2020年7月10日金曜日

COVID-19パンデミック、あるいは「前」と「後」を考える





『パリから見えるこの世界』シリーズの第93回を紹介いたします


COVID-19パンデミック、あるいは「前」と「後」を考える
医学のあゆみ(2020.7.11)274(2): 237-240, 2020

お読みいただき、コメントをお寄せいただければ幸いです






2020年7月9日木曜日

ヒトとマッコウクジラの語らい




今朝テレビを付けると、マッコウクジラと人間の交流を描いたドキュメンタリーが始まるところだった
いつもこういう偶然と共にあるわけではない
偶然に出くわした時に書いているだけである

主人公は、二木あいという一息で6分間潜っていられるフリーダイバー、それにクジラである
カリブの海でのクジラとの柔らかい遭遇を追った6年前の再放送だった
クジラの気持ちも理解しようとしながら、すなわちこちらの気持ちを広げながら観ていた

なぜこの番組に興味を持ったのだろうか
おそらく、今書いているエッセイのテーマと深いところで繋がっていると思ったからではないだろうか
こういう出遭いが筆を進める力になるとよいのだが、、
明日その結果が分かる

*なお、この番組は7月10日の0時45分からも再放送が予定されているようだ







2020年7月8日水曜日

COVID-19、感染率と集団免疫



昨日のつづきで、COVID-19のお話になる

COVID-19の抗体陽性率が出始めている
感染者25万人、死亡者2万8千人以上のスペインだが、抗体の陽性率は5%だった
これは4月から5月にかけて行ったスペイン全土に及ぶ6万人超についての結果である
6月と7月の結果もそれぞれ5.2%で大きく変わっていない
マドリッドに絞ると10%、バルセロナでは7%だが、他の地域はずっと低くなっている
同様の研究はジュネーブ(2,700人ほど)でも行われていて、抗体陽性率は10.8%だった

これらの結果をパンデミックが収まるメカニズムとされる集団免疫に照らすとどうなるだろうか
教科書的には、60%(あるいは70%)以上の人が感染すれば集団免疫が成立するとされる
しかし、この数値は高いという研究者もいて、それらを纏めると40-50%ではないかとのこと
中には20%という低い値を出している人もいる

これらの数字の中で最低の20%から現在の感染率を見ても、集団免疫を達成するのは難しいことが分かる
残る可能性はワクチンだが、昨日も問題になった通り、それがどれだけ効果を示すのかは分からない
結局、物理的距離、マスク、検査、隔離、追跡の基本に返らざるを得ないのかもしれない


ところで今テレビをつけたが、PCR検査数とかそれに対する陽性率が話題になっている
パンデミックが始まってから4か月も経っているので、何を今更という感じである
毎日フォローしているわけではないのでこれが初めてのことかどうかは定かではないのだが、、







2020年7月7日火曜日

COVID-19、5つの謎




今日は久しぶりに今世紀最悪の危機となっているCOVID-19の現状に当たってみたい
最近、Nature誌で取り上げられた記事を参考にしながら
感染が広まって半年になるが、未だに解決されていない問題が5つあるという

第一は、なぜこのウイルス(SARS-CoV-2)に対する反応が人によって異なるのか、である
イタリアやスペインの4,000人ほどを対象にした国際研究により、重症者に特徴的な遺伝子変異が見つかった
一つは、ABO型を決めている遺伝子領域にある
他には、ウイルスの受容体ACE2をコードする遺伝子、あるいは免疫応答を支配する遺伝子に近接するものがある
ただ、これらは比較的影響が弱いとして、さらに重要な遺伝子を探しているグループもあるようだ

第二は、ウイルスに対する免疫反応がどのようなもので、どれくらい持続するのか、である
ウイルス中和抗体は感染の数週間後に現れるが、それ以降減少する傾向がある
ただ、重症患者ではこの抗体が高いレベルで存在し続ける
SARSの例を見ると、普通の感染者は数年後に中和抗体が消えるが、重症者では12年後でも存在したという
また、どれだけの中和抗体があればよいのか、他の抗体で重要なものはないのかという問題もある
さらに、T細胞はどのような役割を担っているのか
まだ、このウイルスに対する免疫の全体像は見えていない

