2017年7月3日月曜日

奈良散策 (5) 新薬師寺




その日最後の訪問先は新薬師寺だった
入江泰吉記念美術館とは目と鼻の先である
陽の光が強くなり、湿気をさらに感じるようになる中での訪問となった

お寺のホームページがよくできていて、写真も美しい
創建は天平19年(747年)とのことだが、その後いろいろな災禍をくぐってきたようだ
このサイトにあるように、素晴らしい十二神将が本尊の薬師如来を護っている
暫しの間、対面してから外に出た

帰りがけ、十二神将の色の復元を試みたビデオを観る
当初の色が余りにも鮮やかで、どぎついと言ってもよいようなものになっていた
それは予想された驚きと言ってもよいものだろう
以前、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』やミケランジェロの『アダムの創造』の修復を見ていたからだ
その時は元の色の鮮やかさに本当に驚いた
そして、くすんだ今の色の方がずっと良いのに、という感想が浮かんできたことを思い出す
それ以来、日本でも同様の修復を見ているが、本当には驚かなくなっている

今回は連想で古典というものについて、次のような疑問が巡っていた
歴史の波を掻い潜り、諸々の解釈が染みついたものとして古典を見てはいないか?
古典そのものに体当たりして、何かを感得するというやり方を採っていないのではないか?
もしそうだとすれば、自分の感性を働かせない安直なやり方になっていることを意味している
そうではなく、それが出た当時に立ち戻り、味わわなければならないのではないか?
よく言われる基本を改めて検討する時間となった
しかし、像の再現がそうであったように、それは並大抵のことではなし得ないこともよく見えてくる
その時代の社会的背景や感性について知らなければならないからだ




昨日は帰国前*の最後の一日
午後から緑滴るカフェに出て、今回の滞在を振り返ってみた
今回も来る前には想像もできなかったような色々なものを齎してくれた
それが分かるのは、このようなたっぷりとした瞑想の時間の中でのことである
瞑想の効果は絶大である

先日のベルクソン・カフェで編集者の岩永氏からmindfulnessという概念を教えていただいた
最近注目されているという
その言葉を聞き、古代から急に現代に引き戻されるような感覚に陥った
わたしが言っている瞑想とはどういうものなのかを知る上でも、比較検討の余地がありそうである


* mardi 4 juillet 2017

トゥールに戻り、何気なく読み直していると、「帰国前」となっていることに気付く
ひと月余りの疲れが出ていたのではないだろうか
今まで目には入ったいたのだが、全く気付かなかった
最近ではよくあることである
これでは次回から「来日」になりそうである
「帰国」を「フランスに戻る」と改めたい





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