2020年2月7日金曜日

実在論と反実在論(6)



グッドマンの考えの一つの帰結は、いかなる「自然種」も存在しないことである
我々の分類に依存せずに実際の違いを識別できるものを自然種とすればだが、
この考えは唯名論になる
しかし、名前の下にものを纏めるやり方によって唯名論も多様になる

我々は、あるものがエメラルドであれば、それは必然的に緑だと考える
グッドマンが言っているのは、エメラルドの緑は我々の分類に依存しない現実と何の関係もないということである
何せ、我々のエメラルドが緑であれば、それはグルーなのである

存在論的範疇は存在しないのである
もし必要なら、分類されない、範疇化されない現実を維持することもできる
そこでは概念的システムが物の種類を切り取り、その意味では作り出していることになる

グッドマンは「世界を作っているものー物質、エネルギー、電波、現象ーは世界と同時に作られる」としている
予めそこに在るものなど何もないと言っている
その意味では、すべての種、現実のすべての分類は人工的なのである

最後に帰納について考えたい
もし、種が例外なく人工的で、性質がどこに属するのかは習慣の問題だとする
その時、帰納はものの現実を知る方法にはならないだろう
リチャード・ローティはそのことを「世界は失われる」と言った
反実在論者が勝利を収めるのである






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