第三に、このウイルスは毒性を増すような変異を起こすのか、がある
これに関しては、いまのところ重大な変異は起こっていないようである
ウイルスは武漢から出たが、2月くらいから見られたヨーロッパのウイルスはそれが変異したものである
培養細胞に対する感染性はヨーロッパのものが高いようだが、人間に対する影響は分かっていない

第四は、パンデミックを終わらせる可能性があるワクチンはどれだけ有効なのか、という問題である
世界的に見ると、200ほどのワクチンが開発中で、その内約20の臨床試験が行われている
サルを使った実験では、肺の感染は抑えるが、鼻では対照群と同じくらいのウイルスが見られたという
人でも同様だとすれば、重症化は抑えられるが、ウイルスの拡散には効果がないことになる
人での実験は少ないが、ワクチン投与により抗体ができるという報告はある
ただ、その抗体は感染を抑えるのに十分な効果を持つのか、どれくらい持続するのかなどは不明である

第五は、このウイルスの起源である
SARS-CoV-2はコウモリ(horseshoe bat)由来であるという見方に多くの研究者は同意している
コウモリで見つかったSARS-CoV-2類似の二つのウイルスは、遺伝子配列が96%、93%同一だという
起源を特定するには99%以上の同一性が求められる
一つの可能性は、コウモリからヒトに感染する前に中間宿主がいたのではないかというもの
パンデミック初期にセンザンコウが候補になり遺伝子配列が調べられたが、SARS-CoV-2との同一性は92%であった
おそらく、センザンコウからヒトに感染したのではないと考えられる
この問題もオープンのままである






2020年7月6日月曜日

植物の勢いに驚く




本日、剪定をするも一部だけに終わる
春先には考えられないほどの植物の成長で、その勢いに驚く
剪定はもう少し勢いが落ちてから、緑がなくなってからにした方がよさそうだ

午後から外に出てプロジェに当たる
こちらもほんの少しだけという感じだが、成るようにしかならない
ゆっくりとその中に入るという感覚は掴めているので、よいのではないだろうか







2020年7月5日日曜日

大拙の言葉から




大拙の言葉から、いくつか


  • 雲水は何れも一面にあっては、自分のために他に対して出来得る限り面倒をかけざるように努め、他面にあっては、団体の一般的幸福のために極力尽瘁する。これを指して「功徳を積む」という。

  • 科学と科学的工作とは大いに人間の役に立った、併しながら我々の実際の精神的幸福に関する限りに於いては、我々は、我々の祖先が獲ていたそれよりもより以上に何等出ていない。事実我々は現在、世界中に亘って最悪の不安に悩まされている。そこで問題は、如何にして不思議(acintya)の見得に我々を再び立ち返らすかと云うことになる。これこそは疑いもなく、近代人を悩ます凡ての問題の中で最も重大な最も根本的な問題である。

  • 人間生活は、常に、経済的原理によって支配せられていはしない。そこにはより以上の何物かがある、このより以上の何物かが理解せらるる時にのみ、我々の求めつつある平和と幸福が得られる。我々の現代の生活は組織的にこの思想より立去らんとしつつあり、事実、故意にこの内面の声を沈黙させんとしつつあるは甚だ不幸なことである。

  • 仏教には、「六波羅蜜」と云って六つの徳目が菩薩行を構成するものと看做されている。・・・六つとは、一、布施、二、持戒、三、忍辱、四、精進、五、禅定、六、智慧である。この中で第三の「忍辱」が本章で云う「陰徳」に当たると見ることが出来よう。忍辱とは只々こらえるということでなく、自分という考え、即ち自己中心主義なるもの――これは何人でも無意識に持っているもので、仏教はこれを我執の一念と云う――、これを取り除き得た時、自然に動き出る志向と行動が、それなのである。

