2021年9月17日金曜日

コンシュ「哲学とその向こう側」(7)

























哲学者がシステムに辿り着くと問いを出すことを止めるが、そのことは哲学自体の性質に反することになるとわたしは言った

そうであるが、エピクロスのシステムが他のものより信頼できると思えないことは確かである

しかし、それは魂が死すべきものであることに関するルクレティウスの議論を受け入れるのを妨げるものではない

哲学者はすでに自分の信用を与えていることを正当化するために哲学するのではなく、信じなければならないことを探すために哲学するのである

信じることは決して知ることではない

多様な信念は、多少とも相容れないところはあるが、権利としては可能である

わたしは無神論に辿り着き、あなたは有神論に向かう

どうしてそうなるのか

どのような道を経て

それは柔軟性のない証明によるのでもなく、柔軟な、あまりにも柔軟な論拠の列挙によるのでもない

それは常に非常に個人的な瞑想の道を通してなのである

なぜなら、哲学的確信の道は他の人によって追随されることはないからである

他の人もまた、自分自身の道を持つのである

したがって、「ザ」哲学というものは、「わたしの」哲学に他ならないのである

ニーチェはこう言っている
わたしは常にわたしのすべての人生、わたしという人間のすべてをわたしの著作の中に入れてきた





 

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