2019年4月13日土曜日
仙台で恒例の旧交を温める
今日は、このところの恒例となっている旧交を温める会が仙台であった
田村、島、小林の三氏との会食で、いつものように愉快な時間となった
来年もこのような時間を持ちたいものである
皆様お仕事に忙しい立場である中、お時間を割いていただいた
改めて感謝したい
お話を伺っていると、青年研究者だと思っていた方々が次々に退職を迎える年齢になっている
わたし自身は時の流れを感じていないせいか、驚くことばかりであった
しかし、現世における時は確実に流れている
そして、研究の世界も世知辛さを増している
このような状態であったならば、そこには足を踏み入れなかっただろうと思うことばかりだ
昨日の話に絡めれば、研究者が完全に挑発され、駆り立てられていて集立の構造の中にある
それでもその中で生きていかざるを得ない
ハイデッガーによれば、そこから抜け出ることなどあり得ない
科学の外も科学を駆り立てる側に回っている
しかも、一つの可能性として残されている思索の道を行くことも極めて難しくなっている
人間を未来のない状態に置いてまで科学を発展させなければならないのだろうか
科学の道を歩むのもよいが、その前に科学を離れた全的な思索をすべきではないか
そして、科学の外にいる者も科学を全く新しい観点から見直す必要があるのではないか
科学を取り巻く状況の厳しさを改めて感じ取る時間となった
それから、日本社会が今のままの状態を続ければどうなるか
5年後、10年後は大変なことになっているのではないかという危惧の声も出ていた
日本では、本当に重要なことを真剣に考え、本気で議論するという習慣がない
日頃からどうでもよいことをさも大きなことのように語って時間を浪費している
そこから見える現実はどんなものなのだろうか
全く違う世界が存在し得るということにも気付かない可能性がある
これも昨日の話に絡めるとどうなるだろうか
そこでは真なるものは言うに及ばず、正しいことにも辿り着かないだろう
それは幸福なことだという皮肉な見方もあるが、実に恐ろしいことではないだろうか
この問題、日本社会にも科学の世界にも当て嵌まりそうである
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