2021年9月7日火曜日

コンシュ「懐疑主義と哲学の意味」(26)
















皆さんはわたしにこう言うだろう
あなたの疑いや困惑は、ここから来ている

あれほど美しく独創的で、その上、老齢にあってもその体を飾っていたマリー・テレーズの魂しかあなたは受け入れることができないこと、そしてその魂が消滅するかもしれないことから

まあいいでしょう

しかし、わたしの立場はもっと哲学的ではないのではないか

哲学者は自分に起こっていることを考慮に入れるべきではないではないのか

デカルトやカントが彼らのマリー・ド・グルネークロチルド・ド・ヴォ―を持っていればよかったのに

魂が死すことは、その不死性以上にドグマにはなり得ない

常に自問し、自己検証すべきことがある

哲学とはこれである

常に真理を探すこと

それを決して見付けることができなくとも

懐疑主義の精神は哲学の精神と一つである

哲学はその本質において懐疑的なものである

懐疑主義と哲学は一つである

それが哲学に終わりがない理由である

哲学に休みはないのである

モンテーニュは、「わたしは世界にインクと紙のある限り進む道を取った」と言った

独断主義者とは、あまりに早く止める哲学者である

彼は真理を体系の簗の中に閉じ込め、問題が片付いたと信じるのである

人間とは何か

それは何を意味しているのか

死は何を意味しているのか

これらの問いは、大きな空洞に通じている

宗教や形而上学は、あらゆる種類の創作によって、この空洞を埋めようとする

しかし、その深淵は底なしなのである

「真理は井戸の底にある」とデモクリトスは言った

その通りである

それは底なしの井戸なのである









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