2017年7月1日土曜日

第1回ベルクソン・カフェの2日目、盛況のうちに終わる



今日の夕方、今回最後の活動となるベルクソン・カフェの2日目を開催した
以前にも触れているが、当初参加者を数名と予想していた
しかし、今日は欠席された方が2名おられたが、11名の方々にお集まりいただいた
未熟なマスターのお店にこれほどの方が来店されるとはまさに想定外で、大きな驚きであった
その中には、フランス人の歴史家フランク・ミシュランさんご夫妻もおられ、恐縮至極であった
また、「ベルクソン」の検索で辿り着かれた方、大阪や信州から参加された方もおられた
お休みの日の夕刻に参加された皆様に改めて感謝したい

終了後、どうしてフランス語のテクストを読むという会にこれだけの方が集まったのか、考えている
初めての試みなので物珍しさが手伝ったのだろうか
あるいは、潜在的にこのような試みに興味を持っている方がおられるということなのか
これから様子を見る必要はあるが、考え直す材料を与えられたように感じている


さて、今日も1週間前の1日目に続き、アドーの「生き方としての哲学」の後半を読んだ
最初に前半の簡単な纏めをやってから始めた

ここでは、中世から現代において哲学がどのように変容していったのかが分析されていた
古代の終わり頃から修道院運動の中で、生き方としての哲学の部分がキリスト教に組み込まれる
中世ではそれがさらに進行し、哲学は宗教の下僕になって行く
哲学は自律性や最高の科学としての立場を失い、宗教が求める概念を提供するようになる
教養学部は神学部の準備段階にしか過ぎなくなり、哲学も純理論的、抽象的になる
神学を科学に置き換えれば、この状況は現在と重なるのではないだろうか
あるいは、さらに酷い状況なのかもしれない
教養課程も必要ないという認識が、どこから出てくるのか、罷り通っているように見えるからである

教会が作った大学では、専門家を育てる専門家に向けた教育が18世紀まで行われる
教育が一般の人向けではなくなったのである
ただ、大学の外では、デカルト、スピノザ、マルブランシュ、ライプニッツなどの独創的な人が出た
18世紀終わりから、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなど哲学と大学が強く結び付くようになる
ごく稀な例として、大学を出たショーペンハウアーやニーチェなどもいるにはいるが、、、
哲学と大学との関連は、ベルクソン、フッサール、ハイデッガーなどの現代でも変わりない

近代の大学の哲学は、最早生き方としての哲学ではなくなった
寧ろ、国家の教育機関で哲学が教えられるようになり、哲学の自律にも問題が出てくる
ショーペンハウアーは、その状態を次のように皮肉っている
「教育の目的はポジションを与えてくれた大臣の心情を学生に教えることである」
まさに、御用学者が生まれるのは当然の状況になったということだろうか

ただ、古代哲学の実存的な側面が完全に消えたわけではなかった
『省察』(Méditations métaphysiques)を書いたデカルトや『エチカ』(L'Éthique)のスピノザがいた
デカルトは瞑想(省察)を実行するように推奨している
わたし自身もこの助言には賛成である
瞑想にはすべてを変える力があると感じているからである

哲学の定義は自由であるが、こと古代に関する限り、哲学とは「智慧の鍛錬」であった
そこには、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロス、犬儒派、ストア派、懐疑派がいる
そのやり方には違いはあるが、その複数性こそ貴重なのである
ヤスパースが言っているように、一つを取って、他のものを捨てるというのではない
われわれの内的生活には、エピクロスもストア派も分かち難く存在しているのである

古代においては、一瞬一瞬に集中し、そこに無限の価値があることを自覚することが勧められた
「智慧の鍛錬」は宇宙的次元を含んでいるからである
ただ、古代の宇宙的意識は所謂科学知に基づくものではなく、生きた経験の中にあった

最後に、古代の哲学は逃避や自己に閉じ籠る行為であるとの誤解があると指摘している
実際には、常に集団、共同体を作って行われていた
そして、社会に影響を及ぼすことを放棄したわけではなかった
寧ろ、共同体に奉仕する義務を重要だと考えていた
つまり、哲学的生活とは共同体へのアンガジュマンを含むものなのである
そのためには情念ではなく理性のレベルに留まる必要があり、これが最も難しいことである
内的平静と激しい情念との均衡を如何に取るのかという問題である
それはスピノザが『エチカ』の最後で指摘したことでもある

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このような内容のエッセイだったが、初回よりは質問が出ていたように感じた
ミシュランさんの発言もあり、日本人だけとは違う世界になっていたのではないだろうか
今回はお一人だけが読みに参加されたが、次回はさらに多くの方が参加されることを願いたい
そして、今回のテクストの試訳を提供していただいた福井聡嗣様には改めて謝意を表したい

次回であるが、10月にやはり2回シリーズで開催したい
2時間と言えどもあっという間なので、次回は3時間を考えている
それから読むべき部分を選択してもよいかもしれない
いずれにせよ、次回の開催までにデカルトさんの助言に従い、じっくりと瞑想してみたい

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております


会のまとめ








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