2022年10月14日金曜日

コリングウッドによる自然(21): アリストテレス(3)その認識論





























今日は、アリストテレス(384 BC-322 BC)の認識論について解説している

非常に興味深く、心を整える上でも参考になるところ大である

生きることに直接関係してくるのである

早速始めたい


アリストテレス以前のギリシア人は、聴覚の本質をすでに発見していた

音というものは、物体によって掻き立てられ、空気を伝わって聴覚に達するリズミカルな振動であるというものである

このようなリズミカルな振動を我々の中で再生することと音を聞くことは同義であった

しかし、例えば鈴を構成している銅は我々の中には入って来ず、来るのは振動の律動だけである

この律動は、ピタゴラス(582 BC-496 BC)あるいはプラトン(427 BC-347 BC)的形相であり、非物質的なもの、あるいはアリストテレスのロゴスである

つまり、鈴の音を聞くことは、自分の中で鳴っている鈴のロゴスをヒュレー(質料)抜きで受け取ることである

ある対象物を感覚するとは、我々自身の中にその形相を再生することであり、物質は我々の外に在る


この見方は、感覚の表象説あるいは模写説と同じではない

これらの説は、我々の頭の中で鳴っている音は、鈴の音と似たものだと言う

しかしアリストテレスは、それはロゴス=律動そのものだと言うからである

外で鳴っているものと同じ音であり、形相なのである

それでは、感覚では捉えられない形相の場合はどうなるであろうか

例えば、善の形相が存在するとしてみよう

その形相は、思惟によって我々の心に受け入れることによってしか把握できない

その時、我々の心をそれに合わせて整える方法として経験する

聴覚の場合、音を出す物体は我々の外に在るが、善の場合、物質は存在せず、形相があるだけである

善の写しではなく、それ自身が我々の叡智の中で再生されるのである

つまり、物体が存在しないような対象を相手にする場合、認識するものと認識されるものは同一なのである









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