻しするような経過を取るものである
ダークエネルギー発見により、Big Chill が好意的に見られているようである

先月、スティーヴン・ホーキングさんは次のようなことを言ったという
地球はあと1000年程度しかもたないので、宇宙開発を止めてはいけない
移住先を探そうということだろう
ただ、リーヴズさんはこの考えに真っ向から反対している
大切なことは、この地球上で自然と調和して生きることを学ぶことである
それを学ばないようであれば、他の星に行っても同じ結果になる
われわれが他の生物を殺し続けるならば、われわれも消滅するしかないのである

この言葉でインタビューは終わっていた





2016年12月29日木曜日

「日本人は何をめざしてきたのか」 での発見



向かいのラグビーグラウンドの芝生の緑が眩しい穏やかな年末である
朝の強い光を浴びながら紫煙の自在な動きを追う
至福の時間である

昨日のこと、何年か前に流れた 「日本人は何をめざしてきたのか」 という番組に辿り着いた
その中のあるものは日本で観ていたはずである
今回、鶴見俊輔の巻と湯川秀樹・武谷三男の巻を観直す
当時気付かなかったことに気付いたので以下に記しておきたい

鶴見氏の方では、最後の方に出てきた消極的能力と積極的能力という言葉である
氏はこの違いを戦争を例に採って語っている
積極的能力とは、爆弾など発明して、戦争に積極的に貢献すること
他方の消極的能力は、失敗などを覚えていて、そこから真理に向かおうとする能力と捉えていた

これを聞いて、科学においても同じことが言えるのではないかと気付く
すなわち、科学における積極的能力は、何かを発見したり、発明したりすることに関わる
では、消極的能力とは何になるのか?
それは記憶し反省する学としての哲学や歴史と言えるのではないか

ことに当たる時、積極的能力だけでは不十分で、消極的能力を兼ね備えていなければならない
消極的能力は目に見える効果を出しにくい
消極的能力の重要性が広く行き渡っていない所以である
そのために不可欠になるのが、実は「意識の第三層」の開発ではないか
それが未開発のままでは、身近のこと、目に見えることにしか意識が向かわないからである
これは湯川・武谷の巻でも強調されていたことそのものである 
そして、この認識はそのまま社会や国にも必要とされるだろう

ところで、湯川・武谷の巻でも新たな発見があった
原子力資料情報室を武谷から引き継いだ高木仁三郎は役割人間を拒否したとされる
武谷の方は科学は科学者がやり、運動は運動家に任せればよいと考えていたようである
テオリアとプラクシスの乖離になる
高木たちは武谷と決別し、自らの考えを発表する雑誌「プロジェ」を出すことになる

最初に観た時にこの言葉に反応してもよかったはずだが、その記憶がない
なぜならば、この言葉はわたしにとって重要な言葉になっているからである
フランス語を始めていろいろな変化が起こった
その中の一つに、同義の日本語や英語を聞いた時とは違う反応が起こることがあった
そのことに驚きながら楽しんでいた
これはフランス語と長く付き合うことになる一つの大きな理由でもあった

プロジェという言葉もその一つである
プロジェクトと聞いても、どこか技術的な響きがして体がさっぱり動かなかった
自分とは別物がそこに差し出されているという感じである
寧ろ、「プロジェクト研究」などという言葉を聞いた時のように、抵抗さえ覚える
しかし、プロジェという音は全く異なる反応を引き出してくれる
なぜか分からないが、そこで指されていることに全身で向かって行こうという気にさせるのである
体が前に傾くのである
それこそ、テオリアとプラクシスの区別がなくなり、全身が反応するとでも言えばよいのだろうか
それが人生における重大問題としてぞこあるという感覚である
以前にも指摘した記憶があるが、外国語を学ぶ醍醐味がこんなところにもあるのかもしれない





2016年12月28日水曜日

「く」 の字の飛行機雲



アパルトマンから少し歩くと、このようなこちらの住宅が見える
石造りで古そうだが、どっしりした印象を与える
何年か前、ブルターニュに行った時にも同じような住宅街の中を歩いたことがある
このような環境も悪くないな、と思った記憶が蘇ってくる

昨日は久し振りに良い天気に恵まれた
もう一つ恵まれたものがあった
それは飛行機雲である
「く」の字とか逆「く」の字とでも言えばよいのだろうか
なぜかパリのアパルトマンからは殆ど見ることができなかったものだ
パリ滞在最後の方では、曲がってくれと心の中で念じたりもしたが駄目であった
しかし、昨日は何ということか、いとも簡単に次々と曲がってくれた
その収穫をいくつか















2016年12月27日火曜日

「パリから観る」 の言葉から



今朝、前の前のブログ 「パリから観る」 に入っていた
丁度、3.11前後の記事であった
その中に印象に残る言葉があったので再録しておきたい

そのあたりになぜかスタンダール(1783-1842)の日記を手に入れている
これまでは特に意識していなかった
しかし、生没年を入れて初めて彼が江戸時代の人だったことに気付き、驚く
その日記を手に入れた理由、それは読みやすさと次の言葉にあったようだ
« Je crois que pour être grand dans quelque genre que ce soit il faut être moi-même. »
「どんな分野でも立派になろうとしたならば自分自身でなければならない」
日記の序はアカデミー・フランセーズ会員のドミニク・フェルナンデスさん(1929- )が書いている
その中に、次の指摘があった
スタンダールはパスカルを近くに感じていた
この日記は宗教色のない 『パンセ』 である
長い間ご無沙汰していた日記を再び手にとってはどうか
そんな気分にもなってくる

それから、エドガール・モランさん(1921- )の本の感想もある
そこには彼の一貫した主張である「断片化された知の間の繋がりを探る思考」の重要性がある
さらに、「自らを振り返る自己検証」、「止むことのない自己を批判的に見る精神」の必要性が続く
フランス語で言えば、l'autocritique となるだろうか
その上で、次のようなことを言っていた(ようである)
21世紀の文盲は読み書きができない人ではなく、学び、忘れ、再び学ぶことのできない人。自己に向かって振り返る目を持つことのできない人。
振り返れば、この年の秋に始めることになったサイファイ・カフェSHE、それに続いたカフェPAWL
その背後にあった認識とも共通するものをここに見る
知識で終わるのではなく、知識から始まる世界、すなわち孤立した知を結びつける作業
そして、哲学者の生を振り返りながら自己に返り、自己を見直す作業

