jeudi 28 avril 2016

ヴォネガットさんをもう少し



30年以上前に観たヴォネガット・大江対談が出ている読本があったので手に入れた

カート・ヴォネガット (現代作家ガイド)

その中にこういう発言があった
「先程、この世が終わろうがどうしようが関係ないと、人々が思っているから、平和運動の支持が足りないと言いましたね。我々は自分のしていることがわからぬままに、たえずお互いを侮辱しているのだと思います」
これを読み、同様のことを言ったフランス人を最初のブログで取り上げたことを思い出す

ジャン・フランソワ・ルヴェル再び REVEL L'INSOUMIS (2006-05-20)
「人間は自由や真実を大切にする気があるのか、確かではない。たとえそれが自分の利益に反することになるとしても。人間はしばしばどうでもよいと思っているのだ」
若き日にはそれでは駄目だと思っていた
未来における変革の方に目が行っていたからだろう
しかし、その後の世の中の動きを見ていると、彼らの観察に納得せざるを得なくなる
関係ないと思っている人の割合は少なくなっているのかもしれないが、有意の変化には見えない
問題は、それでは駄目だと叫ぶことではなく、その上でどうするのかになるのだろう
駄目だということは多くの人が分かっているはずだからである

ヴォネガットさんは、この点について次のように語っている
平和運動の指導者たちはいつも「我々が直面する危機がわからないのか」と訴えかける
「だが、皆分かっているのですよ。そんなことは教えられなくてもいいわけだ。必要なのは人生が続くかどうかということが大事であるという、その理由なのです。それは政治家ではなく、作家の領域なのです」
政治的スローガンに心動かされることがない理由の一つが、ここにあるのだろう
お定まりの言葉しか出て来ないからだ
そこに別の言葉と思考の必要性が現れる






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