vendredi 23 décembre 2016

9年間を堰き止め、考え直す



これまでの9年余りは興味が向くに任せていろいろなものを読んできた
学生という立場がなぜか無限の空間であるという意識を生み出していた
最初の学生時代との大きな違いである
そのため方向性のない自由なやり方になったのだろう
それは至福の時間であった

今年はそこからの移行の年であった
徐々に繭の中にいる感覚から現実社会に放り出されるような感覚が生まれてきた
勿論、隠れて前に進みたいというこちらに来る前の願いはそのままではある
デカルトが20年の間オランダでそうしたように

哲学を 「学ぶ」 とは (2007-04-19)

以前にも触れたかもしれないが、この記事にはオーギュスト・コントの写真が選ばれていた
おそらく前年にパリに来た時に撮ったものだろう
当時は街のオリエンテーションがついていなかったが、コントの家の前かも知れない


ところで、外の世界に放り出されたという感覚は、時間は有限であるという認識を生み出している
これは、そもそもこちらに来ることになる根にあった認識である
それが再び顔を出してきたということである
このことを本当に理解できると、これまでの読み方でよいのかという疑問が生まれてくる
自分が真に求めているもの以外に時間を割くのはもったいないのではないかという疑問である
ぼんやりしたいという願望が強くなっている身としては、この疑問は大きな意味を持ってくる

この疑問に対する一つの回答として、こういう考えが巡っていた
この9年の間に触れて反応したものは、わたしの内的世界を反映したものではないか
もしそうであれば、それに真面目に向き合うことは、わたしについての発見に繋がるだろう
わたしがこの世界をどう見ているのか、どう見たいと思っているのかの発見に繋がるだろう
これまでのものを軽く流してしまうのではなく、その流れを堰き止めて考え直してみる
それらが繋がった全体は、必然的に固有のものになるはずである
それをこれから暫くの間のわたしの「仕事」にするのがよいのではないのか





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