2022年8月10日水曜日

ゲーテの言葉から(37)





























 Aeschylus (525 BC-456 BC)




本日もゲーテ(1749-1832)である


1825.5.1(日)

「もしギリシャが、この憐れなドイツ人のように、レッシング(1729-1781)が二つか三つ、私自身が三つか四つ、シラー(1759-1805)が五つか六つましな戯曲を書いているというような環境であれば、まだおそらく第四、第五、第六の悲劇詩人が生まれる余地はあるだろうよ」

「ところが、ギリシャ人のばあいは、彼らの想像力が豊かなので、三大作家の一人一人がいずれも百以上、あるいは百近い作品を書いている。また、ホメロス(紀元前8世紀)や英雄伝説の悲劇的な主題は、部分的に三回も四回も取り上げられている。これほど既成の作品が穰り豊かでは、素材も内容もだんだん使い果されてしまって、三大作家につづく詩人はもはや何をしてよいのかわからなくなった、と思われるな」

アイスキュロス(525 BC-456 BC)やソポクレス(497/6 BC-406/5 BC)やエウリピデス(c480 BC-c406 BC)の生み出した作品は、様式からしても、深さからしても、何度聞いても聞きあきず、陳腐になったり、つまらなくなったりすることがない。――現代まで伝えられた断片にしたところで、数は少ないが雄大なものだ。われわれ憐れなヨーロッパ人は、すでに数世紀来その研究をつづけてきたし、これからも数世紀は、それを吟味し検討していかねばならないほど、広大で有意義なものなのだからね」



1826.6.5(月)

「画家の修業も他のいかなる才能の鍛錬も同じことだからね。私たちの長所は、あるていどまではひとりでに育つ。しかし、私たちが持って生まれた素質の芽生えは、ふだんから手塩にかけていないと、たくましくはならない。それを同じように長所にするには、特別の手入れがいるものだ」

「そこで、もう一つ、私は彼に注意しておいた。私は、これまで彼の風景の習作をたくさん見てきた。すぐれたもので精魂がこもっていた。しかし、どれもこれも単独のものを描いたものであって、そうしたものをもとに後で独創的なものを作り上げるまでには至っていないようだ。そこで、私は、これからは、自然の中から個々の対象を一つだけ取り上げて描くようはことはけっしてしないよう、つまり一本の木とか、一個の岩石とか、一軒の小屋を描くだけでなく、いつもそれと一緒に背景や周囲のものを多少とも描くように忠告しておいた」

「しかも、これには次のようなわけがあるのだよ。われわれは、自然の中に存在するものを見るばあい、一つひとつをばらばらに見るのではなく、どんなものでも、その前後、左右、上下にある他のものとのつながりで見ているものだ。それでも、ある個々の対象がとりわけ美しく、絵のように目を惹くことがある。しかし、この効果を生み出すのは、その対象だけでなく、それと前後、左右、上下にあるものとのつながりなのだよ。そういうすべてのものが助け合って、ああした効果を上げているというわけだ」


(山下肇訳)










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