2022年8月15日月曜日

ゲーテの言葉から(42)






1827.10.8(月)イェーナにて

「乾杯しよう。君の健康と君の観察の成功のために、この話を聞いて神を信じない人には、モーゼや予言者の言葉も意味がない。これこそ、私が神の遍在と呼んでいるものだ。神は、限りない愛の一部を、いたるところに拡め、植えつけられたので、高貴な人間において最も美しく花開くものが、すでに動物の中にもかすかに芽生えているわけだ。そうだ、君の研究と観察をつづけていきたまえ。君は、この面においてとくにすぐれているように思われる。そして、まだもっと貴重な結論に達するかもしれない」



1827.10.18(木)

茶会での会話

ヘーゲル(1770-1831)「それ(弁証法の本質)は、つまり、だれの心にも宿っている矛盾の精神を法則化し、方法論に完成したもの以外の何ものでもありません。こうした能力は、真と偽を区別するさいに偉大さを証明するものです」

ゲーテ(1749-1832)「ただ、そうした精神の技術や有能性がみだりに悪用されて、偽を真とし、真を偽とするために往々にして利用されたりしなければいいのだがね!」

ヘーゲル「そういうことは、よくあるものですが、しかし、それは精神の病める人たちだけがやることです」

ゲーテ「それなら、自然研究の方がよっぽどましだな。そんな病気にかかりっこないからです。なぜなら、自然研究では永久不変の真理が目的であり、対象を観察し処理する場合、徹頭徹尾、純粋に誠実に行わない者は、たちまち不合格であるとして否認されるからね。また、私は、多くの弁証法患者は、自然を研究すれば効果的に治療できるだろうと確信していますよ」


(山下肇訳)












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