2022年1月14日金曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(42)
















我々の宇宙は――天体物理学者が言うところの観察され得る宇宙なのだが――、現実の全体なのだろうか。

物理学者はこの問いを考えない。

なぜなら、彼らの内のある者は信者で、彼らによれば宇宙の外には神がいるからである。

それでは自然だって同じではないだろうか。

宇宙は150億年の歴史があると言われる。

無限の中での150億年とはどういうものなのか、と思わず言いたくなる。

パスカルに助けを求めてみよう。

彼は「有限は無限の前では無に帰し、純粋な無になる」(fr. 233 Br.)と言っている。

従って、これらの言葉に変更すべきものはない。

「人間は自らを自然の遠くにあるこの小さな区画に迷い込んだものとして見ること、そして宇宙という人間が住んでいるこの小さな牢獄から、地球、王国、町、そして自分自身の正当な値を見積もることを学ぶのである。無限における人間とは何なのか」(fr. 72 Br.)

この無限は自然である。

「無限」という言葉が、パスカルが最初に書いた「自然」という言葉に取って代わったのである。

自然の無限の宏大さの中における人間そして人間の「小さな牢獄」である宇宙とは何なのだろうか。





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