サイファイ研のミッションの意義を再認識することになった朝である





プティ・プロジェを始める



今朝は曇りで小雨交じりであった
しかし、お昼前には雲が北から南に速く流れ、太陽が顔を出してくれた
午後から旧市街に向かい、届いたばかりの本に目を通す
ただ、なかなか中に入って来ない
わたしには合わないと判断し、暫く眠らせることにした

その代わり、新しいプティ・プロジェに当たる
兎に角、プロジェには事欠かない
処理しきれないくらいである
まず、関連資料に目を通すところから始めた
まだ全体の姿は見えてこない





2016年12月26日月曜日

今道友信著 『エコエティカ』 を読む



静かな日曜日
午後から街に出る
ほとんどの店は閉まっている
人通りも少ない

そんな中でも開いているお店がある
その一つに入り、1時間ほど読んでから帰ってきた
道に出ているカフェなので、寒さを感じるようになるまでが1時間だったということになる
冬の寒さは想像していたよりも優しい

手に取ったのは、『エコエティカ: 生圏倫理学入門
著者の今道友信(1922-2012)氏のお話は、以前にビデオで観たことがある
ゆったりしたソフトな語りが印象的であった
スートゥナンスの後、アン・ファゴー・ラルジョー教授(コレージュ・ド・フランス)との会話にも出てきた
本書も単に知識を与えるというのではなく、ゆっくりと考えた跡がよく表れている
さらに、講演録のようなので、言葉も日常のものに近く、話の流れについていきやすい
今日読んだところでの印象を以下に少しだけ書いてみたい

エコエティカとは何なのか?
その背景には、人間を取り巻く環境の変化の認識がある
これまでは自然だけがわれわれの環境だったが、今や技術や芸術なども環境の中に入ってきた
高度に技術化された環境を「技術連関」という言葉で形容している
また芸術作品の保存や継承も新しい倫理として取り上げるべきだと考えている
これまでの「対人倫理」だけではなく、「対物倫理」にも広げなければならないという考えである

しかし、エコエティカの訴えが広く認められることはなかったと著者は感じている
現代は倫理が忘れられやすい時代であると見ている
技術・効率性優先になっているため、それが満たされることでよしとする精神状態になっている
いろいろな行動指針や倫理規定ができ、それをパスすればよしとしている
そこで問題になっていることの哲学的・形而上学的意味を考えようとはしないのである
それをやらなければならないと訴えている

そのために重要になるのが「世界の沈黙」であると言っている
つまり、自分の周りに沈黙がなければ省みることができないということである
これが現代では難しくなっているということになる
これまでの個人的な経験から、沈黙を得ることの重要性には同意せざるを得ない
このことを体で理解できたのが、こちらの時間の最大の贈り物であったとさえ言える
わたしの言葉で言えば、内省のためには「意識の第三層」に入る必要がある
そのための必須条件は沈黙と孤独である、となるであろう

今至る所に見られる生命第一主義も、考えることをしなくなった症状の表れではないかと見ている
種々の価値について考察しないため、身近なことにしか目が行かなくなった結果だと見ている
つまり、考えて生命第一主義に辿り着いたのではないということである
哲学・形而上学の欠如である

倫理の影が薄くなっているもう一つの理由を哲学者の側にも見ている
現代を取り巻く問題について、哲学者が分析・議論し、発言することが少なかったのではないか
況や新しい倫理を提唱することはなかったのではないか
このような認識もエコエティカを唱える背景にあったようである
ヨーロッパでも教えていた経験があり、外からの視点を持つ人ゆえの発言になるのだろうか

当事者としてこれからに向けて大切だと思ったこと、それは次の訴えの中にある
「現代社会の中で・・新しい道徳原理を求めたりする理論的勇気を・・持ちつづけなくてはならない」
この中の「理論的勇気」という言葉である
道徳原理はそれぞれが考えていることに置き換えることができるだろう
これが科学技術の中で流されている精神に活を入れる言葉になり得るだろうか
そして、現代の問題について、率直で、闊達な語りが展開される日は来るのだろうか







2016年12月25日日曜日

土曜はぼんやり読む



曜日には関係のない生活をしているはずだが、土曜が最も好きな曜日になっている
なぜかほっとし、ゆっくりしたくなる気分が漂うのである
ということで、今日はここ数日で集めた論文を時間を気にせず読んでみることにした
自分の気質に合うものとそうでないものがある
そうでないものは深追いしないようになっている

科学者をしている時、そんなことを考えたことはあっただろうか
読まなければならないものは読んでいたはずである
今はそれが甘くなっている
最後までアマチュアなのだろう

今日の読みでは、マスターで比較的よくやっていたことが蘇るところがあった
こういう思わぬ繋がりが顔を出す瞬間をいつも待っている
この視点を重視して掘り直してもよいのでは、という気になる
こうしてやることだけは増えていく
来年は一つひとつを具体的な塊にしたいものである










2016年12月23日金曜日

9年間を堰き止め、考え直す



これまでの9年余りは興味が向くに任せていろいろなものを読んできた
学生という立場がなぜか無限の空間であるという意識を生み出していた
最初の学生時代との大きな違いである
そのため方向性のない自由なやり方になったのだろう
それは至福の時間であった

今年はそこからの移行の年であった
徐々に繭の中にいる感覚から現実社会に放り出されるような感覚が生まれてきた
勿論、隠れて前に進みたいというこちらに来る前の願いはそのままではある
デカルトが20年の間オランダでそうしたように

哲学を 「学ぶ」 とは (2007-04-19)

以前にも触れたかもしれないが、この記事にはオーギュスト・コントの写真が選ばれていた
おそらく前年にパリに来た時に撮ったものだろう
当時は街のオリエンテーションがついていなかったが、コントの家の前かも知れない