  • この布施行と云うのは、単に物を施すと云うことのみではない。功徳を施し、知識を施し、信仰を施すも亦布施である。身を殺して仁を為すのも亦布施である。観音菩薩は「施無畏」と云われる。無畏とは金剛不壊の信の義である。何れにしても六波羅蜜は大乗菩薩の生活そのものである。







2020年7月4日土曜日

欧州域外からフランスへの入国規制緩和措置について




本日、フランスが入国規制を緩めたとのニュースが大使館から届いた
ただ、15日ごとに見直すようなので注意が必要になる
日仏を往復するためには、日本が自主隔離をいつ解除するのかが問題になる
最近の東京の様子を見ると、楽観は許されないだろう
以下にフランスの決定を貼り付けておきたい

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1 フランス政府は7月1日付けで首相訓令を発出した

同日以降、日本を含む以下(1)~(13)の欧州域外諸国からフランスに入国する者に対し、コロナウィルスの感染拡大防止の観点から実施していた入国制限を解除した。

これに伴い、以下(1)~(13)からの入国者については、「国際移動適用除外証明書」及び「新型コロナウィルスの症状がない旨の宣誓書」の携行や14日間の自主隔離も不要となる。

ここで欧州域外諸国とは、EU加盟国、アンドラ、アイスランド、リヒテンシュタイン、モナコ、ノルウェー、英国、サンマリノ、バチカン及びスイス以外の国を指す。

(1)オーストラリア
(2)カナダ
(3)韓国
(4)ジョージア
(5)日本
(6)モンテネグロ
(7)モロッコ
(8)ニュージーランド
(9)ルワンダ
(10)セルビア
(11)タイ
(12)チュニジア
(13)ウルグアイ

 2 上記の国のリストは、EU理事会の勧告、感染状況の推移及び相互主義の尊重を考慮しつつ、少なくとも15日ごとに更新される予定である。





2020年7月3日金曜日

大竹伸朗氏のエッセイ




週を越えてもよい集中力の中にいた
続けていると「破壊的に」なりかねないので、本日は少し緩めることにした
弛緩した思考の中で、先日I氏から勧められた大竹伸朗氏のエッセイに目を通してみた

実は、この方から抽象画とはどういうものなのかを教えてもらったと言ってもよい
氏は若い時に北海道でも生活したことがあるらしく、関連したエッセイも少なくない
想像通り破天荒な生活が描かれている
ガッツに響くと言ってもよいエッセイだろう









2020年7月2日木曜日

フッサールの言葉から




雨の一日
今日の言葉はフッサールにしたい


  • 一九世紀の後半には、近代人の世界観全体が、もっぱら実証科学によって徹底的に規定され、また実証科学に負う「繁栄」によって徹底的に眩惑されていたが、その徹底性たるや、真の人間性にとって決定的な意味を持つ問題から無関心に眼をそらさせるほどのものであった。単なる事実学は、単なる事実人をしかつくらない。

  • ヨーロッパ的人間性は、よく知られているように、ルネサンスにおいて革命的な内的転換をとげる。それはいままでの中世的な存在様式に反抗し、それを無価値にして、新たに自己を自由に形成しようとするのである。そしてその驚嘆すべき模範を、古代の人間性にもとめ、古代人の(哲学的な)存在様式を自己の模範として模倣しようとする。

  •  現代の実証主義的な学の概念は、一つの残余概念だということになる。この概念は、時には狭く、時には広く解される形而上学の概念のうちにふくまれていたあらゆる問題――そこには「最高の究極的な問題」と曖昧に呼ばれているものもすべて含まれるのであるが――をとり落してしまったのである。

  •  形而上学の可能性に対する懐疑、すなわち新たな人間の指導者としての普遍的哲学への信頼の崩壊は、古代人がドクサに対立させたエピステーメーの意味に解される「理性」への信頼の崩壊を意味する。理性とは、存在すると思われているもののすべて、すべての事物、価値、目的に究極的に意味を与えるものである。

