2021年7月15日木曜日

寺田寅彦の『ルクレチウスと科学』を読む





























         寺田寅彦(1934)


先日、パーチ日記を読んでいるとルクレティウスが出てきたので、日本語訳で読んでみることにした

その翻訳を探している時、寺田寅彦(1878-1935)の『ルクレチウスと科学』というエッセイが目に入った

どんなことを書いているのか興味が湧き、早速読んでみた

寺田を読むのは、殆んど初めてではないだろうか



読んでみて驚いた

科学についての捉え方あるいは科学との距離感が、わたしと非常によく似ているのだ

それから古典の評価の仕方についても共通するものを感じた

例えば、ルクレティウスやアリストテレスなどが唱えた考えが現代から見ると間違っていたとする

だから彼らは当てにならないと捨て去るのか、当時の状況を思い描いた上で、彼らの頭の使い方を考えるのか



また、今の学生は専門の細かい科目については履修するが、科学とは何かなどを考えることがないと言っている

これなどは、以前のわたしにそっくりそのまま当て嵌まる

専門に埋もれる人を「科学学者」、科学を少し広い視点から考える人を「科学研究者」と呼んでいる

この用語にはやや違和感はあるが、昔から言われてきた事実を確認する



このエッセイ一つでものを言うことは避けなければならないのだろうが、妙な親近感を覚えたことは確かだ

元を辿れば、パーチさんが間接的にではあるが結び付けてくれた繋がりということになる

折に触れて味わっていきたい人がまた一人増えたことになる



ところで、ルクレティウスの日本語訳も少しだけ読んでみたが、いま一つわたしの中で立ち上がるものがない

フランス語訳を自分の言葉に置き換えると、新しいイメージが湧いてくることはないだろうか

フランスからの荷物の到着を待って試してみたい

思わぬ展開となってきた









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