ところで、外の世界に放り出されたという感覚は、時間は有限であるという認識を生み出している
これは、そもそもこちらに来ることになる根にあった認識である
それが再び顔を出してきたということである
このことを本当に理解できると、これまでの読み方でよいのかという疑問が生まれてくる
自分が真に求めているもの以外に時間を割くのはもったいないのではないかという疑問である
ぼんやりしたいという願望が強くなっている身としては、この疑問は大きな意味を持ってくる

この疑問に対する一つの回答として、こういう考えが巡っていた
この9年の間に触れて反応したものは、わたしの内的世界を反映したものではないか
もしそうであれば、それに真面目に向き合うことは、わたしについての発見に繋がるだろう
わたしがこの世界をどう見ているのか、どう見たいと思っているのかの発見に繋がるだろう
これまでのものを軽く流してしまうのではなく、その流れを堰き止めて考え直してみる
それらが繋がった全体は、必然的に固有のものになるはずである
それをこれから暫くの間のわたしの「仕事」にするのがよいのではないのか





アンプロヴィゼできた一日

  La Touraine rêvée, André Bauchant


午前中から旧市街へ
いつものカフェではマスターが冗談を言ってきた
気分が軽くなる
2時間ほどだろうか
予定をこなすことなく、雑務に追われた

カフェを出てアナトール・フランス広場の方に歩を進めると、上の写真にあるポスターが目に入った
通りを挟んで眺めていると、素朴派の画家という言葉が見える
丁度開館したばかりだったので、覗いてみることにした
庭師で画家のアンドレ・ボーシャンAndré Bauchant, 1873-1958)の展覧会であった

師を持たず、描きたい時に描きたいように描いたと語っている
作品は日本にもあるとのこと
なかなか味のある絵を残している
単に自然を描いただけではなく、歴史や神話も題材にしている
生涯で数千点を残しているという
日本でも好む人が多そうな感じの絵であった
撮影禁止だったので紹介できないのが残念である
晩年のお顔には内から滲み出る充足感のようなものが表れていた
会場となった建物もなかなか雰囲気のあるところだった

そこを出た後、リブレリーに寄ってみたが、画集などはあまり出ていないようである
街を歩いている時、素朴派と言えばアンリ・ルソーがいることを思い出す
この画家については最初のブログに書いたことは覚えている
その中に何人かこの流れの画家の名前を書いたことも覚えていた
早速調べてみると、そこにアンドレ・ボーシャンの名前があるではないか
ただ、その時には特に強い印象は残さなかったようだが、、

アンリ・ルソー展 HENRI ROUSSEAU ET LES ARTISTES JAPONAIS (2006-11-23)


なぜか非常に嬉しくなり、もう一軒のカフェに寄る
ここの店員さんも顔を覚えていたようで、親しげに話しかけてくる
更にボーシャンについて調べるも満足はいかず

帰りにアナトール・フランス広場に向かうと観覧車(la grande roue)が動いているではないか
気分が軽くなっていたせいか、高所恐怖症を押して乗ってみることにした
三回ほど回ったようである
途中、不思議な感覚に襲われる
自分の前には人はなかったはずなのだが、それが現れて驚く
一瞬どういうことなのか分からなくなっていた
以下に、40メートルの高さから見たロワール川の南側と北側の写真を一枚ずつ










2016年12月22日木曜日

逸民、陸沈者、高等遊民のことなど



その時々に考えたことや自分の中に入ってきたことを記す「断章」と名付けたワードファイルがある
ノートを持ち歩くことは減っていたが、こちらには書いていたことが分かる
年の瀬を迎え、今年の正月から読み返してみた
今年はこれまでで450ページを超えている
因みに、2015年を見てみると500ページを超えていた

書くことだけで、目に見えない効果はあるのかもしれない
しかし、読み返すことにより、思考過程や事実が意識に固定されることになる
それは考え直す機会を与えてくれるもので、哲学する機会にもなっている
これまでは前に進むことに追われていたため、読み返す余裕は持てなかった
今年の年末は少し違うようである

1月の10日分を読んだだけで、一つのことに気付いた
それは、そこに書かれてあることをその後に言ったりやったりしていることである
これには驚いた
詳しいことは意識に上っていないのだが、どこかに滲み込んでいるようである
それが出会った状況の中で無意識の中から出てくるのかもしれない
一旦覚えて、その後に忘れるという過程にも通じるのだろうか
現在のわたしの場合、最初に書くという摩擦がなければ、このようなことは起こらなくなっている
通り過ぎて見えなくなるだけである
その記憶を引き出す術もなくなる

それから日本語のビデオを観る(聴く)ようになっていることにも気付いた
すっかり忘れていたが、今年の元旦には小林秀雄のべらんめい調の講演を聴いていた
その日のメモには「逸民」や「陸沈者」などの言葉が見える
逸民とは俗世間を遁れて、隠れ住んでいる人、隠遁者
陸沈者とは表面上は俗人の中にあり、同様の生活を営みながらも隠者として暮らす人
『荘子』の雑篇・則陽に出てくる

どこか自分と重ねるところがあったのだろうか
勿論、大隠などではあり得ないのだが、、
そう言えば、この秋のSHEで、参加者から「高等遊民」と評されたことを思い出した
今ではあまり聞かなくなった懐かしい言葉である
こちらも高等とは言い得ないのではあるが、、





2016年12月20日火曜日

日光浴と哲学



古代ギリシャの犬儒派の哲学者ディオゲネスは日光浴を日課にしていた
そのことは知っていた
しかし、それは自分もこれまでやってきたことであると気付いたのは、初めてである
つまり、ディオゲネスがやっていたこととの繋がりで見たのは初めてという意味である
わたしの発見である
そこにあるのに気付かないことは日常茶飯事だが、それを自分に意識させることが大切である
そのために敢えて記載することにした

わたしの場合、日光浴をやっている時に瞑想とか省察というアイディアが浮かんできた
考えるということがどういう運動なのかについて、一つの理解に達したと思ったのである
ディオゲネスがなぜ日光浴をしていたのか
それは分からない
ひょっとすると、いや、間違いなく、その時彼は哲学していたのであろう

