2016年12月10日土曜日

8年後の九鬼周造



前の前のブログ「パリから観る」で九鬼周造に触れたことがある
こちらに来た翌年の春のことになる

バッハ、そして九鬼周造という人 Bach, et qui est Shuzo Kuki ?  (2008-05-02)

そのことを思い出したのは、今日暇を持て余している時、九鬼の随筆集を手に取ったからである
上の記事にもあるが、私のブログには九鬼的なものがあるというようなコメントを頂いたことがある
8年前当時のことである
記事の中で引用したところを読んでみた
しかし、今ではそれほど感じなくなっている

今回随筆集をぱらぱらとやってみて、8年超の経験が齎したと思われる影響を感じることができた。まず第一に、固有名詞を含めたいろいろな言葉が自分の身近に感じられるようになっていることである。それから、九鬼が随筆を書く時には自分が入るような主題の扱い方をするというところが印象的だった。当時はエッセイを書いていなかったので特に感じなかった。しかし、2012年から自分で書き始め、振り返ればそこに同じ性向を見ることができるからである。また、例えば「書斎漫筆」などを読んで、哲学や哲学者に対する見方にも同質のものがあることに驚いた。

デカルトの『方法序説』に対して、「学問に対する真摯な態度と思索に対する熱烈な激情とが全編に漲っている」という評価をしていること。ベルクソンの『形而上学入門』は、「哲学とはいったいどこまで徹底的にものを見るのであるか」を知るために極めて適切であると見ていること。前々回のカフェPAWLで取り上げたエピクテトスの『遺訓』を影響を受けた本として挙げていること。そして、エピクテトスよりはエピクロスにより多く導かれていたとあること、などである。ただ、エピクロスの特徴を「享楽の哲学」と形容しているところは少し気になったのだが、、。









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