  • 哲学すなわち学問とは、人間性そのものに「生得的」で普遍的な理性が開示されていく歴史的運動だといってよいだろう。








2020年7月1日水曜日

ベルクソンの言葉から




今日はベルクソンの言葉から、いくつか

  • 精神という場合、それはまず何よりも意識を意味します。

  • 意識はまず何よりも記憶を意味します。・・・記憶が存在しなければ、意識は存在しません。・・・ライプニッツが物質は「瞬間的な精神」であると言ったとき、彼は好むと好まざるとにかかわらず、物質とは感覚を持たないものだと宣言したのです。

  •  すべての意識は未来の予期です。

  • すでにないものを記憶して、まだないものを予期すること、これが意識の第一の機能です。

  • ある存在が意識を持っていることを確実に知るには、その内部に入り、それと一致して、それにならなければなりません。

  •  人間において、意識は疑いもなく脳に結ばれています。だからといってそこから、脳は意識に欠くべからざるものだということにはなりません。動物の系列を下に降りていけばいくほど、神経中枢はしだいに単純なものになり、拡散していき、お終いにはとうとう神経の要素はほとんど分化していない有機体のかたまりに溶けこんでしまいます。・・・それゆえ厳密に言えば、生きているものはすべて意識を持ちうるのです。

  •  生命はそのはじまりにおいて、生命なしに出来かかっていた、あるいは出来えたようなそういう物質の内部に入ったのです。

  • この再生とこの進化こそが生命なのです。再生と進化というこの両者は、内的推進力をあらわしています。

  • 私たちの前では明らかに、一つの力が働いています。その力は自分の枷から解放されて、自分自身を越えようとして、最初は自分の持っているものすべてを、ついで自分の持っている以上のものを与えようとします。これより他に精神の定義の仕方があるでしょうか。 

  • 確信のある人、生命にあふれて持続する作品を生み出したことを絶対に確信している人は賛辞を必要とせず、名誉を越えたものを自らのうちに感じています。なぜなら、そのような人は創造者であり、自分が創造者であることを知っているからです。そのような人の感じる歓びは、神のような歓びです。

  • 絶えず過去の全体に寄りかかり、未来にいっそう力強く乗り出すように招かれている人間は、生命の収めた大成功というべきものでしょう。・・・もっと正確に言えば、創意ある単純な英雄的行動によって徳への新しい道を切り開いた人々は、形而上学的な真理の啓示者なのです。








2020年6月30日火曜日

6月を振り返って




今年も半分が終わったことになる
ここで今年恒例になった月の振り返りを行ってみたい

今月は大雑把に見ると3つくらいのプロジェに当たっていたことになる
1つ目は以前から取り掛かっている長期のプロジェで、今月も愚直に格闘した

2つ目は年が明けてから取り掛かっていたもので、今月初めに何とか終えることができた
このプロジェは自分の中では重要だと考えていたものである
そのためか、この間他のプロジェに向かう気持ちにさせなかった
終わった瞬間、嫌な感じの負荷から解放され、急に頭の中が軽くなるように感じた

3つ目は先月から始めたもので、月を跨ぐことになった
それから、今年の初めから今月まで続いた『現代哲学』の翻訳がある
かなりの部分を読んだので一応の終わりとしたが、これもプロジェに入れるとすれば、4つ目になる

さらに、すでに触れたが、もう一つのプロジェが加わることになりそうである
取り敢えず荒削りの図を描き、しばらく寝かせることにした
それとは別に、括弧付きのプロジェとして二つほど浮かんできたことをメモとして書き添えておきたい


今月はまた、久し振りに天空から地上に降りて交流する時間があった
いつも感じることだが、孤独の時間では得られない発見がある
まさに、孤独と交流、天空と地上の va-et-vient が欠かせない

最後にもう一つ
今月は意識的に自然と付き合うことが多かったせいか、不思議な力を貰っているような感覚があった
大地の上を歩き、そこに在る生き物を観察するだけで生きているという実感が湧いてくる
そのことを祝福したい気分になってくる
そのせいかどうかわからないが、最後の10日ほどは集中力が異常に亢進しているように感じた
来月も自然がこの身(こころも含めてだが)に影響を与え続けるのだろうか
興味をもって観察したい








