2021年7月10日土曜日

エンツォ・パーチさんの科学論を読む(2)


 













第一部 科学の危機と現象学における時間の問題


2 生活世界の閉塞と超越的なるものの意味

(3)ガリレオにおける生活世界の閉塞

フッサールによれば、ガリレオは真に経験され、経験可能な世界、すなわち生活世界を数学のカテゴリーで代替した

理想的な自然が、科学前の直観で捉える自然の上に重なり合うようになったのである

フッサールは言う

  生活世界には幾何学的な空間も数学的時間もない

一般的に言えば、生活世界に「理想化」は存在しない

実は、理想化は生活世界の中で始まり、そこに留まる一連の操作の結果である

従って、この起源が閉塞されると、理想化されたものが現実とされ、具体的なものは抽象化されたものに取って代わられる

生活世界が抽象的な数学の概念でドレスアップされ、生きた経験である起源から隔離されると、誤解され閉じ込められる

これが、ガリレオが彼の技術と方法を発見したやり方である

テクノロジーは今でもこの土台から生まれている

従って、フッサールにとって、この危機の歴史的起源にいるのはガリレオなのである

この状況に我々自身もいるのである

現象学はこのような状況から解放しなければならない

具体的には、抽象的な装いからの解放であり、生活そのものを経験させない、あるがままのものを経験させない、すべての意味が現れる生活世界を経験させない客観化された科学からの解放である







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