日光浴は哲学に必須だったのである
これがやや強引な今日の結論だろうか





サイファイ研の来年を思い描く



来年から始める予定のベルクソン・カフェサイファイ・フォーラムFPSSのサイトの背景を新しくした
不思議なもので、これだけで訪問した時の気分が全く変わってくる
その場で展開することが以前と変わってくるのではないかという期待感まで生まれてくる
見かけではなく中身だという見方もあるが、見かけは意外に大事なのか

来年はこれまでの3つのカフェに上の2つが加わることになる
これらの活動のぼんやりとした絵を描いてみた
どうなるのか予想もできない
ただ、学生という振り返れば大きかった縛りがなくなったのでそれほど心配はしていない

人間の営みをテオリアとプラクシスに分けるとすれば、これらは後者に当たるだろう
前者についても考えていることがある
新しいプロジェが加わることになるので、来年はその様子を見る年になるだろう
昨日も書いていたようだが、飽きやすく気の多い性分なのでいろいろ工夫が必要のようだ
ただ、そんなことを言っているようでは「こと」は進まないのではないか

こういう有無を言わせぬ考えは、仕事をしていた時の発想が息を吹き返しそうな徴候なのだろうか
それだけは避けたいものである
来年はこの推移を見る年にもなりそうだ




2016年12月18日日曜日

食べたくなるように料理する



昨日、トゥールに戻った
僅か1日空けただけだが、戻った時は実に新鮮である
次第に、その感覚は薄れるのではあるが、、

パリに住んでいる時、狭いアパルトマンは足の踏み場もないほど本で溢れていた
そのためだと思うが、その中に入ると自らの脳が身の回りにあるという感覚があった
意識の中では脳の中に住んでいるように感じていた
それで「仕事」が捗ったかと言われれば答えに窮するのだが、、

こちらではスペースが広がったためか、開放感がある
脳の中に住んでいるという感覚からは程遠くなっている
それをよいもの、健康なものとも感じてきた

昨夜のこと、別のテーマに絞って当分やってみてはどうかというアイディが浮かんだ
これまでの沈滞した気持ちが浮き上がって来るのを感じ、早速関連資料を集め始めていた
それが溜まってきた時、これまでとは違い、精神が何かには囲まれている感覚が生まれてきた

大きな構想を持つことは大事である
しかし、それを前にして眺めていると手が付けられなくなる
昔来た道である
「当分は」ということで、小さな断片にして集中するのが「こと」を前に進めるにはよいのだろう
しかもその時に一番しっくりくる断片にするのがポイントではないか
自分が食べたくなるように料理することが大切、ということである

それで本当に前に進むのかを確かめるのが来年ということになりそうである





2016年12月17日土曜日

パリで用事を済ます



今日はパリで用事があり、早朝から出かける
数か所に立ち寄らなければならなかったので、全体の流れを頭に入れてから出かけた
実にスムーズに「こと」が進んだ
これまでにも触れているが、こちらが向かって行くのではなく、周りが流れていくという感覚である
そのため非常に良い感じで「こと」を処理しているという気分になる

夕方には哲学に興味を持っているという音楽で留学されている方のお話を聞く
音楽の中にも外に向かうものと精神の中に入るようなものがあるようだ
明快に聞こえるものと闇の中に入るようなものとでもいうのだろうか
音楽は科学とは違う精神の領域を使うと大雑把に考えていた
しかし、その中にも科学的なものと哲学的なものがあるということなのだろうか
いずれにせよ、そこまで突き詰めてこれまで聴いてこなかった
音楽は科学を進める精神にも目に見えない影響を与えている可能性がある
哲学についても同じことが言えるかもしれない
領域を厳密に分け、それ以外を排除するという立場には落とし穴があるということは言えそうだ

久し振りのパリだが、メトロは無料であった
どうも大気汚染対策のようで、車に乗らずメトロを利用して、ということらしい
今日のようにパリの街を動き回る時にはありがたい対策であった
明日にはトゥールに戻る







2016年12月15日木曜日

フーヴァー大統領再び



昨夜読んだ前ブログ記事にこれがあり、当時の記憶が蘇る

歴史家としてのハーバート・フーヴァー大統領 (2012.6.28)

そこで取り上げられていたのは、1000ページに垂んとするこの大作
Freedom Betrayed: Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath
Editor: George H. Nash (Hoover Institution Press, 2011)

記事で感じるところがあったのは、FDRとの対立とフーヴァー(1874–1964)に対するシンパシー
それと晩年の日課である

彼は1933年から亡くなる64年までニューヨークのウォルドーフ・タワーズの一室に住み続けた
70歳で妻を失う
80代の日課は、毎朝5時半に起き、食事をする以外は書き続けたという
その結果が85歳からの5年間で7冊、そしてこの大著を残して 90歳で亡くなっている
毎日雲を見て無駄に過ごしている身からすれば、見習いたい集中力とスタミナである






2016年12月14日水曜日

最後は昔の自分に会う



昨日も朝から街に出た
いつものカフェでメモを読み、計画を描く
この過程が一番楽しい
そのため、なかなか実行に移らないのが難点だ
この日もそうはならなかった

帰り、もうすっかりお馴染みになった景色を遠目に眺める
この町は街中でも空が高く広い
それが改めての感想であった
この空を眺めていると、何もしたくなくなる
買ったばかりの本を路上の席で陽の光を一杯に受けながら暫く読む
至福の時間だ
しかし、これでは物足りなかったのか、アパルトマンに戻ってからも秋の空を味わい尽くす

アナトール・フランス広場、ロワール川沿いには小さなスケートリンクができていた
そこで中年女性が一人で誰に気兼ねすることもなく、音楽に合わせて滑っている
写真でそれを伝えられないのが残念である
予想を裏切る自由な体の動きを見ていると、こちらも気分が晴れてくる
それが凝り固まった心を解放してくれるのだろう





夜、前ブログ「パリの断章」を読み返す
読み始めはいつも新鮮で、驚きに満ちている
昔の自分に会う緊張感がある
よくこの世界に身を晒していたことを確認し、真面目な学生でなくてよかったと改めて思う
ルソーの 「孤独な散歩者の夢想」 に感じるところが多かったという記事がある

もうすぐ300歳になるルソーさんの夢想から (2012-7-17)