2020年6月29日月曜日

大拙の言葉から




先日の不思議な蝶が、文字通り舞い戻ってきてくれた
同じ蝶だと思いたい
お昼に、久し振りに海を見に行った

今日は鈴木大拙の言葉から、いくつか

  • いつまでもいつまでも名利の巷を彷徨して、人生の真意義に徹し得ぬ人達を考えると、どうも気の毒にもなり、また情けなくもなる。 

  • 組織化は或る意味に於いては通俗化を意味する。何となれば、物は秩序づけられると理解し易くなるからである。併しながら、この平民的伝搬は、宗教的天才の特徴とするところの独創力や想像力を働かす機会を減らし勝ちである。組織は不規則を許さぬ、不規則は体系化した組織より排除されるのが普通である。併しながら、禅にあっては、この不規則な飛躍が最も必要とせられているのである。 

  • 早ければ早いほど良いのであるが、我々は何とかして、科学、機械、及び資本主義から不可避的に起こり来るこれらの凡ての損失を補う方法を見付けなくてはならない。

  • すべてのものは重重に聯関しているので、その一隅又は一点に触れると、すべてがそれに繋がって動いて来るのである。・・・我等も亦宇宙構成の一環なのだから、この一環を攫むことによりて、宇宙全体も亦攫まれる。だた、一環を一環として全体から離さぬようにしなくてはならぬ。これを重重無尽的に物を見ると云うのである、また事事無礙法界(じじむげほっかい)の様相だとも云うのである。

  • 禅の意味を解しただけでは十分でない、それはその人の存在の全面に亘って徹底的に同化せられなくてはならぬ。

  • 禅僧は、極めて抽象的な形而上学的問題の解決を逼られている。これを解くために禅僧は、専心瞑想に凝る。併しながら、この瞑想が抽象的以上に出ない限り、その問題の実際的解決は得られぬであろう。

  • 印度民族は『般若経』や『華厳経』や『無量寿経』と云うようなものを創作した。・・・それと好き対照をなすのは実に唐土に於ける禅である。禅は印度ではできなかったに相違ない。・・・印度民族のように抽象的な頭脳でないと、『般若』の如き幽遠な思想、『華厳』の如き精緻な哲学は出来ない。又彼等のような宗教的熱情を持たないと、『無量寿経』の如き甚深な本願思想は生まれないのである。・・・シナ民族のように実証的性格をもって、何事にも行為的に思索しようとする心理態の持ち主に可能な哲学は、儒教か禅でなくてはならぬ。

  • 禅では、知性を知性の面でのみ見ないで、これを裏付けるものを忘れないのである。即ち、知性も亦行為的・意志的であることを、禅は主張する。・・・学ぶは、知識の蓄積でなくて、般若的生活の謂いである。東行西行するの義である。・・・禅は菩薩行である。禅者は『維摩経』を身読するの要がある。








2020年6月28日日曜日

小雨の中の剪定




今朝、庭を眺めていると塀の高さを超えて伸びている枝の一群が目に入った
勿論、今日が初めてではなく、ずっと気になっていたことである
伸びて隣の領域に侵入する前にと思い、小雨の中、剪定した
僅かな時間ではあったが、このような小さな行いが何かを変えている可能性がある
実は他にも似たような状況になっているところがある
もっと大きく変えていくチャンスと見ることもできそうである









2020年6月27日土曜日

今朝の発見、パリジャンからの霊感か




昨夜テレビをつけると、丁度パリの街歩きが始まったところだった

パリにいるとあまり感じなくなっているのだが、離れて見るとよいものだ
景色は飽きてきているところもあるが、自分が歩いたことのある所ばかりなので不思議な感じなのだ
初めて知ったのは、パサージュの上からの眺めとその高さにあるアパルトマンとその住人
その空間には捨てがたい味があった

それから、パリジャン、パリジェンヌのものに対する感じ方、人生に対する態度などが表れていた
如何にも彼ららしいのだが、それを何と言えばよいのだろうか
余裕というか、豊かな日常にいるというか、要するに生きていることを感じさせてくれる
そのためではないかと思うが、霊感を得ることが少なくないのだ


今朝、庭を眺めている時、そこに咲いている花を家の中に入れてもよいのではないかというアイディアが浮かぶ
なぜこれまで浮かばなかったのか不思議である
昨夜の影響だろうか

いくつか切り取り、食卓と自分の机の上に置いてみた
なぜか気分が落ち着く
これからも新しい花が目に付いた時にはやってみたいものである

今朝の発見であった






2020年6月26日金曜日

振る舞い方を覚えた?




