2022年11月24日木曜日

コリングウッドによる自然(46): ヘーゲル(1)































久し振りにコリングウッド(1889-1943)に戻ることにしたい

この前まではカント(1724-1804)について見てきたが、これからヘーゲル(1770-1831)に進むことになる

カントは、我々が物自体について考えることはできるかもしれないとは認めたが、それをどのようにやるのかを発見する仕事は後継者に委ねることにした

全ての宇宙理論を自らの出発点にしたのは、ヘーゲルであった

彼は、科学知だけが知識に値するというエクスクルーシブな主張、従って物自体は知り得ないものとする考えを捨て、物自体こそ最も容易に知ることができるとしたのである

それは、質・量、時・空、物質・精神というような決まりのない純粋な存在である

それが知り得ないように見える唯一の理由は、その中に特に知るべきものがないからであり、他のものと区別すべき特徴がないからである

従って、我々がそれを記述しようとする時失敗するのは、その性質の神秘を理解できないからではなく、そこには記述すべきものがないことをよく理解しているからである

存在一般は特別なものが何もないのである

従ってヘーゲルによれば、純粋な存在という概念は無の概念になる

一つの概念から別の概念への論理的な移行は、我々の思考の主観的、心理学的な移行ではない

それは客観的移行であり、一つの概念が別の概念から論理的に進化した真の過程である

これは生成、発展、過程の観念であり、根本的な形態において「論理的に成る」ことである

時間にある過程、空間における動き、あるいは心や思考過程の変化ではなく、概念に内在する論理的な動き、概念の過程である

このように、ヘーゲルは如何にして物自体が創造的であり得るのか、それ以外のものの源泉になり得るのかという問いに答えたのである

その活動は我々が「論理的必然性」と言うものと同じである

一つの概念が別の概念――それは新鮮な概念で、それ自体新しい形であるのだが――を産み出す内在的な力なのである

概念は有機体のように成長する

未分化な出発点とは異質な新たな決定を芽生えさせることにより、可能態から現実態へと移行していくのである


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ヘーゲルの考えに殆ど初めて触れるわけだが、「科学知だけが知識に値するというエクスクルーシブな主張、従って物自体は知り得ないものとする考えを捨て、物自体こそ最も容易に知ることができる」というところなど、なかなかよい

それから「概念の移行」と言っているところも、自分で経験していることと関係がありそうで非常に興味深い

それは論理的な必然性を伴うもので、従って主観的ではなく客観的だと言っている

わたしの経験では、論理を突き詰めて行けばそこにしか行きようがないという点が見えてくるという感覚である

そしてこの移行が創造的なものを産み出すのである

自らの歩みに概念的な形を与えてくれるような力強い言葉であった

明日以降も期待したい









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