2020年3月22日日曜日

徳認識論と信念倫理(4)




徳認識論は、徳倫理学における道徳的生活をモデルにして認識論的生活を考える
重要なことは、それを尊重することにより信念の正当化が保証される認識論的規範ではない
徳倫理を生きる人にとって良い道徳的生活とは、我々の中にある最良のもの、我々の道徳的徳の実践である
この実践が我々の人間性を実現し、可能な最良の生活を保証するのである

同様に、良い認識論的生活とは、認識論的徳の実践を通して理性的人間性を実現することだろう
認識論的徳とは、例えば、精神を開くこと、知性的勇気、知的活動に相応しい節度のようなものである
シェフィールド大学のクリストファー・フックウェイは、次のように言っている
「徳認識論は、認識論的評価の実践を記述し、知識や正当化に中心的役割を与えることなく、その基本的な語彙を明確にできる」
なぜなら、第一の役割は人間が行う徳に帰属しているからである

このように、現在の認識論は20世紀のある時期そうであったものとは異なるものになっている
我々を知識と正当化に焦点を合わせた認識論に導いたと思われる行き詰まりは、克服できるだろう
特に、認識論はデカルト以来そうであったような懐疑主義の挑戦に対する回答だけではなくなっている

認識論は最早、認識論的正当化の理論ではない
そうではなく、良き認識論的生活を送っているという主張を保証する特徴の質の探究である
重要になるのは知識の定義ではない
寧ろ、それによって人間性を実現する認識論的生活の望ましい在り方を記述することである








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