本日も無心で予定を終える
今週はどこかおかしい
一体いつまで続くのだろうか

一つの喜ばしい可能性として浮かんできたのが、これである
我が内なる世界との対し方、そこにおける振る舞い方を覚えてしまったのだろうか
もしそうだとすると、この傾向は永続性があるのではないか

そんな妄想が浮かんだ金曜の夜
まだ5日目であった










2020年6月25日木曜日

愚直に歩む一日




今日は雨も降り、やや涼しい一日であった
相変わらずミッションには忠実に向き合う日が続いている
それだけ集中力が維持されている証拠なのだが、その原因がどこにあるのか未だに分からない
日々、愚直に行きたいものである








2020年6月24日水曜日

緑の奥深い力




これと言って特徴のない緑でも、見ているだけでこころが落ち着く
今の緑は特に瑞々しい
エネルギーがつぎ込まれるようだ

何の影響かは分からないが、今日も集中力が持続している
体が消えるようである
おそらく、古代ギリシア人が言うピュシスの力なのだろう









2020年6月23日火曜日

蝶の霊力か




今週はまだ火曜で何とも言えないが、これまでにない集中力で驚いている
ひょっとして、この蝶の霊力が移ったのだろうか
敬意を表して、本日もそのお姿とした
明日までその力が維持されるのか見ものである






2020年6月22日月曜日

なぜアポリアだったのか




昨日の朝は、一羽の蝶が次から次に花を替えては蜜を吸っていた(?)
その間、逃げることもなく、静かにこちらのカメラに付き合ってくれた
実に不思議で豊かな時間であった
今日の写真は、もう一つの花における姿である

ところで、この蝶の名前が気になり調べてみた
アポリア・クラテギ(Aporia crataegi)として間違いないだろう
そこで疑問に思ったのが、なぜアポリアだったのかということである

哲学では、行き詰まり、解決策が見つからない状態、あるいはそのことに起因する心理状態を指す
この蝶の名は、このアポリアと関係しているのだろうか
アポリアと名付けたドイツの昆虫学者ヤコブ・ヒューブナー(1761-1826)さんにお訊きしたいところだ

昨日の出来事は、いま向かっている問題がいずれアポリアに陥るという予言なのか
ここでは余計なことを考えず、愚直に歩みたいものである







2020年6月21日日曜日

幸福の朝から「めちゃくちゃ」の現実へ




今日は朝のうち曇っていたが、次第に晴れ上がってきた
朝、久しぶりに庭に出て観察する
いつも発見があるが、今朝はいろいろは花を見つけることができた
そして、こんな瞬間も
何という幸福だろうか

午後から昨日からの継続を目指して、いつものお気に入りのカフェへ
これまでは「わたしのオフィス」という感じで、広い空間を独り占めしていた
しかし、今日はお客さんが増え、活気ある会話が聞こえてくる
わたしから見れば、外の状況は以前と何も変わっていないようなのだが、この違いである

東京都では、アラートなどと仰々しくやっている時の数値を遥かに上回っているのに解禁だという
そして、これまでの基準を考え直すとまで言っている
科学的根拠も論理的整合性もあったものではない
それ以前に、発表される感染者数自体が何の基準にもなり得ないのだが、 
その場限りで「めちゃくちゃ」なのである

それ以上の問題は、出された政策に対して論理的に問い質すという姿勢が全く見られないことだ
アラートとは何であったのか、なぜその時の数値は無視されたのか、など疑問はいくらでも出てくる
しかし、その声が聞こえないのである
この精神状態が現在進行中のあらゆる「めちゃくちゃ」を罷り通らせている