2022年8月7日日曜日

ゲーテの言葉から(34)


 William Shakespeare (1564-1616)



ゲーテ(1749-1832)をもう少し続けたい


1823.12.30(火)

「科学の問題が生活の問題になることはじつにしばしばある。たった一つの発見が、ある男を有名にし、その市民的幸福を作り出すことさえもある。だからこそ、科学においても、こうしたせちがらさや、確執や、他人の創意に対する嫉妬が起こるのだ。そこへ行くと、美学の領域では、すべてがはるかに寛大だ。思想というものは、多かれ少なかれ、すべての人間に生まれながらに備わっているものだから、問題はその取り扱い方と仕上げのいかんにあるわけだ。だから当然ながら、嫉妬があまり起こらないのだよ。一つの思想にもとづいて、百の箴言詩を作ることだって可能だ。それで、問題となるのは、一にかかって、その思想をいちばん効果的に、いちばん美しく具象化できるのは、はたしてどの詩人かということさ」

「だが、科学のばあい、その処理法などはどうでもよく、すべての成果は、創意の中にある。そこでは、普遍的でしかも主観的なものはほとんどなく、自然法則の個々のあらわれは、どれもこれも、スフィンクスのように、われわれの外部で確固不動のものとして沈黙を守っている。新しく認識された現象が一つ一つ発見となり、その発見の一つ一つが財産となるわけだ」



1823.12.31(水)

「人びとは、理解することも想像することもまったくできない至高の存在を、まるで自分たちと同じものであるかのように取り扱っている。そうでなければ、主なる神とか愛する神とか善なる神などと言えないだろうよ。神は、人びとにとって、ことに毎日それを口にしている牧師にとって、一つの極まり文句、たんなる呼び名となってしまい、それを口に称えるときにも上の空というわけさ。だが、神の偉大さを本当に確信している者がいるとすれば、うかつに口にも出せなくなって、畏敬のあまりその名を呼ぶことさえ憚るだろう」



1824.1.2(金)

「戯曲の才能があり、しかもすぐれた人であれば、シェークスピア(1564-1616)に注目しないわけにはいかなかったよ。いや、何としても彼を研究せざるをえなかった。ところが、シェークスピアを研究すれば、彼が人間の本性全体をあらゆる面にわたって、あらゆる深みも高みもきわめつくしてしまっていることに気づかざるをえない。結局、あとにつづく者には、もう何もなすべきことが残されていないことがわかったのだな。このような底知れない、及び難い傑作が、すでにこの世に存在していることをまじめな素直な心で認めるばあい、いったいどうして筆を執るだけの勇気が起こるだろう!」

「だが、五十年前、わが愛するドイツでは、私はもちろんもっと恵まれていたよ。私は、たちまち既成の文学と手を切ることができた。そういうものは、もはや私を感歎させなかったし、私の心をとらえもしなかった。私は、ドイツ文学とその研究をまもなく見棄てて、人生を創造へと方向転換した。こうして一歩一歩前進しながら、自分の本性を展開しつづけ、じっくりと修業を積んで、その時期その時期で可能な創作活動を行った。それに、私がすぐれた作品のあるべき姿として考えていたものも、私のどの生活段階や成長段階においても、その時その時に自分で作ることのできたものと大変かけ離れたものではなかった。しかし、もし私がイギリス人に生れ、やっと青春に目醒めかけたころに、あれほど多様な傑作が猛烈な勢いで一挙に私に迫ってきたら、私は圧しつぶされて、どうしてよいやら見当もつかなかったことだろうね」


「偉大なものは、ひたむきで、純心な、夢遊病者のような想像力によってのみ産み出されるものだが、そういう創造はもうまったく不可能になっている。今日の才能ある者たちは、みんな大衆の前にさらされている。毎日五十もの土地で発行されている評論紙や、それをめぐって大衆の間でかわされる饒舌は、なんら健全なものをもたらしていない。今日では、そんなものからすっかり身を引いて、無理をしてでも孤立しないかぎり、駄目になってしまうよ。たしかに、低俗で、大部分は否定的なジャーナリズムの文芸批評によって、一種中途半端な文化が大衆の間に出現しているけれども、それは、ものを産み出す才能にとっては有害な霧であり、その創造力の幹の上にふりかかって、その緑葉の装飾から一番奥の心髄、一番奥にひそんだ繊維にいたるまで破壊しつくしてしまう毒なのさ」


「個人は誰でも生まれながらの自由な自然の心を持って、古くさい世界の窮屈な形式に順応することを学ばなければならないのだ。幸福が妨げられ、活動がはばまれ、願望が満たされないのは、ある特定の時代の欠陥ではなく、すべて個々の人間の不幸なのだよ。だれでも生涯に一度は『ヴェルテル』がまるで自分ひとりのために書かれたように思われる時期をもてないとしたらみじめなことだろう」


(山下肇訳)












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