それは今でもよく中に入ってくる
ひょっとすると、当時よりももっとよく入ってきているのかもしれない

最後は、いろいろなところに散らばってある音楽ビデオとそれに繋がるものを味わう
こちらの小さな演奏会のビデオなどを観ていると、ヨーロッパを感じることが多くなっている
これも至福の時間である





2016年12月13日火曜日

「わたしの真理」 への道、あるいは人類の遺産と共に考える



雑誌「医学のあゆみ」に連載中のエッセイを紹介いたします

第39回 「わたしの真理」への道、あるいは人類の遺産と共に考える

医学のあゆみ (2015.12.12) 255 (11): 1140-1144, 2015

お目通しの上、ご感想を頂ければ幸いです

よろしくお願いいたします






2016年12月12日月曜日

周りとの垣根を低くする



こちらに来てから4-5年は意識的にフランス語の中にいた
それは、世界がぼんやりとした、夢のような、恰も繭の中にいるような至福の時間であった
その後、徐々に英語が侵入し、現実に戻されるような感覚が生まれた
今ではフランス語と英語が混在しても気付かないことがある

また、学生という縛りがあったためか、読むものは哲学に集中していた
リブレリーに行っても向かう先には哲学セクションがあり、他のところには殆ど足が向かわなかった
気の多い身としては、学生になったことの利点がここにもあったと言えなくもない
学生が終わったことで、徐々にではあるが哲学以外への垣根が少し低くなっているのではないか
昨日、小説を読みながらそう感じていた


本日は午前中から街中へ
比較的良い読みができた

昼には大学に寄り、わたしを受け入れてくれた研究者と久しぶりに顔を合わせる
近くのレストランでデジュネ
わたしの諸々のプロジェを話し、これからの大まかな予定を決めた

哲学者は哲学を科学者に伝えるだけでは不十分であるという考えをお持ちのようであった
それでは何が必要なのか
それは、科学者と対等に議論して科学に貢献することだという
哲学に籠っていては駄目で、外に開かれていなければならないということなのだろう
勿論、哲学の領域でも仕事はしなければならないのは言うまでもないのだが、、
結構高い要求水準である

また、科学や哲学を外に知らせることの重要性も話題になっていた
インターフェースにいるわれわれのような人間の仕事になるという点で認識を共にした
しかし、それは非常に難しい仕事であるということについても
試行錯誤を繰り返すしかないのだろうか

ところで、日本文化がフランスの日常に入っているという話も出ていた
小学生の娘さんとの会話で、日本のことをよく知っているのに驚いているという
学校で習うわけではないようなのだが、どこからか情報を得ているのだろう
ご本人の時代とは大きく違っているようだ
玉露をお好みの方の娘さんは玄米茶を好んでいるとのこと
このような傾向はどの国にも起こっているのだろうが、少しだけ驚いた


久し振りに「きりっとした」一日になってきた
まだ半日残っている






『イヷン・イリッチの死』 を半世紀ぶりに読む



大学に入った年の冬に読んだことになっているこの本を読んでみた
昭和3年初版のものなので、『イヷン・イリッチの死』 となっている
こちらに来てから、この本が医学倫理の教科書などで必読書のように扱われていることを知った
そのため、いつだったか日本の本棚にあるものをこちらに持ってきていたのである
いずれ読もうと思ったのだろう
その前に仏訳も手に入れていたのだが、いずれもなかなかその気にはならなかった
文学に目をやる余裕がなかったとも言える

最近感じることは、若い時の読書は単に字面を追っていただけではなかったのかということである
今回半世紀ぶりに読んでみて、書かれてあることがよく分かるという感覚が生まれている
当時は今とは違い全身で何かを掴んでやろうと思いながら読んでいたはずである
しかし、その結果は理解というより、そうなのかなという感想に留まっていたのではないだろうか
その後の人生経験や特にこちらに来てからの読みの体験が理解に導いてくれているのだろう

読み始めてすぐ、ロシアの人名が何とも言えない懐かしさを呼び起こしてくれる
そう言えば、学生時代には第三外国語としてロシア語を取っていたことも思い出す
当時は周りが緑で溢れるような、訳もなく希望のようなものが一面に広がっているような感じがした
この小説にもあるように、若き日の喜びは次第に詰まらない、疑わしいものになっていくのだろうが

死を前にして、主人公の中にはこういう疑問が芽生える
「もしもおれの・・・意識的生活が本当にすっかり間違っているとしたらどうだろう?」
それまで現世で求めたものは悉く間違っていたのではないか
仕事も家庭も生活も社交も・・・





2016年12月10日土曜日

8年後の九鬼周造



前の前のブログ「パリから観る」で九鬼周造に触れたことがある
こちらに来た翌年の春のことになる

バッハ、そして九鬼周造という人 Bach, et qui est Shuzo Kuki ?  (2008-05-02)

そのことを思い出したのは、今日暇を持て余している時、九鬼の随筆集を手に取ったからである
上の記事にもあるが、私のブログには九鬼的なものがあるというようなコメントを頂いたことがある
8年前当時のことである
記事の中で引用したところを読んでみた
しかし、今ではそれほど感じなくなっている

今回随筆集をぱらぱらとやってみて、8年超の経験が齎したと思われる影響を感じることができた。まず第一に、固有名詞を含めたいろいろな言葉が自分の身近に感じられるようになっていることである。それから、九鬼が随筆を書く時には自分が入るような主題の扱い方をするというところが印象的だった。当時はエッセイを書いていなかったので特に感じなかった。しかし、2012年から自分で書き始め、振り返ればそこに同じ性向を見ることができるからである。また、例えば「書斎漫筆」などを読んで、哲学や哲学者に対する見方にも同質のものがあることに驚いた。

デカルトの『方法序説』に対して、「学問に対する真摯な態度と思索に対する熱烈な激情とが全編に漲っている」という評価をしていること。ベルクソンの『形而上学入門』は、「哲学とはいったいどこまで徹底的にものを見るのであるか」を知るために極めて適切であると見ていること。前々回のカフェPAWLで取り上げたエピクテトスの『遺訓』を影響を受けた本として挙げていること。そして、エピクテトスよりはエピクロスにより多く導かれていたとあること、などである。ただ、エピクロスの特徴を「享楽の哲学」と形容しているところは少し気になったのだが、、。









