2021年9月11日土曜日

コンシュ「哲学とその向こう側」(2)

































従って、わたしが「哲学とは何か」という問いに答えることができるとすれば、まずわたし自身が哲学者だと思っているということである

わたしのすべての人生を通じて共にあったこの確信は、何に基づいているのだろうか

それは、わたしの青年期から、わたしの周りには何のモデルもない活動に打ち込んでいたからであり、後にそれは「哲学者」と呼ばれる人たちが語ることに相当するようにわたしには見えたからである

わたしは理解しようとしていたのである

わたしは宗教的な教育を受けていたが、そこから離れた

『創世記』のユダヤの神話は、わたしの理性に何も訴え掛けてこなかった

わたしの人生の意味は、日常の凡庸な活動に矮小化されることはできないと、自分に言い聞かせていた

仕事を持ち、結婚し、子供を持つ

それもよいだろう、しかしなぜ?

そこから、ただ理解しようと努めるもう一つのこの活動が浮かび上がるのである



このような活動は、わたしの人生を占めてきた他の活動の隣にいつもあった

それは普通の人間としての活動で、わたしの場合、教授であり、家族の父であり、、、

ヘルダーリンは「連続の法則」について語っている

それは、生活に必要となる職業の拘束により、時間と日々の連鎖の中に個人を取り込んでしまうものである

それぞれの時間が何かをするという義務を齎す

「時間の義務」がそれぞれの時間と結び付いているのである

ヘルダーリンは、「連続の法則」と人間の仕事による喧噪から免れるものとして、エンペドクレスを考えている

エンペドクレスがエトナ山で孤独の中に引き籠ったからである

ソクラテスは彫刻家としての仕事を放棄し、個人的なことに時間を費やすこともせず、決まった仕事を持たず、日課表もなく、彼自身もまた「連続の法則」を免れた

ただ、彼の場合は孤独の中に引き籠ることなく、反対に人間の中に居続けたのである







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