2021年10月13日水曜日
コンシュ『形而上学』のプロローグ(3)
2021年10月12日火曜日
コンシュ『形而上学』のプロローグ(2)
2021年10月11日月曜日
コンシュ『形而上学』のプロローグ(1)
2021年10月10日日曜日
荷物整理で、この十数年を味わい直す
2021年10月9日土曜日
コンシュ『形而上学』の緒言(4)
哲学的感情、あるいは世界の全体をどこに見るのか(2016.2.13)
2021年10月8日金曜日
コンシュ『形而上学』の緒言(3)
(23)道徳は意見の問題ではない。それは対話という単純な事実とそれが包含するものに基づいている、すなわち道徳は、対話においてすべての人間が対話者を対等であると認めることから正当化されるのである(『道徳の基盤』、PUF)。
(24)我々の時代が持っている形において、すべての人がすべての人を助ける義務としての道徳的義務は、世界内存在(Dasein)の本質的特徴で、それは今日の我々のものである(『愛と他の主題の解析』、第2章、PUF)。
(25)道徳は一つだが、倫理は複数ある。道徳は無条件の義務という概念を含むが、倫理はそれぞれの自由な選択に属している。
(26)幸福の倫理(幸せであるために生きること)は、可能な倫理の一つにしか過ぎない。
(27)人間が「真に」存在する在り方はいくつもある。その存在の真実において、人間は自己原因(causa sui)である(『明日のためにどんな哲学?』第4章、§3、PUF)。
(28)知恵は形而上学と整合性のある倫理である。
(29)悦びにも幸福にも導かない悲劇的な知恵は、可能な最大の価値を、長くは続かないにもかかわらず生命と作品(仕事)に与えることを狙っている(『哲学的オリエンテーション』、第7章、PUF)。
(30)人間にとって、自分が持った生以外の生は存在しない。
(31)我々は不確実さの中を進む。未来は短期的なことを超えては予知できない。
(32)幸福が、その性質上、期待されることも望まれることもなくやって来る時、賢者はそれを感謝の気持ちで受け入れる。
(33)戦争は、子供は理解できないという理由で行われ、他方、すべての戦争は無垢の人が初めて殺されたところで不正義になるので、賢者は如何なる戦争にも参加しない。しかし、彼は「侵略者に抵抗してはいけない」とは言わないのである。
(34)生命の意味は、我々の後に来る人達への愛である。
(35)作品(仕事)の意味は、この愛の中にある。
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これがコンシュさんの哲学の35のエッセンスである
この中でわたしに訴えかけてきたのは、最大の価値を生命と作品(仕事)に与えよ、という悲劇的な知恵であった
そして、生命の意味を後に続く人たちへの愛の中に、作品(仕事)の意味をその愛の中に見る
しかしそれは悦びにも幸福にも導かないという意味で悲劇的というのだろうか
もう少し考えてみたい
2021年10月7日木曜日
コンシュ『形而上学』の緒言(2)
2021年10月6日水曜日
コンシュ『形而上学』の緒言(1)
2021年10月4日月曜日
時間は思索を深めるか
2021年10月3日日曜日
紫煙の効果
2021年10月2日土曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(17)
最初の人間の記憶はない
その後に来る人の記憶もない
後から来る人においてもその記憶はないのである
2021年10月1日金曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(16)
2021年9月30日木曜日
9月を振り返って
2021年9月29日水曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(15)
ソクラテスがアテナイの通りや広場や公園を闊歩し、商人のカウンターの近くに立ち、店に入り、毎回、市民や外国人に「兄のように語り掛け」、彼らの質問に答え、あるいはまた彼らに質問し、問いから問いへと行きながら彼ら自身をより良くするために自分自身を知るように導くようにするのは、ソクラテスが彼らを愛していたからである
真の「隣人愛」以外の何物でもないソクラテス的愛で愛すること
それはより良くしたいということである
自分自身のことは気に留めず、仲間の市民をより良くすることだけを気に掛け、ソクラテスはアテナイの人々の中で一日を過ごす
30年の間、彼は彼らを愛することだけをやり続けた
彼が自身の人生に目をやった時に生まれる充足感はそこから来るのである
そこからまた、死の瞬間の充足感も生まれるのである
「クリトンよ、我々はアスクレピオスに一羽の雄鶏の借りがある」がソクラテスの最後の言葉であった
彼は一人ではなく、正真正銘の子、彼の魂の子に囲まれて死ぬのだから、そして彼は彼らの中で生き続けるのだから、彼は死を解放し、癒したのである
2021年9月28日火曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(14)
2021年9月25日土曜日
これまでの蓄積を篩にかけ、地盤整備をする
2021年9月24日金曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(13)
2021年9月23日木曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(12)
2021年9月22日水曜日
コンシュ「哲学とその向こう側」(11)
真のギリシアの哲学者は、ソクラテス以前の哲学者である
そしてニーチェは序列を付けるポーズで、ソクラテス以前の哲学者を彼らの後に来る者より必然的に優れていると言う
彼らはすべて、人々や習慣から離れて生きる秀でた人たちである。成熟し、陰鬱になるくらい重々しく、ゆっくりものを見る視点を持ち、政治や外交に暗いということも全くない。彼らは賢者の前に「ものこと」のすべての重大な概念を発見し、これらの重大な概念を表現し、そしてそれらを体系に還元する。この突然の原型の増大、哲学的理想のすべての偉大な可能性を完全なまでに作り上げるこの無意識のやり方より高度なギリシア精神を示すものは何もない。
ところで、ニーチェはヘラクレイトスに傾いており、こう言っている
わたしが善悪を超えた神の遊びとしてこの世界を思い描く時、ヘラクレイトスがわたしの先駆者である
ヘルマン・ディールス版の断片52を思い起こしてみる
時間はチェスの駒を動かして遊ぶ子供である。子供の王国なのである
しかし、「在る」ことを前に初めて驚いたのはパルメニデスである
ヘラクレイトスが「哲学の正真正銘の困惑」に他ならない「弁証法の方向への第一歩」を記した以上、ハイデッガーもまた、「より深く、より本質的である」と判断してパルメニデスに傾いている
このように、振子はヘラクレイトスとパルメニデスの間を揺れ動いており、それは哲学が続く限り続くだろう











