2022年2月16日水曜日

ハイデッガーの形而上学(10)
























今日からイントロの第3章に入りたい

タイトルは「形而上学としての世界、有限性、個別化に関する包括的な問い掛けの特徴を正当化する.『形而上学』という言葉の起源と歴史」となっている

それでは早速始めたい


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哲学や形而上学の概念は、常に全体が問われる包括的なものである

その問いの中には、概念を理解する人も含まれている

哲学と形而上学を同等に扱ってきたが、哲学の中には形而上学の他に、論理学、倫理学、美学、自然哲学、歴史哲学が含まれる

形而上学は包括的な問い掛けである

それは、世界、有限性、個別化とは何かという包括的なものである

なぜ改めて「形而上学」と言わなければならないのか

それを知るには、その起源と歴史に還らなければならない


「形而上学」という言葉は、何か重要なことから生まれたものではない

古代ギリシアの『タ・メタ・タ・ピュシカ』(τὰ μετὰ τὰ φυσικά)に戻る

これは、自然に関する書の後にある書という意味である

その中のピュシカという言葉にはピュシス(ラテン語の natura、自然)があり、誕生とか成長の意味がある

ピュシスという言葉は、現代科学の対象になる自然という具合に狭く捉えるべきではないが、科学以前の意味でもゲーテが言う意味でもない

人間が誕生してから死に至るまでに経験する出来事のことで、人間の運命と歴史が含まれている

もう一度言うが、ピュシスは存在するもの、全体としての存在を指すけれでも現代的意味ではない

神的存在をも含む元々の意味が意図されている








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