2016年12月8日木曜日

ちょっとした言葉が・・・



午前中から外に出る
旧市街のプレスで手に入れた雑誌をカフェで暫く眺める
ちょっとした言葉が思索を誘発する
これはこちらに来てから全く変わらない
日常の中でこのような時間を得ることは、日本ではなかなか難しい
おそらく、このためにこちらの時間を欲しているのだろう

旧市街から街中へと歩を進める
リブレリーにも寄る
いつもより人出が多いようだ
フェットの雰囲気が溢れている
その雰囲気に押されるように、本日は街中でデジュネ
久し振りだ

今日はまだ半日残っている
これから何を摘み取ろうか、というところだろうか









2016年12月7日水曜日

思考の硬度



世に情報は溢れていると言われる
情報に溺れないように、というような声もよく聞く
誰もが情報に飢えているように見える
それを追いかけているうちに人生は終わってしまうかのようである

問題は情報の先、知識の先にあるはずだ
その先にその人間が持っているものが現れることになるのではないだろうか
サイファイ研の「知識で終わる世界」から「知識から始まる世界」である
その移行に関わるのが思考である
哲学と言ってもよいだろう
そこで問題になるのが、その質である

「思考の質」
これは現代フランスの哲学者ジャン・リュック・マリオンさんの言葉として知ったのではなかったか
わたしが敢えて言い換えるとすれば、思考の硬度、密度とでもなるだろうか
思考に知識は重要だが、それだけでは不十分だ
知識を並べても思考にはならないからである
知識とは別の何かが必要になるということを感じ取ったのは、こちらに来てからであった
それ以前には思考というものをよく理解していなかったということでもある
考えていなかったのである
日本では知識の量と思考の質の間の区別が意識されていないということを意味しているのだろうか

いずれにせよ、わたしの歩みは思考の質を高めることに向けられているようである









2016年12月6日火曜日

勢いのあるロワール



昨日は朝から旧市街へ
人の少ないこの時間も嫌いではない
このところ空は晴れている

カフェでの座る場所も決まってきた
プロジェに入るために周辺を少しだけ読む
いつものように、すぐには中に入って行けないようだ
気が付いたら3時間

街中を散策し、途中リブレリーへ
一冊だけ手に入れて、もう一つのカフェで2時間ほど読む
いろいろなところに広がるような感覚が生まれる

帰りに久しぶりにロワールの流れを見る
やはり、夏と比べて水量が多く、流れが速い
以前の観察に間違いはなかった

飛行機雲が次から次と気持ちよく現れてくれる一日だった







2016年12月5日月曜日

なぜ読むのか?



研究者として仕事をしている時、忙しいから人のものを読まなかったのだろうか?
どうもそうではないような記憶が蘇ってきた
他の人の考えよりも自分の考えが重要だと思い、意識的に外からの声を避けていたのではないか
そのため、何かを読んでもなかなか中に入って来なかった
それがさらに読むことを遠ざけていた可能性がある
勿論、根底には忙しさのために自らの中を十分に観ることができていなかったことはあるだろう

それが変わったと思ったのは、こちらに来る数年前
自らの存在の危機のようなものを感じたこともあったのだろう
いろいろな模索が始まった
その辺りから、言葉というものに対する感受性が異常に亢進したように思う
人の言葉がよく入ってくるようになったのである
勿論、人による程度の差はあるのだが、、

そしてこちらで気儘に読む中で、自分の考えなどは知れていることに気付くことになった
自分が考えているようなことは、すでに、しかもずっと深く考えられていることが分かったのである
そこで自分ができることは何なのか?

それは自分の中に在るものと共振するものを読み、すでに在ると思われるものを深めること
この過程は中に在るものの形をより明確に掴むことにも繋がる
そして、そこで得られたいろいろな要素を繋ぎ合わせること
すなわち、考えること
それを繰り返すうちに、これまでにないものが現れるのではないか
そんな期待を持ちながら只管歩むこと

しかし、実際には先のことはどうでもよいと思っているフシもある
なぜならば、その営みの中に深い悦びがあることを感じることができるようになっているからである
それは14世紀に吉田兼好がすでに感じていたことでもある


「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人をともとするぞ、こよなう慰むわざなる」

"To sit alone in the lamplight with a book spread out before you, and hold intimate converse with men of unseen generations -- such is a pleasure beyond compare."
(Yoshida Kenko Essays in Idleness)

« Solitaire, sous la lampe, c'est une joie incomparable de feuilleter des livres et de se faire des amis avec les hommes d'un passé que je n'ai point connu. »
(Urabe Kenkô, Les Heures Oisives)





2016年12月4日日曜日

「一日を摘む」 という感覚



ホラティウスに 「その日を摘め」 という有名な言葉がある
Carpe diem である
パリの学生時代のほとんどの日はこの感覚の中にいたのではないだろうか
文字通り 「今日一日をどう摘むのか」 という問いとともに動いていたようにも見える

言葉では知っているが、それが実はどういうことを意味しているのかを知らないことが多い
それが分かったと感じる瞬間がパリ生活には溢れていたように思う
「わたしの発見」 である

それほど意識はしていなかったが、何かを理解したというこの感覚は大きな悦びだったはずである
それは目に見えないところで大きな影響を与えていたはずである
この感覚もあの興奮状態を支えていた可能性がある

そして、ここトゥールに移っても 「どうこの一日を摘むのか」 という感覚がどこかに残っている
やはり、わたしはエピクロス主義者なのだろうか




2016年12月3日土曜日

あの興奮状態のわけ



一夜明け、ある本を読んでいる時、一つのことに思い当った
フランス生活の最初の6年がある種の興奮の中にあったのはなぜなのか?
それまで日本で科学を職業にしていた人間がフランスで哲学に入った、と総括してみる
そうすると、あれほど長期に亘る興奮状態を維持できた一つの理由が見えてくる

まず、それまでの拘束された状態から解放されたという自由の感覚があったのではないか
その上、その間日本とフランス、科学と哲学という二つの緊張関係の中にいたことがあるだろう
それが時とともに日本と科学を相対化できるようになり、緊張が薄れて行ったのではないだろうか
日本と科学に身を置いていたために生まれるものの見方が薄められてきたように感じる
まさにこのブログのテーマとも重なるものである

