2019年4月13日土曜日
第14回サイファイ・カフェSHE、盛況のうちに終わる
本日、第14回サイファイ・カフェSHEを開催した
ぎりぎりで申し込まれた方が3名もおられ、盛況となった
テーマは「技術(テクネー)から現代を考える」とし、ハイデッガーとともに考えることにした
ハイデッガーの文章、すなわち思考は我々のものとは異なり、執拗である
一つのことを相手にする時、何重にも言葉を重ねてその本体に迫ろうとする気迫に溢れている
したがって、我々もその影響を受けたのだろう
議論がいつになく盛り上がっていた
私が重要だと思ったのは、「技術との自由な関係」ということである
自由な関係を結ぶということは、どういうことなのか
それは、技術の本質に我々を開くこと、本質に迫ることである
本質を掴むことができなければ、技術と対等に付き合うことができない
この構図は技術に限ったことではなく、あらゆることに当て嵌まるだろう
しかも、表層的な本質、それは正しいものと言えるが、真の本質ではない
真なるものに辿り着かなければ、自由な関係を結ぶことができないという
正しいものとは、技術的で中立的なもので、科学が明らかにするもの
真なるものとは、本質的で、さらに問う思索を必要とするもので、哲学が要求される
そうわたしは解釈した
「科学の形而上学化」がどうしても必要になるのである
ハイデッガーは、技術が持つ意味を古代に遡って考える
それは何かを生み出すもの(ポエティックなもの)、隠されているものを現前させるもの
最も広い意味での「知」に関わるものだという
しかし、現代技術ではこの意味が失われ、人間を挑発し、駆り立てるものになっている
人間は「ゲシュテル」(集立:総駆り立て体制)の中に組み込まれてしまっている
人間は科学的・技術的世界に閉じ込められている
しかし、その中にいるとそれも見えない
そして、我々はそこから抜け出すことができるのかと自問し、それはあり得ないと答える
しかし、その閉鎖性をこじ開けることができるのは人間しかいないともいう
それでは人間に何ができるのだろうか
それは、閉鎖性とは何を言うのか、閉鎖性を支配しているのは何なのかということを熟考すること
それにより、人間と世界の関係が変わってくる可能性がある
原初的に考えられていないことをさらに一層深く考えることだともいう
最終的には、思索の道を進むことしか人間にはできないのだろうか
それによって何かが解決されるか否かは別にして
詳細は近いうちに専用サイトにまとめる予定です
お忙しい中参加された皆様に改めて感謝いたします
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第8回カフェフィロPAWL中止のお知らせ
4月17日(水)に予定しておりましたPAWLは主宰者の都合で中止といたします
急の決定でご迷惑をおかけしますが、ご理解いただければ幸いです
よろしくお願いいたします
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