2020年2月21日金曜日

エピステモロジー(4)



懐疑主義の挑戦(3)

懐疑主義の挑戦は、我々が何かを知ると信じる理由を確認することである
現代の哲学者(特に英米の哲学者)には、この問題を真剣に受け止める人たちがいた
彼らは知識が成り立つ条件を示すことで、この問いに答えようとしてきた
ジョージ・E・ムーアバートランド・ラッセルなどは、その例になる

これに比べ、大陸の哲学者はこの問題に興味を示さなかったことを認めなければならない
ハイデッガー、メルロー・ポンティ、サルトル、ドゥルーズ、デリダなどは、この問題を真に検討していない
彼らは古典的な哲学のやり方を受け入れているようである

大陸哲学者は、今日の哲学的検討は別の形を採ると判断する傾向がある
昔の哲学者は哲学的思想の発展により乗り越えられるというものである
知識が可能であるかを知ることより、この領域の問いを解決するという哲学者の主張を解釈することが問題になる

彼らは懐疑主義の挑戦における詳細な解析より、知識についての政治的、科学的省察に興味を示す
特に、知識の制度化に関する歴史的、社会学的省察に惹き付けられる
制度化が採る社会的形態やその政治的、社会的体制との関連を解析する

この問題を医学の分野で提示したのが、ジョルジュ・カンギレムの『正常と病理』になるだろう
ミシェル・フーコーの著作の大部分はこの方向性のものである
知識の哲学をするということは、S が p を知る条件を理解することではない
そうではなく、科学知の全現象を社会・政治史の発展の中に置き直し、権力の問題点を理解することである


(つづく)







0 件のコメント:

コメントを投稿