ある意味では、今は日本で科学を始める前の精神状態に戻ったようにも感じる
何のことはない、職業、専門に入る前の学生時代の状態に近いのではないだろうか
そう言えば、最近のエッセイでも学生について触れていた

最初の学生時代が今のような精神状態にあれば、その後の人生は大きく変わったのではないか
そんな思いも湧いてくる
それは叶わぬ願いであることは知っているが、それほど大きな影響を与えたパリの学生生活
しかし、今ではあの興奮状態を再現することさえできなくなっている

今、全く新しいフェーズに入ってきたということだろう




メモが向こうから寄ってくる



パリに行ってから6年間ほど、毎日ノートに何かを書いていた
どこに行くのにもノートを手放さなかった
そう務めたのではなく、内なる欲求からそうせざるを得なかったのである
外から入ってくる情報だけではなく、内で起こる変化なども新鮮で仕方なかったのだろう
こんなことは生まれて初めてのことであった
それが6年も続いたということである
驚きである 
そのこと自体が哲学するということだったのかもしれない

既に触れていると思うが、不思議なもので、ある時点からそのような気が次第になくなって行った
おそらく、これまで新鮮に感じたものに慣れてきたのだろう
それと同時に、気持ちも落ち着いてきた
日本にいる時と似たような状態になってきたのである
今年はそのフェーズの1年目だったと言えるのだろうか
自分なりのプロジェを進める時が来たとも言えそうである

昨日、溜まったノートの一冊を何気なく取り出してみた
それは4年前のもので、ページを開いて驚いた
何と、今やっているプロジェそのものについての4年前の考えが出てきたのである
そこには忘れていた興味深いメモがあった
忘れているが、それを見ると書いたことは思い出すといういつものメカニズムである
こういうちょっとしたことが精神に活力を与える
集中力が一気に増した

今、宝とともにいることを実感する





2016年12月2日金曜日

飽きやすい人には、いくつものプロジェを



今年も最後の月になった
年の初めには、今の時期このような場所でこのような心境になっているとは想像もできなかった
まあ、それはいつものことではあるのだが、、
しかし、今年は大きな変化があった年と言えるのだろう

午前中はぼんやりして過ごす
頭の中をゆったり構えさせるこの時間がわたしにとっては不可欠のものになってしまった
それが次への集中を生み出すこともある

午後から旧市街へ
いつものカフェで3時間ほど集中できた
周りに元気な学生さんが溢れていることも集中させる要因だ
それと久しぶりのプロジェであったことも大きい
飽きやすい性向の人間には、いくつものプロジェを持たせることが良いのかもしれない
それを回すので飽きる暇がなくなるのである

この時期の夜空の藍の深さは何とも言えないものがある
暫し見入る
そして、目に入ったか細い弓張り月が美しかった




2016年11月30日水曜日

周年ライフサイクル



トゥールもクリスマスのシーズンを迎えている
駅前の広場には年末恒例のお店が出ていた
いつものように旧市街のカフェに始まり、飽きると街中を散策
またカフェへ、という代り映えのしない生活の中に在る

今の段階で今年を振り返ってみる
今年の前半は日本での時間を長く取り、主に翻訳を中心に進めていた
お陰様で8か月をかけて約300ページを終えることができた
これから校正に入るものと思われる
この間、サイファイ研主催のSHE札幌、SHE、PAWLというカフェを開いた
勿論、人に会うことは大きな出来事として大切にしているのは言うまでもない

6月末にはこちらに戻り、トゥールでのアパルトマン探しと9月中旬の引っ越しを無事に終えた
そして、10月末から1か月の日本滞在
この時は、二つの学会参加と三つのカフェ開催を行った
この滞在では「これから」が整理されたように思う
その中に最近お知らせしたばかりのフォーラムFPSSとベルクソン・カフェのアイディアの芽があった
場所を変えることには大きな効用がある
古人も言っているように、われわれは別の場所で考えるのである

今年の生活を代謝あるいは意識の深さのレベルから振り返ると下図のようになるだろうか
上に行くほど肉体の代謝が上がり、下に行くほど意識の深さが増すというイメージだ
おそらく、当分の間はこのリズムでやっていくことになるだろう
それぞれのフェーズの長さには変化があるだろうが、、、
わたし流の動的生活と静的生活のバランスのとり方がここにあると思いたい




この一年の変化をさらに引いて見ると、次のような図が現れる
上で見られる変化のレベルは、仕事をしている時に比べると誤差範囲にある
つまり、いずれのフェーズも元のレベルから見ると静的生活に当たるということである
興味深い全体像を発見することができた








2016年11月29日火曜日

新しいカフェは 「ベルクソン・カフェ」



日本から戻って、まだ1週間ということが信じられない
かなりの時間が経ったという感覚があるからだ
それだけ充ちていたと思いたい

今日は朝から旧市街に出て、翻訳を始める
午後からは事務的な手続きに向かう
パリとは違い、相手との距離が近いという感じで、非常にやりやすかった
すべてが手の内に入るというこの感覚
小さな町の特典だろう

ところで、以前に 「フランス語を読み、哲学を語る会」 について触れた
その名前が急に 「ベルクソン・カフェ」 に収斂してきた
こういうことが予想もしない時に起こることはしばしばである
その理由は立ち上げたばかりのサイトにあるのでご参照願いたい

ベルクソン・カフェ


開店は来年春以降の予定です
この試みに興味をお持ちの方の参加をお待ちしています
ご質問等ございましたら、自己紹介欄のアドレスまでお知らせください
ご理解、ご協力、よろしくお願いいたします






2016年11月25日金曜日

「サイファイ・フォーラムFPSS」 の呼び掛け


   「サイファイ・フォーラム FPSS」 の呼び掛け
Forum of Philosophy of Science for Scientists 
―― 科学者のための科学の哲学フォーラム――
 
