2016年12月7日水曜日

思考の硬度



世に情報は溢れていると言われる
情報に溺れないように、というような声もよく聞く
誰もが情報に飢えているように見える
それを追いかけているうちに人生は終わってしまうかのようである

問題は情報の先、知識の先にあるはずだ
その先にその人間が持っているものが現れることになるのではないだろうか
サイファイ研の「知識で終わる世界」から「知識から始まる世界」である
その移行に関わるのが思考である
哲学と言ってもよいだろう
そこで問題になるのが、その質である

「思考の質」
これは現代フランスの哲学者ジャン・リュック・マリオンさんの言葉として知ったのではなかったか
わたしが敢えて言い換えるとすれば、思考の硬度、密度とでもなるだろうか
思考に知識は重要だが、それだけでは不十分だ
知識を並べても思考にはならないからである
知識とは別の何かが必要になるということを感じ取ったのは、こちらに来てからであった
それ以前には思考というものをよく理解していなかったということでもある
考えていなかったのである
日本では知識の量と思考の質の間の区別が意識されていないということを意味しているのだろうか

いずれにせよ、わたしの歩みは思考の質を高めることに向けられているようである









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