2019年5月21日火曜日

第5回ベルクソン・カフェ、初日終わる



今夕は第5回ベルクソン・カフェであった
残念ながら、参加予定のお二方から参加できなくなった旨の連絡が直前に入った
激しい雨の後、参加された皆様に改めて感謝したい


今回のテクストは、ピエール・アドーの「魂の鍛錬」というエッセイにある「読むことを学ぶ」
元々の論文は1974年に出たものなので45年前の作品になる
これまでアドーさんの作品を読んできたせいか、以前より理解しやすくなったとの声が聞こえた
それでも難しいところに出くわす
もっと違った表現ができるのではないか、という声になる
内心、自分の日本語のようだとも思ったのだが、、

今回のエッセイは読書を扱っていると思ったが、少なくとも今日のところ出てこない
まず、古代に各派で実践されていた魂の鍛錬の多様性と違いが紹介される
そして、表面上の多様性の下には根源的な一致があることが指摘される
方法としては、説得のための修辞と弁論術、内言の習熟、精神の集中
目的は、自己の向上と自己実現
自己実現は現代でも使われている言葉だが、その実体は違うようだ

それから哲学的回心(哲学的目覚めとでも言うべきもの)を境にした変化が記述される
回心の前は自分自身ではなく、従って真に生きていない
回心後はその状態から抜け出し、真の生活に近づき、自らを向上し変容させる
その生活とは具体的にどういうものなのか
大雑把に言うと、出来合いの価値から離れ、人間の本性である理性に合致した生である

魂の鍛錬をプロティノスは「自分自身の像を彫刻する」と表現した
絵画が加える芸術であるのに対して、彫刻は取り除く芸術であることに起因している
余分なものを取り除き、既に大理石の中に存在している像を露わにする作業である
つまり、自分自身でないものを取り除き、本質的なもの、自分自身であるものに還るのである
幸福とは、自立、自由、自律から成るが、それは自分に還ることによって達成されるという
そのためには既存の価値から解放されなければならず、理性を働かせるしかないのである

これから先の詳細は専用サイトに載せる予定である
そちらを参照していただければ幸いである

今回参加された方の中に仏教に詳しい方がおられ、東西の比較が話題になった
仏教が目指すところと共通するところがあるようなのである
これから注目すべき点が増えたことになる





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