2020年3月28日土曜日

現象学とは(3)+ COVID-19



現象学は特別な語彙を使うので、語彙を知らない人や混乱する人に分かるように現象学を提示するのは難しい
分析哲学との比較はここでも有用である
分析哲学者は、しばしば単純な文章で言うことができる命題の妥当性を検討することを提唱する

例えば、その中の一人は、名詞は指し示めされる対象と結ぶ因果関係のおかげで意味を持つと主張するだろう
他の人は、この考えは疑わしいか、間違っていることを示そうとするだろう
あるいはまた、分析哲学者は伝統的に神の存在に有利なこれこれの証拠が正しいかどうかを自問するだろう
「神」という言葉を含むすべての命題は最初から意味がないと判断するのでなければではあるが

対する現象学者は、「もの・こと」が我々にどう見えるのか、経験の中で我々にどう与えられるのかに興味を持つ
他の議論をすることによって議論の解析を目指すよりは、志向性の生を記述し、それを解釈しようとする
それは現象学者が議論しないということではない
例えば、フッサールの『現象学の理念』(1913)とラッセルの『心の分析』(1921)を交互に読むだけで十分である
方法と対象の違いが掴めるだろう

フッサールは「哲学的態度」を適用して、志向性の生の本質に至ることを可能にする
心理学に特有の自然主義的態度を超えるのである
ラッセルはヒュームのように、物理的因果の世界における心的生活の可能性について自問する
これは心の哲学の中心的テーマの一つになるものである

フッサールにとっての哲学の究極の目的は、新しい科学に至ることである
それは、対象の構成の在り方について志向性の生の面から自問しない科学とは異なっている
それでは思考や精神の性質それ自体に入り込むことができない
現象学の中心にあるのは、この志向性の生を記述することである
現象学者が分析哲学を単純で表面的だと考える傾向がある理由がそこにある

分析哲学は基礎を問うことを既定のものとは捉えないのだろうか
おそらく、志向性の起源を「問う」ことはできないのだろう
志向性の生の対象の記述と意識の動きにおいてそれを構成している主観的志向を記述することは分離できない
前者の志向(思考)する対象に関するものをノエマ、後者の志向(思考)に関するものをノエシスと言った

このような記述に努めることにより、「もの・こと」の本質的構造に辿り着くと現象学者は考える
心理学のエピステモロジーをやること、あるいは因果性と自由の違いを省察することなどで「満足」しないのである


----------------------------------------------

COVID-19 に関するフランスでの最新情報

外出制限と学校閉鎖の期間が4月15日まで延長された
いつまで続くのだろうか
日常生活のストレスは相当のものではないかと想像している

1)3月27日付政令により、3月17日から実施している外出制限の期限が4月15日まで延長
また、学校閉鎖期間も4月15日まで延長

2)外出制限期間中は特例外出理由として認められている理由以外の外出は認められない
特例外出以外の外出をした場合、特例外出であっても証明書を所持していない場合、罰金の対象となる








0 件のコメント:

コメントを投稿