2016年12月12日月曜日

『イヷン・イリッチの死』 を半世紀ぶりに読む



大学に入った年の冬に読んだことになっているこの本を読んでみた
昭和3年初版のものなので、『イヷン・イリッチの死』 となっている
こちらに来てから、この本が医学倫理の教科書などで必読書のように扱われていることを知った
そのため、いつだったか日本の本棚にあるものをこちらに持ってきていたのである
いずれ読もうと思ったのだろう
その前に仏訳も手に入れていたのだが、いずれもなかなかその気にはならなかった
文学に目をやる余裕がなかったとも言える

最近感じることは、若い時の読書は単に字面を追っていただけではなかったのかということである
今回半世紀ぶりに読んでみて、書かれてあることがよく分かるという感覚が生まれている
当時は今とは違い全身で何かを掴んでやろうと思いながら読んでいたはずである
しかし、その結果は理解というより、そうなのかなという感想に留まっていたのではないだろうか
その後の人生経験や特にこちらに来てからの読みの体験が理解に導いてくれているのだろう

読み始めてすぐ、ロシアの人名が何とも言えない懐かしさを呼び起こしてくれる
そう言えば、学生時代には第三外国語としてロシア語を取っていたことも思い出す
当時は周りが緑で溢れるような、訳もなく希望のようなものが一面に広がっているような感じがした
この小説にもあるように、若き日の喜びは次第に詰まらない、疑わしいものになっていくのだろうが

死を前にして、主人公の中にはこういう疑問が芽生える
「もしもおれの・・・意識的生活が本当にすっかり間違っているとしたらどうだろう?」
それまで現世で求めたものは悉く間違っていたのではないか
仕事も家庭も生活も社交も・・・





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