vendredi 18 mars 2016

現世最後の日



今日も朝から外に出て仕事らしきことをやり、午後も続けた
それぞれの仕事は細切れ状態だったが、、

今日、歌が添えられたメールが友人から届いた

  「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」

西行法師晩年の感慨が静かに溢れている
命があるからすべてが可能になる
当たり前だと思っていたそのことを見直すこと
それこそが哲学だと言った人もいる
年と共にその意味が大きくなりそうな歌であった 

夜、今回の滞在最後のディネを古い友人と
いつものように雑多な話が出た
トリビアをひとつ
フレンチの三國さんがわたしが行く予定の大学から美食学名誉博士を貰っているらしい
どうということはないが、なぜか親近感が湧いてくる話であった

この2週間ほどは実社会に出て、豊かな交流の中にあった
それは想像を遥かに超えるものであった
予定表に書かれた文字から何かがはじけ出て、形を作るのである
これこそ創造でなくて何であろうか
毎日が創造であり得ることが見えてくる


明日から再び沈潜の生活に戻ることになる
どうもこの繰り返しのようである




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