2016年12月26日月曜日

今道友信著 『エコエティカ』 を読む



静かな日曜日
午後から街に出る
ほとんどの店は閉まっている
人通りも少ない

そんな中でも開いているお店がある
その一つに入り、1時間ほど読んでから帰ってきた
道に出ているカフェなので、寒さを感じるようになるまでが1時間だったということになる
冬の寒さは想像していたよりも優しい

手に取ったのは、『エコエティカ: 生圏倫理学入門
著者の今道友信(1922-2012)氏のお話は、以前にビデオで観たことがある
ゆったりしたソフトな語りが印象的であった
スートゥナンスの後、アン・ファゴー・ラルジョー教授(コレージュ・ド・フランス)との会話にも出てきた
本書も単に知識を与えるというのではなく、ゆっくりと考えた跡がよく表れている
さらに、講演録のようなので、言葉も日常のものに近く、話の流れについていきやすい
今日読んだところでの印象を以下に少しだけ書いてみたい

エコエティカとは何なのか?
その背景には、人間を取り巻く環境の変化の認識がある
これまでは自然だけがわれわれの環境だったが、今や技術や芸術なども環境の中に入ってきた
高度に技術化された環境を「技術連関」という言葉で形容している
また芸術作品の保存や継承も新しい倫理として取り上げるべきだと考えている
これまでの「対人倫理」だけではなく、「対物倫理」にも広げなければならないという考えである

しかし、エコエティカの訴えが広く認められることはなかったと著者は感じている
現代は倫理が忘れられやすい時代であると見ている
技術・効率性優先になっているため、それが満たされることでよしとする精神状態になっている
いろいろな行動指針や倫理規定ができ、それをパスすればよしとしている
そこで問題になっていることの哲学的・形而上学的意味を考えようとはしないのである
それをやらなければならないと訴えている

そのために重要になるのが「世界の沈黙」であると言っている
つまり、自分の周りに沈黙がなければ省みることができないということである
これが現代では難しくなっているということになる
これまでの個人的な経験から、沈黙を得ることの重要性には同意せざるを得ない
このことを体で理解できたのが、こちらの時間の最大の贈り物であったとさえ言える
わたしの言葉で言えば、内省のためには「意識の第三層」に入る必要がある
そのための必須条件は沈黙と孤独である、となるであろう

今至る所に見られる生命第一主義も、考えることをしなくなった症状の表れではないかと見ている
種々の価値について考察しないため、身近なことにしか目が行かなくなった結果だと見ている
つまり、考えて生命第一主義に辿り着いたのではないということである
哲学・形而上学の欠如である

倫理の影が薄くなっているもう一つの理由を哲学者の側にも見ている
現代を取り巻く問題について、哲学者が分析・議論し、発言することが少なかったのではないか
況や新しい倫理を提唱することはなかったのではないか
このような認識もエコエティカを唱える背景にあったようである
ヨーロッパでも教えていた経験があり、外からの視点を持つ人ゆえの発言になるのだろうか

当事者としてこれからに向けて大切だと思ったこと、それは次の訴えの中にある
「現代社会の中で・・新しい道徳原理を求めたりする理論的勇気を・・持ちつづけなくてはならない」
この中の「理論的勇気」という言葉である
道徳原理はそれぞれが考えていることに置き換えることができるだろう
これが科学技術の中で流されている精神に活を入れる言葉になり得るだろうか
そして、現代の問題について、率直で、闊達な語りが展開される日は来るのだろうか







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