2017年6月10日土曜日

第5回カフェフィロPAWL、無事終わる



今夜は第5回になるカフェフィロPAWLを開催した
今回の準備も最後まで形が決まらない苦しいものになった
参加された方は2回以上の方が殆どで、哲学との関係を模索されている方が新たに加わった
「哲学 X フランス」の検索から辿り着いたとのこと
模索の先に光が見えることを願いたい

今日はこれまでになく、どこかゆったりとした空気の中、自在に話題は広がったのではないだろうか
お陰様で、準備の苦しさが次第に和らいでいくように感じられた
ただ、参加された方の受け止めは分からない

今回のテーマも個人的な興味から選んだ「ソクラテスの死」とした
半世紀以上前に読んだ本を取り出し、記憶にある像とのギャップを味わうといういつもの試みだ
そこに大きなズレを感じれば感じるほど、頭の中を吹き抜ける涼風の心地よさが増す
西欧文化の根にあると言っても過言ではない紀元前399年に至る出来事を自分なりに振り返った

その過程でソクラテスあるいはプラトンが実践した哲学という営みの原型が現れてくるようであった
それは現代では忘れ去られているように見えるものだが、わたしには非常に身近に感じられた
ソクラテスが街に出て問いかけたテーマは、すべて本質的な問題であった
そういうことができたのは、魂の空間が広く深かったからではないだろうか
日常に溺れていると魂の空間を開拓できず、細かな問題にしか目が行かないからだ

さらに、死をどのように捉えるのかという永遠のテーマに一つの解が出されているようでもあった
永遠の魂と滅び去る肉体との二元論を説くプラトン描く哲学者ソクラテスの生と死
ソクラテスにとって、肉体は真理に導く魂の活動を妨げるもの以外の何物でもなかった
哲学者の仕事は魂から肉体を排除することだ、とまで言っている
換言すれば、哲学者の最後は死者同然になることなのである
その状態は、永遠の魂と共に真理の世界を彷徨う喜びを感じることになる
そういう人間がそもそも死を恐れるだろうか

唯物論者にかかれば、あり得ない世界になるだろう
ここ10年ほどの生活を振り返れば、体を削ぎ落すようなものになっていたことが見えてくる
そこから見ると、哲学の祖と言われる人物の見方には違和感を覚えなくなっている
その意味で、『パイドン』は実に興味深い読みとなった

参加された皆様に改めて感謝したい


会のまとめ





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