2020年4月3日金曜日

現象学とは(7)





特に現代フランスの現象学についてのコメント(つづき)

(3)ドミニク・ジャニコーは、『現代フランス現象学―その神学的転回』で次のことを示した

ルヴィナス以来、フランスの現象学はハイデッガーによって伝えられた曖昧さにより特別な転回をした
現象学的還元」は超越論的「我」を引き渡したが、現象学的贈与の中心にあるのは超越的なもの(神)である
これはジャン・リュック・マリオンミシェル・アンリジャン・ルイ・クレティアンなどにおいてのことである

目に見えるものが目に見えないものや不可視性におののく
存在が呼びかけになる
「復活」や「身体の栄光」という概念が、現象学的解析を神学的に上から決定する

注意すべきは、それは次のものではないことである
神の存在証明の妥当性についての問い、宗教的信仰のエピステモロジー、キリスト復活の信仰の合理性についての問い
また、エティエンヌ・ジルソンがやったようなキリスト教哲学の存在の根拠になるテーゼを擁護することでもない
寧ろ、現象学的描写の中心には、 「啓示」、「超越性」、「神性」が見られることを示唆するものである

しかし、この神学的転回の内に自らを認めない多くの現象学者には、この点への強い躊躇いがある
そして宗教哲学者も同様に、こう考えるかもしれない
「宗教的体験」という概念は、一般的な「体験」の概念より信用できるものではない








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