2017年2月27日月曜日

パスカルの幾何学的精神と繊細な精神



昨日はよい天気だったが、今日は終日の曇天
午後から街に出る
まずまずの時間となった

昨夜、パスカルを読む
何とよく入ってくることだろう
こちらに来た当初とは大きく違っている
意識の第三層が広がり、その空間にすんなり入って行けるからだろうか
極言すれば、その中に入ることができなければ哲学書は難しいものになるのではないだろうか
尤も、それでも付いて行けないものも少なくないのだが、、、

パスカルを読んでいる時、次のような考えが浮かぶ
哲学者の役割は読者をそれぞれの内なる世界に誘うことではないのか
それは意識の第三層への誘いでもある
その上で、最も深いところに目を向けさせることができる人が優れた哲学者になるのだろうか

パスカルの言う幾何学的精神(Esprit géométrique)と繊細な精神(Esprit de finesse)
この対比も意識の三層構造を頭に入れるとよく理解できる
すなわち、前者が意識の第二層に留まる科学的精神で、後者は第三層に及ぶ思考と対応している
パスカルが批判したデカルトは前者の精神が優っていたのだろう
それに対して、パスカルはそれを認めた上で、繊細な精神の重要性についても理解していた
私の立場をこの図式に当て嵌めれば、前者は重要ではあるが、それを超える後者が欠かせない
となるだろうか


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lundi 27 février 2017

最初のブログで、パスカルとデカルトの対比ついて触れていたことを思い出す
まだ日本にいる時のことである
改めて読み返すと、デカルトに関する次のような記述があった
デカルトはフランスに根を持たず、30年のうち5年しか故国で生活していない
自分の社会的な地位を確立することに努めなかった
自由な精神を維持するためには慣れ親しんだ関係を避けること
孤独、沈黙、人目を避けること (l'invisibilité) が重要になる
そして、有名な Larvatus prodeo (私は顔を隠して進む)をモットーに生きてきた
その意味では、わたしはカーテジアンに近いのかもしれないと分析
しかし、精神活動の内容については、理性、科学だけでは満たされない気持ちが現れている
その頃すでにパスカリアンの道を模索し始めていたように見える







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