jeudi 29 décembre 2016

「日本人は何をめざしてきたのか」 での発見



向かいのラグビーグラウンドの芝生の緑が眩しい穏やかな年末である
朝の強い光を浴びながら紫煙の自在な動きを追う
至福の時間である

昨日のこと、何年か前に流れた 「日本人は何をめざしてきたのか」 という番組に辿り着いた
その中のあるものは日本で観ていたはずである
今回、鶴見俊輔の巻と湯川秀樹・武谷三男の巻を観直す
当時気付かなかったことに気付いたので以下に記しておきたい

鶴見氏の方では、最後の方に出てきた消極的能力と積極的能力という言葉である
氏はこの違いを戦争を例に採って語っている
積極的能力とは、爆弾など発明して、戦争に積極的に貢献すること
他方の消極的能力は、失敗などを覚えていて、そこから真理に向かおうとする能力と捉えていた

これを聞いて、科学においても同じことが言えるのではないかと気付く
すなわち、科学における積極的能力は、何かを発見したり、発明したりすることに関わる
では、消極的能力とは何になるのか?
それは記憶し反省する学としての哲学や歴史と言えるのではないか

ことに当たる時、積極的能力だけでは不十分で、消極的能力を兼ね備えていなければならない
消極的能力は目に見える効果を出しにくい
消極的能力の重要性が広く行き渡っていない所以である
そのために不可欠になるのが、実は「意識の第三層」の開発ではないか
それが未開発のままでは、身近のこと、目に見えることにしか意識が向かわないからである
これは湯川・武谷の巻でも強調されていたことそのものである 
そして、この認識はそのまま社会や国にも必要とされるだろう

ところで、湯川・武谷の巻でも新たな発見があった
原子力資料情報室を武谷から引き継いだ高木仁三郎は役割人間を拒否したとされる
武谷の方は科学は科学者がやり、運動は運動家に任せればよいと考えていたようである
テオリアとプラクシスの乖離になる
高木たちは武谷と決別し、自らの考えを発表する雑誌「プロジェ」を出すことになる

最初に観た時にこの言葉に反応してもよかったはずだが、その記憶がない
なぜならば、この言葉はわたしにとって重要な言葉になっているからである
フランス語を始めていろいろな変化が起こった
その中の一つに、同義の日本語や英語を聞いた時とは違う反応が起こることがあった
そのことに驚きながら楽しんでいた
これはフランス語と長く付き合うことになる一つの大きな理由でもあった

プロジェという言葉もその一つである
プロジェクトと聞いても、どこか技術的な響きがして体がさっぱり動かなかった
自分とは別物がそこに差し出されているという感じである
寧ろ、「プロジェクト研究」などという言葉を聞いた時のように、抵抗さえ覚える
しかし、プロジェという音は全く異なる反応を引き出してくれる
なぜか分からないが、そこで指されていることに全身で向かって行こうという気にさせるのである
体が前に傾くのである
それこそ、テオリアとプラクシスの区別がなくなり、全身が反応するとでも言えばよいのだろうか
それが人生における重大問題としてぞこあるという感覚である
以前にも指摘した記憶があるが、外国語を学ぶ醍醐味がこんなところにもあるのかもしれない





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