2023年1月13日金曜日

J'observe donc je suis、あるいは受け身であることの意味


























今日は用事があり、JRを利用

途中、車内放送が流れる

 「只今、鹿と衝突しましたので急停車いたしました」

可能性としてはありえたのだろうが、今回が初めての経験である

鹿さんにはお気の毒であったが、なぜか気持ちが解放されるのを感じた



今しがたテレビを付けると、大西寿男という校正者が取り上げられていた

最近ゲラの校正のやり取りをしたばかりなので、親近感を持ってその仕事ぶりを眺める

何ごとも仕事になると、どんどん深くなるようだ

次のような言葉が印象に残った

 「与えられた受け身ではなく、選び取った受け身であることを忘れない」

それから

 「受け身の方が理解できる」

というような言葉もあったように思う

そのエッセンスは、わたしが2007年に今の領域に入ってから感じ続けてきたことと重なった

より正確には、新しい領域を模索するようになってから、と言うべきだろう

それ以前は、どちらかというとアクターの側面が強かったのではないだろうか

そのため、周りを十全には理解できていなかったと今は思える

理解するためには、意識して受け身でいること、自らをまず感覚器に還元することが重要な要素になり得るのである

わたしの在り方を J'observe donc je suis.(われ観察する 故に我あり)と定義したことを思い出す







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