2019年8月17日土曜日

チャールズ・サンダース・パースというアメリカの哲学者

   チャールズ・サンダース・パース


本日は朝から雨模様
一段と涼しくなってきた

昨日、メールで届いた情報からこの哲学者が蘇ってきた
チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce, 1839-1914)
記号論(semiotics)について調べていたのは7-8年前になるので、それ以来である
今日は彼の人生をざっと振り返ってみたい

彼は1839年にマサチューセッツ州ケンブリッジに生まれている
父親ベンジャミンはハーバード大学の天文学と数学の教授
10代後半から神経性の症状に苦しみ、その影響で社会との関係がうまく取れなくなる

子供のころから論理学の本を読み、終生論理の進め方に興味を持つようになった
ハーバード大学ではウィリアム・ジェームズと親交を結ぶ
ただ、40年間ハーバードの学長の椅子に座ることになる人物がパースを評価せず
大学での正規の採用が難しくなった
父親の影響もあり、1859年から1891年まで米国沿岸測量局での職は維持したようだ

1869年から1872年まで、ハーバードの天文台の助手
1879年、ジョンズ・ホプキンスの論理学の講師に採用
1884年、女性問題で大学を解雇される(これが唯一の大学での職となった)
この後も測量は続けながら、哲学、論理学、科学についての研究に打ち込む
1909年までの15年ほどの期間が最もプロダクティブだったようである

1887年、親からの遺産でペンシルベニア州ミルフォードに2,000エーカーの土地を買う
そこに引き籠り、「アリズビー」(Arisbe)と名付けた家を建てて執筆を続けた
1914年、その家で74年の人生を閉じた
800以上の発表論文(12,000ページ)の他、手書きの未発表原稿が10万ページ以上あるとされる

今ではアメリカの最も独創性に富む思想家とも言われているパース
彼に会ったホワイトヘッドは、パースのことを「アメリカのアリストテレス」と言ったという
因みに、ヨーロッパの知性が見たアメリカのプラトンは、ウィリアム・ジェームズとのこと







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