2020年1月20日月曜日

再びの分析哲学と大陸哲学(2)



今日は雲一つない快晴だった
朝はのんびりと紫煙を燻らし、煙が窓の外に出ていくその様を眺める
いつまで見ていても飽きない

さて、本日も昨日の続きを纏めておきたい
分析哲学と大陸哲学の特徴として挙げたものについて、分析を深めている
昨日の記事の最後のリストを参照していただきたい

まず、それぞれが重視する「立論」と「見方」の違いである
分析哲学は単純な命題から出発する
その命題に有利になるような単純で厳密な立論をし、対抗する命題を論理に基づいて批判する
その上で、最初の命題を結論へと誘導する
読者はそれを検証するが、重要になるのは立論の正当性だけである
分析哲学における価値は、命題の意外性、独自性、衝撃性ではなく、立論の確かさの中にある

他方、大陸哲学は最初に複雑な命題を投げ掛ける
解釈学の中に入り、しばしば歴史的な現実のイメージを修正する方向に導く
最終的な目標は、検証可能な明確で限定的な命題の提示ではなく、歴史的現実の全体的な見方を示すこと
一般的に受け入れられている考えを覆し、思想における有益な転換を引き起こす

第二に、「直接的な哲学」か「婉曲的な哲学か」の問題があった
婉曲的なやり方は、哲学的な問題を歴史やそこに登場する哲学的人物、文学や絵画までも動員して論じる
分析哲学者は哲学的問題提起が歴史性に依存せず存在していると信じているように見える
大陸哲学者はこの傾向を否定的に見ている
問題がどのように扱われてきたのかを知るために、過去の哲学者のテクストから始める傾向がある
それが正しいかどうかを知るためではなく、その時代になぜそう言ったのかを理解しようとする

第三に、「明晰さ」と「深さ」の違いについてである
分析哲学者は明晰さ、正確さ、綿密さを目指す
命題に始まる論理の流れから結論に至る過程でなぜこれらが重要になるのか

命題が明晰さを欠けば、何を言いたいのか分からず、その後の議論ができなくなる
厳密で正確な立論の過程は詭弁の要素を排除することができる
(昨今の政治状況を見れば、よく理解できる――大きく見れば哲学的視点の欠如になるか)

綿密さとは、明晰さと正確さのために哲学的省察を要素に分解することである
例えば、分析哲学者は知の定義を次のようにした
S が p(ある事実)を知っているということは、次の条件を満たしたときだけである
a) p が真である  b) S が p を信じている  c) S が p を信じるに十分な理由がある
このように定義を分解することにより、必要条件、十分条件が見え、反例を見つけやすくなる
しかし、この3条件で十分なのだろうか

大陸哲学者は存在や世界についての全体的な見方を提供しようとする
人生、愛、死、欲望、快楽、身体、思想、政治、善、悪、などを論じる
そして論理的解析の見かけ上の明晰さを批判し、真の明晰さを求める
論理学者や数学者に求められる厳密さではなく、哲学に特有の厳密さを要求する

それでは、深さとは何を言うのだろうか
空間的に言えば、深いということは底にあるもの、他のものを支えているものを意味する
根を張っているという意味では、高く成長する力を含意している
哲学者は表面的なところに留まるのではなく、意味を探求する
「もの・こと」について深い解釈を与えるのが哲学者の専門性である
ニーチェが「事実はない、あるのは解釈だけだ」と言ったように

大陸哲学者と分析哲学者の違いを、「文学的」と「科学的」に分けて考えることもできる
前者は作家で作品を残すが、後者はある問題についての専門家である
大陸哲学者は社会の問題について自分の立場を表明し、大衆やメディアに認められる
分析哲学者は仲間内の学問的な議論に参加し、その著作は大衆向けではない


(つづく)







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