2022年1月21日金曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(49)































18、19世紀においては、唯心論は唯物論と対立させられていた。

エメ・アンリ・ポーリアン(Aimé-Henri Paulian, 1722-1801)の物理学辞典ニーム、1773)では、二つの並行する欄で一つずつ比較している。

一方に人間は精神であるとあれば、他方にはそれは物質に過ぎないとある。

一方に人間は真に自由であるとあれば、他方には人間は自分を自由だと信じている風見鶏だとある、といった具合だ。

普通の人間の自然に生まれる選択はどちらだろうか。

唯心論に傾くのではないか。

2つの陣営の一方は自然と人間を正当に評価していないので、両者は等価ではない。

人間は、人間が物質に過ぎないとか、動物より自由でないという考えには異議を申し立てる。

それが誤りであることを人間は知っている。

哲学者は自然と人間の創造性を強調しなければならない。

それはベルクソンがやったことである。

創造的な持続という概念で、彼は正しいところに触れたように、わたしには見える。

しかし彼は、彼がやったように、この概念が一神教的唯心論に与するのを禁じたことをどのように見るのか、どのように見たいのかを知らなかった。

そして、彼は自らが始めたところ――すなわち、自然主義――で終わらなければならなかったのである。







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