2019年5月26日日曜日

西田幾多郎記念哲学館を訪問



本日は、かほく市にある西田幾多郎記念館を訪問
少々交通の便が悪く、車がなければ大変だろう
記念館は斜面を生かした作りになっており、丘の上から見下ろすように建っていた
中も視点を微妙に変えるだけで新しい空間を味わうことができるようになっていた
安藤忠雄氏の作品とのこと

展示は工夫されたものになっていて、ゆっくりした語りをバックに見ることができた
ここ10年くらいの全的生活のせいか、西田の言いたいところが分かるようになりつつある
昨日の大拙と併せると、わたしの全的生活は、実は禅的生活だったのではないか
そんな考えも浮かんできた

ビデオも要を得たもので、参考になった
それから西田の書を改めて見ながら、自らの考えを書にすることの意味を考えていた
内容さえしっかりしていれば、どのような文字で表しても良いということではないだろう
自らの思想を書にする過程で、その行為が更なる思索を誘発しそうな感じがする
それによって、その内容がより深いものになることはないだろうか
自分の中に沁み込むような新たな姿に変容することはないだろうか
それを確かめるためには、実践するしかないのかもしれない


 


書斎の「骨清窟」が記念館の横に移築されていたが、扉は閉じていた
書棚を見ながら、ラインスブルフのスピノザハウスを訪問した時の光景が浮かんできた
もう7年前になるが、スピノザが1661年から1663年まで借りていたところである
その書棚が当時のままではないと思うが、蔵書は多くなかったと読んだ記憶がある

西田も、ある人の核になるもの(骨)を掴むことが重要で、後はその応用になると考えていた
従って、全集を集めるような趣味はなかったと書いている
それにしても、いろいろな書斎を見ると触発されるものがある
フランス人作家の書斎も全く別の刺激を与えてくれる





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