mardi 27 décembre 2016

「パリから観る」 の言葉から



今朝、前の前のブログ 「パリから観る」 に入っていた
丁度、3.11前後の記事であった
その中に印象に残る言葉があったので再録しておきたい

そのあたりになぜかスタンダール(1783-1842)の日記を手に入れている
これまでは特に意識していなかった
しかし、生没年を入れて初めて彼が江戸時代の人だったことに気付き、驚く
その日記を手に入れた理由、それは読みやすさと次の言葉にあったようだ
« Je crois que pour être grand dans quelque genre que ce soit il faut être moi-même. »
「どんな分野でも立派になろうとしたならば自分自身でなければならない」
日記の序はアカデミー・フランセーズ会員のドミニク・フェルナンデスさん(1929- )が書いている
その中に、次の指摘があった
スタンダールはパスカルを近くに感じていた
この日記は宗教色のない 『パンセ』 である
長い間ご無沙汰していた日記を再び手にとってはどうか
そんな気分にもなってくる

それから、エドガール・モランさん(1921- )の本の感想もある
そこには彼の一貫した主張である「断片化された知の間の繋がりを探る思考」の重要性がある
さらに、「自らを振り返る自己検証」、「止むことのない自己を批判的に見る精神」の必要性が続く
フランス語で言えば、l'autocritique となるだろうか
その上で、次のようなことを言っていた(ようである)
21世紀の文盲は読み書きができない人ではなく、学び、忘れ、再び学ぶことのできない人。自己に向かって振り返る目を持つことのできない人。
振り返れば、この年の秋に始めることになったサイファイ・カフェSHE、それに続いたカフェPAWL
その背後にあった認識とも共通するものをここに見る
知識で終わるのではなく、知識から始まる世界、すなわち孤立した知を結びつける作業
そして、哲学者の生を振り返りながら自己に返り、自己を見直す作業

サイファイ研のミッションの意義を再認識することになった朝である





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