     
【趣旨 「科学を文化として」という声をよく耳にする。しかし、科学者が科学を文化として扱ってきただろうか。何か新しい成果が見つかると、それはこれこれの病気の治療に結び付く、というところでいつも終わっている。それは科学を技術としてしか扱っていないことである。そこには思考というものがなく、まさにハイデッガーが指摘した通りの科学の特徴が現れている。そこから脱しなければ、科学は文化にならないだろう。そのためには、現場から物理的あるいは精神的に離れた立場にいる人が科学について考える過程に参加する必要があるだろう 

これまで提案してきた「科学の形而上学化」は科学の外の領域が科学の中での研究と発見について考察するもので、そこまでを含めた活動を新しい科学の全体として再定義しようとするものである。つまり、形而上学化されていない科学は不完全な科学ということになり、このような試みを行って初めて科学は文化になる可能性が出てくると考えている。

自らを振り返っても、現役の研究者はそのような活動の時間がなかなか取れないと思われる。しかし、現場から離れた研究者、あるいは退職後の研究者にとってはうってつけの営みになるだろう。これも個人的な経験になるが、現場を離れてからの方が科学を近く感じるようになっている。それは科学をこれまでとは違う視点から眺めることができるようになるだけではなく、より全人的な立場から科学に向き合っている感覚がそこにあるからではないかと考えている。この感覚を現場の科学者、さらには市民と共有しながら科学について語り、考察することが科学を文化にする上で重要になるのではないだろうか。 

科学に内在する哲学的な問題、新しい研究成果の中に見られる哲学的なテーマ、さらに研究の進展に伴って現れる倫理的な問題など、考えるべき材料には事欠かない。その上、このような問題について考えることのできる最も近いところにいるのが、実は科学を経験した上でそこからある程度の距離を取っている人である。これまで携わってきた領域を新たな目で学びながら眺め、科学が明らかにするこの世界の断面について考え直すことにより、われわれが生きている世界の理解を深めることができれば素晴らしいと考えている。さらに、そこから科学の世界だけではなく広く社会に発信することにより、科学についての教養、あるいはわたしの言葉を使えば、科学についての「意識の第三層」を深め充実させることにも繋がることが期待される。科学の学会でも哲学の学会でも扱われることのない科学者の身近にある問題を科学に身を置いた者同士が語り合い考えることは、科学を文化とする上でも重要な営みになるだろう。そして、このような試みに関わることにより、自らの生をも豊かにすることができるものと確信している。 

【対象】 呼び掛け人の背景もあり、領域は生物系に限定して始めることにしたい。この領域の、そしてこの領域に興味をお持ちの元研究者、現役研究者、および科学者との意見交換が可能な哲学をはじめとした人文社会科学を専門とされている方の参加を期待している。但し、科学者以外の参加を除外するものではない。 

【運営】 具体的なやり方については賛同者が一堂に会して(それが難しければメールで)ざっくばらんに意見交換する機会を持った上で決めていくというのが現実的だと考えている。基本的に留意したいことは、あまり形式ばらず、個人が前面に出るフラットで緩やかな繋がりにしていきたいという姿勢である 

科学について広く考え、科学の側から科学を文化にしようとするこのような試みについてのご意見あるいは興味をお持ちの方 、she.yakura@gmail.com までご連絡いただければ幸いです。

具体的に動き出すのは、来年春以降の予定です。
ご理解、ご協力のほど、よろしくお願いします。    


サイファイ研究所ISHE代表&
フランソワ・ラブレー大学客員研究員
矢 倉 英 隆


(2016年12月10日改訂)

PDF版はこちらからお願いします

専用サイトは以下になります
http://sci-phi-fpss.blogspot.fr/






2016年11月22日火曜日

旧市街の辺りをうろうろ



今朝も街に出た
まだ寒いという感覚はない
旧市街でプロジェの一つに取り掛かる
店員の対応が柔らかく、こちらの気持ちも和む
ただ、まだまだ調子は出ない

それから旧市街を写真を撮りながら散策
リブレリーに入る
今日は三冊手に入れた
PAWLやSHEのテーマがわたしの中で響き合っていて、それが本を引き寄せているようだ
非常に良い感じである




夕方、バルコンに出るとこの景色
あっという間に焼け、暗くなっていった





初日はこれからに向けて



今朝は曇り
出る頃には風が強く、さらに雨が加わった
こちらでやるべきことが溜まっていて、その処理のためであった
それは順調に終わり、カフェに入る
いつもの流れである

初日にしては結構集中ができた
あるいは新鮮な初日だったからなのか
次第に固まってきたこれからに向けてのリストを作ってみた
集中だけでは満足しないのか、適度に拡散している
かなりのものである
実際にどの程度進むのだろうか

ところで、今日こちらの研究者とメールのやり取りをしてニンマリすることがあった
冗談のセンスが微妙で、言ってしまわず、しかしその心がニヤッとしていることが分かるというもの
うまく表現できないが、何とも言えずよい
徐々にこちらの大学にも組み込まれつつあるように感じる
彼らがそのように気を遣ってくれていると言った方が正確なのだろうが、、

午後から少しずつ淡い青の空が増えてきた
希望を感じさせるこの感じがよい
最後は快晴だったのではないだろうか




2016年11月21日月曜日

雨のトゥールに戻る



今夜、小雨そぼ降るトゥールに無事戻った
本当に繋がった平面を水平移動という感じ、実に不思議である

こちらに戻り、周りを見回すと出発前の頭の中が見えてくる
と同時に、今回の日本滞在がその中身を整理してくれていたことがよく見えてくる
これからの方向がより明確になってきたというところだろうか
あとは、体が動くかどうかの問題になるだろう





帰りの機内でこの映画を観てきた
多様な人間個人が語る生々しい問題
それは解決不能とも思える深い悩み、人間の根源的な悩みと言ってもよいだろう
愛、殺人、幸福、貧困、不平等、不正義、、

個人の語りの後に出てくる大自然が美しかった
自然は悩むことがあるのだろうか
今回のSHEのテーマにもなっていた人間と自然に繋がってくる
そして、背景に流れる音楽も大自然の無限に届くかと思わせるような響きがあった






また、7年前のクラクフで出会ったこの曲に再会
やはり、元気が出る
ニーナ・シモンという歌手
時に包み込むような、時に激しく爆発するような深みのある人間に届く声
素晴らしい
アルバムが3つもあり、お蔭様で睡眠不足になった