2019年9月25日水曜日

内なる好奇の泉



3か月振りの日本だが、日本を旅行者として見るという視点が完全に消えている
これは前回にも感じていたが、今回それは疑いようがなくなっている
到着翌日から何もなかったように動き出している
フランスも日本も日常性の中に埋め込まれてきたようだ

常にベースラインにある精神状態はやや詰まらなくも見える
しかし、それは長い間に培われたもので、今や自分の常態として受け入れているものだろう
そのフラットなこころも刺激を受けることはある
それは以前の動物的な?ものではなく、成熟に向かう好奇の心のように感じている

これまでの経験が雫のように滴り落ち、小さな泉のようなものが自らの中に出来上がっている
それは錬金術師が求めたエリクシールを湛えた泉のようでもある
そんな想像が浮かんできた久しぶりの日本である








2 件のコメント:

  1. 文章を書くことについては素人と書いておられました。
    少なくとも私にとっては、矢倉さんの文章は、最も美しい文体のひとつと感じています。こちらの文章の最後のパラグラフの部分のような。そして、読者の中になにかを喚起してくれる事柄を常に含めてくださっています。  
    /ボビー

    返信削除
  2. ボビー様
    拙ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
    自分の文章がどのようなものなのかは自分ではよく分かりません。
    おそらく素人のためだと思います。
    気を付けているのは、文章間の繋がりに論理性があるかどうかということくらいです。
    その結果の中に何かを喚起するものがあるとすれば望外の喜びです。

    返信削除