2018年8月21日火曜日

ダ・ヴィンチの目

      アンボワーズのダ・ヴィンチ


先週のルポワンは、ダ・ヴィンチ(1452-1519)が特集で取り上げられていた
500年前に亡くなった人物から現代的な意味を探ろうという企画である
目に止まったところをいくつか

彼はすべてを見ようとしていた
全てを見るということは、考えられているよりも広く豊かなものを意味している
それは、目の前にあるものについて瞑想することまでも含まれている

彼は30代半ばから多くの解剖をやっていた
ヒトだけではなく、サル、牛、カエルなども自分の目で見ることをやっていた
その過程でガレノス(c. 129-c. 200)やイブン・スィーナー(980-1037)を知ることになる
彼の視界から排除されるものは何もない

プラトンが説く我々の世界の外にあるイデアの世界を信じなかった
観察と実験を信じていたのである
そのためか、アリストテレスの自然科学に関するものをよく読んでいた

我々は流動性のある境界が曖昧な世界に生きている
ダ・ヴィンチも境界を越え、多くの領域に足を踏み入れた
そして、完成させることには無頓着であった
やり遂げるということは、そこで流れが止まることを意味している
彼の視線は止まることなく前に向かっていた

彼が開発したスフマートという技法は輪郭をぼかす
明確な輪郭で途切れることを避けたのだろうか
それは世界の流動性を表すものだったのかもしれない

そして、彼の人生に見られる終わることのない旅である
彼はノマドであった
幼少期のヴィンチ、青年時代のフィレンツェ、壮年期のミラノ、ヴェニス、ローマ
そして晩年になっても気候、文化、言語を変えることを厭わず、クロ・リュセに落ち着いた
この時は64歳でアルプスを越えてフランソワ1世の招きに応じている

重要なことは、歩むべき道をどこまでも追い求めて前に進むこと
根を持っていたとしても、それなしにやること、アイデンティティを超えて生きること
そして、未知に向かって歩むこと
ダ・ヴィンチはそのパイオニアであり、我々にとってのモデルになるだろう

彼にはまた、何か突飛なもの、異様なものに対する嗜好があった
それは驚きに対する嗜好と言ってもよいもので、瞬間の惠みを味わうことにも通じる
疲れ知らずで、昼間に仕事を終えた後、仲間と一晩中談笑していたという
そこでも不思議なもの、思いもかけないものが現れる瞬間を見逃さない目が必要になるのだろう



そういえば、書き終えたばかりのエッセイも500年前に亡くなった人物を取り上げていた
何という偶然だろうか





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