2021年7月24日土曜日

エンツォ・パーチさんの科学論を読む(6)



















第一部 科学の危機と現象学における時間の問題


2 生活世界の閉塞と超越的なるものの意味

(6)超越的なるものの閉塞と歴史の意味としての漸進的暴露

フッサールによれば、デカルトは日常的なありふれたものを一時中断する

超越的還元は、明々白々な人生を一時中断する

歴史的再構築、すなわち伝統と再生の関係における問題として人生を再発見するためである

デカルトの隠された意味が超越的還元であるとすれば、デカルトに隠されたままであるものは超越論そのものである

実は、彼は自分の発見を「心理主義的な」意味で誤解していたのである

彼はエゴを客観化した魂に還元し、主観主義に「再び蓋をした」のである

それはフッサールにとってみれば、アルキメデス的哲学である


フッサールは、デカルトが「わたし」と「あなた」、「内」と「外」のようなすべての区別が絶対的エゴを構成していることを理解していないと言及している

フッサールが言う「絶対」は形而上学的位置を占めるものではない

それは、我々が我々自身のどこからでも実際に始めることができないという意味での「絶対」である

科学的客観主義がデカルトに及ぼした影響は、意図的行為が行われるエゴに内在するものを問うことを無条件に妨げたのである

超越的主観主義の意味を失い、デカルトはこころを分析することになり、それは客観的心理学につながった

デカルトが発見し、同時に隠したものは志向性そのものであった

彼は世界を幾何学的に理解できると考えたのである

経験論の機能はすでに与えられたものと、理性主義の客観化された超越性に対して反応することである

客観主義的理性主義を批判することにより、経験論は真の超越論の基礎作りに貢献した

しかし、ジョン・ロックもまた心理主義的客観主義に取り込まれた

他方、デイヴィッド・ヒュームはすべての理性的に構築されたものは「架空のもの」であるとした

ヒュームとともに理性的客観主義は自爆したのである。









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